惨さは数字だけでは測れない

8月6日。8月9日。どちらも忘れてはならない日です。

6日は広島に、9日は長崎に、原爆が落とされた日。今年で75年経ちました。

毎年この日になると、思い出すことがあります。小学6年生の夏、初めて長崎に行ったときのことです。

グラバー邸やめがね橋などの定番観光スポットはもちろんのこと、原爆資料館にも足を運びました。戦争の中で失われたものや遺されたものを教科書ではなく直接見るのは、初めてでした。

浦上天主堂の外壁。壁に映った、人と梯子の影。熱で溶けてくっついた瓶。ケロイドの模型。健康な人の膵臓と、被爆した人の極端に肥大化した膵臓の模型。中のご飯が炭化した弁当箱。被爆した時に着られていた衣服。

何と言えばいいのか、どんな感想を持てば良いのか。ぐるぐると複雑な感情が渦巻く中圧倒されて資料館を出たのを覚えています。

それから、もうひとつ忘れられずにいることがあります。

そのときは祖母、叔父、叔母、弟が一緒にいました。私は叔父と叔母と一緒に行動していましたが、弟は祖母と一緒にいました。弟を連れた祖母は、するするとかなりの早さで館内を進んで行きました。

そのときは「おばあちゃんたち早いなぁ」などと呑気に構えていたのですが、後から聞いた話によると、単に早かったわけではありませんでした。

叔母が教えてくれました。

「広島も長崎も、どちらも悲惨な目に遭った。でも長崎の方が惨い。長崎の方がより多くのものが遺っているから」

祖母はこのように考えているので、原爆資料館にいるのが辛かったそうです。

長崎に落とされたファットマンの方が、広島に落とされたリトルボーイよりも爆弾自体の威力は大きかったようです。しかし、実際は地形の影響もあって爆風などが本来より抑えられたため、死者数や全焼家屋の戸数などで言えば広島の方が被害は大きかった、という見解が一般的だと思います。

しかし、抑えられたからこそより多くのものが全焼せずに残った、と言うことも可能かもしれません。

そして、それが惨い、と。

私は、どちらの方がマシだとか、どちらの方が大変だとか、そのようなことを議論するつもりは毛頭ありません。それはきっと祖母も同じだと思います。

とにかく言いたいのは、この話を聞いたときに私が学んだのは、

惨さは数字だけでは測れない

ということです。

毎年この時期になるとこのことを思い出し、噛み締め、いつか広島にも行かなければ、と考えています。

↓威力の比較について、参考資料はこちら。長崎原爆資料館のpdfです。


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