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不細工な体とか頭の先まで


1月と2月ってめっちゃ冬だ。まあそりゃそうなんですが。そんなこと言われなくとも頭では理解してるんだけど、12月の「私が冬の主役です!!」感が強いせいで、1・2月の冬印象が薄い。実際ほんとに気温が低くて寒いのって1月末とか2月上旬頃とかなのに。センター試験、今でいう共通テスト、の頃合になるとだいたい大雪が降って交通の便が止まって、受験生たちが困ってるイメージは容易に思い浮かぶのに、2月って何となく春みが強いのなんなんだろ。「春み」っていうのは「バブみ」とか「懐かしみ」とか「あげみざわ」とか、そういう類のそれね。



冬季うつの主な原因は日照時間の短さによるセロトニンの減少、らしい。元々うつ傾向がある人だけではなく、そもそも全ての人間はセロトニンの分泌量が冬の間は減るんだと。なるほどだから冬はラブソングが多いんですかね。内側から分泌されないから、外側から供給される幸せや温もりを求めて、そういうのに縋ってるんですかね。ていうかそんな季節に通常活動させんなよマジで。人間だって冬眠させてください。おかげでせっかく定時に上がれたのに帰る気力がなくてかれこれ2時間弱ベンチに座っています。なにをやっているんですかね。帰りたいんだけど帰るのめんどくさいの。はいこうなってしまったらもう終わりです。わたしはこれと同じ理論で風呂に入れず脱衣所で何十分もうずくまっていたことが数え切れないほどあります。同じ経験ある人たち、友達になりませんか。






彼氏ができた。


こんな言葉を発する日が人生で訪れるとは微塵も思っていませんでした。マッチングアプリを入れていたくせに、という感じだけど。いやでもマッチングするつもりなかったんで。マッチングアプリなんて二度とやるもんかと今でも思ってるんで。言い訳ダセェな。それを通じて出来たくせに絶対言っちゃ駄目なんですけどマジでおすすめはできません。疲れます。でもやってみたいのであれば止めはしません。どの立場??


まあこんな調子だったため当該相手と会う日がやって来た頃には、もうすっかりアプリに疲れ果てていて。特別なお洒落をする気力も湧かず無難な服を身につけ時間ギリギリに電車へ飛び乗る通常運転、という完全に素モードで行ったんだけど(普通に失礼で最低)、な〜んか可もなく不可もなく終えれてしまった。なんなら共通の趣味に関する深い話でけっこう盛り上がり、流れで2回目が決まるという滑らかさ。あれなんかそれっぽいことできてる??いやでもその2回目最後の方でクリスマスイブに誘ってもらったときに出た言葉は「おっ!お誘いですか?」という可愛げもクソもない合いの手だったし、交際を申し込んでもらった時に出てきた言葉は「いいんですか?ほんとに大丈夫??」だったな。告白への回答としてふさわしくない。グリフィンドール、マイナス10点。

いやだってさ、なんか諸々の環境的条件が奇しくも揃ってしまったので仕方なく言っているのではないか……?という不安が、そこまで言ってもらっても拭えなかったんだよ(正直今でもほんのちょっとだけ思ってるごめん)。向こうは、クリスマスの相手が欲しかっただけとかそう思われるんじゃないかなってのが嫌だった、と言っていたけど。いや、信じてないわけでは決してないです。ただそれくらい、己に向けられる好意への自信がない。どれだけアプリでいいねを貰ってもだんだん嬉しくなくなってったし、お話してみたいとか会いたいとか電話したいとか言ってもらって一時的に喜んでも、最終的には社交辞令として受け取っていた。というか何を見てそう思ったんだ?の疑問が湧き出て止まらなかった。かといって何の反応がないとそれはそれで落ち込んでいた。あってもふーん……なのに無いとしょげてるのマジで何?何がしたかったん?自ら不幸を生み出しにいってるようなものでは?まじで二度とやらねえかんな……。




ていうか、そもそも人間の価値って絶対それだけで測られるべきじゃないのに、恋人が居たことがないただその一点のみで自分が「可哀想」扱いされるのが死ぬほど嫌だった。『恋愛経験』、たった一つの要素だけで私の人生全てを否定されてるみたいで腹が立つ。それ以外の経験や人付き合いって全無視ですか?あと恋愛ばっか尊いみたいにされてるのが納得いかない。友愛も家族愛も信仰愛も名前のつけられないような愛でさえも、まあ優先順位でいったら恋愛には敵わないよね〜みたいな風潮、大っ嫌い。

でも、誰かのナンバーワンになって愛されたことがない事実はそれだけで何もかも全部ひっくり返されちゃうくらいに哀しいことでもあって。どれだけ私が周りに恵まれていようが、独占したいとか特別にしたいとか恋人にしたいとか、そんなふうには思ってもらえやしないんだと考えると酷く淋しかった。あの子のいちばんは私じゃない、私にはあの子だけでもあの子にとって私は私だけじゃない、と知る度に落ち込んで傷ついた。友達に恋人ができると、なんで私じゃ駄目なのって思ってた。いいわけないだろ自惚れんなよ。でもじゃあさ、特別に愛されるってなんだよ好かれるってなんなんだよ、どんな形でも迷惑だなんていわないから誰か私に好きって言ってよ。恋愛に嫌な思い出しかないくせに恋愛に焦がれてるこのきもちわるい感情を素直に吐き出すことも出来なくて、結果として恋愛不必要論を吹聴しまくる痛キショ喪女が完成していた。


だから、恋人なんて要らなかった。強がりとかじゃなくて、ほんとのほんとに私には必要ないんだって思っていた。いや、思いたかったのかもしれない。恋愛なんてもう二度としてやるもんか。そんなの無くたって幸せになってやるんだ。恋愛を通して幸せになんかなってやるもんか。忘れるな恋愛が内包する残酷さを、奴らから受けた仕打ちを。いやはや全く、本当につまらない、全く意味のわからない意地でしかない。



“そう、意地を張っていた。やり直せるなんて認めたくなかった、だってわたしくらいは覚えてておいてあげないと可哀想だ。みんな忘れていっちゃうんだから、あの時感じた怒りとか悲しみとか苦しみを、せめて自分の中だけでは大切にしておきたかった。そうじゃないと17とか18とかのわたしが可哀想だよ、なかったことにしたくないよ。
ずっと怒って生きていくんだ、足りないままでいいんだおれは、足りてないからこそ得たものっていっぱいある、誰よりも言葉を、感情を、思い出を大事にする人間になれた。足りてなくて何かに怒ってて傷ついててそういうのを面白く読み物にしてやろうっていつももがいてて、みんなそういうわたしを好きだって言ってくれた。だからこれでいいしこれがいいと思った、満たされんのも丸くなんのも怖かった。”

「空浮かぶ君の雲、寂しげ夏  |  四月」



しんどい。まーた四月さんの文章に救われてしまった。自分と真逆の人達に対して攻撃的にならず、怒りをぶつけるでもなく、かといって自己完結になりすぎずに自分の考えを主張することの難しさに悩みまくってるところで圧巻の言語化能力を目の前にして、涙が出そうだった。自分の恋愛なんかと重ねて考えるのは烏滸がましいけど、でも「これって絶対私のこと書いてる」って思っちゃうくらい惹き込まれるのがいい文章の特徴の1つだと私は考えてるから、好きな分にはつい己を重ねてしまう。


あのね、言い訳させてもらいますけど、恋愛にいい思い出がひとつもないんだよ。男女問わず仲良くなろうと頑張ってた高校時代、隣の席の男子と話して仲良くやってたら、グループLINEで「隣の席の男子の苗字♡私の苗字」と男子の誰かが送ってきてたのを見ちゃって、クラス中の男子が無理になったり。この子になら、と信じて好きな人を唯一教えた友達が、私の好きな人との長時間通話を匂わすストーリーを上げてるのを見たときはショックだった。こっそり好きだなと思ってたひとのことを友達が好きになって、その子が彼にバレンタインのチョコを渡しに行くのに何故か同行を頼まれて一緒に行ったり。恋バナや恋愛相談が止まらないひとたちの影響で部活の時間を取られて思うように練習できなかった。組織内恋愛のゴタゴタによる各所での涙や慰め合いが発生してて、その子たちのフォローに回った。にも関わらず該当カップルたちは素知らぬ顔でこっそり抜け出したり2人きりの時間を黙認してもらったり目の前でイチャイチャされたりされて、むちゃくちゃ腹が立った。

誰かを省いて幸せになることがそんなに楽しい?あなたが恋愛における幸せを得るにあたって踏み台にされた子が今私の目の前で泣いてるけど、見えてないんかな。前付き合ってたあの人とは別れて今この人がちょっといい感じかもなんだけど、って言ってるけど、わたしあの人と付き合ってたこと今知ったんだけど。え、みんな聞いてたの?知らないの私だけ?そういえばあの時こそこそ喋ってたのもこの話題だったの?あー、そうだったんだ。へえそっかー。みんな誰かしらから聞いてるんだね。うんうんそういうことあるよね。って、もう何度も何度もその経験してるからそんなイイコに受け流せませんよ。


恋愛で悩み苦しんで泣いてる人を見てきたし、自分も息が詰まるくらい苦しんだ。恋愛というものは必ず誰かの不幸を犠牲に成り立ってるんだって思った。それでもいつかは報われるから、きっと誰かは愛してくれるから、愛するココロは捨てないでなんて、思えねえだろ。



それでもやっぱり憧れって簡単には捨てられない。制服デート、学校内でのスリッパやら制服やらの交換、登下校の待ち合わせ、卒業式の花束、恋人にもらったデパコスの写真の投稿、風船で飾り付けされたホテルでお祝い。全部できなかったしもう手に入らないもの。いや別に最後の2つはやろうと思えばやれるんだろうけど。違うんだよ。そういう煌めきを嫉妬と羨望と疎ましさとで眉をひそめて眺めるんじゃなくて、私もそのキラキラを形作るひとつの光になりたかったの本当は。傍から見たらどんなに痛々しくて痒くても、若いね青春だねで済ましてもらえる10代のうちに。大人たちがよくいう「青春は戻らない」「学生のうちに恋愛しとけ」「学生はお金は無いけど時間はある」とかってほんとにそうだなって、実感してしまう年齢になる前に。今からだって自分が思いさえすればどんなことは青春なんだけど、でも、「あのときの私にはできなかった」事実が苦しいの。こういう自分が気持ち悪くて仕方ないから、恋愛の話をほとんど人にできなくなった。さっき書いた嫌な思い出だって全然人に言ってないことばっかり。自分だけが除外され話題に乗り切れていないことが恥ずかしかった。


あー、だから恋人なんて要らないんだってば。あっち側にはなりたくないの!!別に恋人ができた今でも恋愛がいちばん大事なんて1ミリも思ってないし。その歳で恋人なし/独身/処女/童貞とかやば(笑)みたいな風潮クソほど根絶してほしいし。部活内やら職場内やらでの恋愛への憧れとか消えたどころかむしろ嫌まであるし。何よりこのnoteを「恋愛コンプの喪女だったけど、理解のある彼くんと出会えて幸せです♡やっぱり恋愛が人を変えるよね♡」みたいな結末の話だと思われないです絶対に。恋愛が全てではねぇからマジで。いやこの立場になっちゃったらもう生存者バイアスにしか聞こえないと思うんですけど……金持ちが言う「金が全てじゃない」みたいなもんに見られても仕方ないんですが……。




付き合い始めて最初のお出かけ、照れくさいから冗談交じりで、手を繋いでみませんかと言ってみた。いざ手を繋いで歩き始めたら、何故か世間の風当たりが優しくなったように思えた。あー、異性カップルとして街を歩くって、それだけでこんなにすんなりと世界に受け入れられるんだ、と思った。ずるいよ。そんなの味わっちゃったらもう戻れないじゃん。一人でイヤホンをつけて雑音をシャットアウトし、声をかけてくる変な人達をガン無視して突き進んでるときにはなかった優しさが、この世にはきちんと存在してたんだと思い知らされた。もっと早くこんなふうに世界から受容されてたらこんなに拗らせてなかったかな。ここまで歪んでなかったかな。いや大袈裟かよ手繋いだくらいで。笑いたきゃ笑えよ。


誰かに受け入れられて、周りからも受け入れられて。そうじゃん。本当はわたし、ずっと誰かにこうしてほしかったよ。誰かとこうなりたかったよ。分かってたじゃん。逆張りオタクなせいで認められなかった。ていうか、できるなら皆とこうしたいよ。許されることならみーーーんなとおてて繋いで歩きたいよ。手繋いで歩くだけでこんな気持ちになるんだったらそうしたいよ。さすがに脳内お花畑すぎるけどさ。今度会ったとき急に手繋ごとか言い出したらごめんね友達各位。言わないように我慢しますので。




だけどやっぱり、今の相手にもいつか愛想尽かされるのかなとか、向こうに好きな人が出来てしまったらすぐ別れようとか、そしたらもう本当に二度とこんなことしないんだろうなとか、来るかもしれない「終わり」のことを考えてる自分がいる。だってまだ言えてないことが沢山ある。このnoteは勿論のこと、他の恋愛に関する文章とか読まれたら嫌われる可能性めちゃくちゃある。お互い見た目で好きになってるわけでもないから、ふとしたときによく見たら不細工だなって気づかれちゃうかもしれない。それこそ風呂に入るのが嫌で嫌でうずくまってたことあるし結局入らずそのまま出勤したことありますとかいったらドン引かれて終わりかもしれない。どこまで許してくれるのか、どこまで大丈夫なのか。徐々に確かめなければならないけどこわい。隅から隅まで丸ごと全部愛してもらえてるなんて自惚れはしてない。でももし嫌だなっていわれたら、その部分を逐一直せるかっていわれたら多分難しい。ここを受け入れてもらえなかったら関係は終わりだな、ってくらい面倒な思考回路が山ほどある。心底めんどくせーーーー女!!


それでも絶対、どんな風に終わりを迎えることになろうとも、未練タラタラな自分に酔ってるようなふざけたラブソングに共感して胸を打たれてしまう、みたいな終わり方には、絶対絶対なりたくない。私は私なりの付き合い方を探って掴んでやるんだ。わたしはいま自分がやってること、これまで自分が認識していた「恋愛」と同じものだとは思ってねえからな。誰がなんと言おうとだよ。匂わせも駆け引きも嫌いだし恋愛の話題を振られるのもまだ全然無理だけど、しれっと恋人の話をできるようにはなりたい。こういう自分を気持ち悪いって拒絶しないで、まずは己が受け入れられるようにならなきゃな。まだ時間はものすごくかかりそう。思い返したら普通に気持ち悪いし。それっぽい瞬間であればあるほど白けた目をした自分が色濃く出てきて、お前なにそんなキショいことしてんだよ恋愛アンチのくせにって声が聞こえてくる気がする。自分が自分を受け入れられようになるまでが長すぎてそれまでに愛想尽かされちゃったらそれまでってことで。じゃあ、ね。



“明るい人間が作る音楽はやっぱり怖いし、声がデカい人も怖い、運動部出身のやつも怖いし大人数の飲み会には行きたくない。でも来年は友達とバーベキューとかしてみたい。
ずっと心の中にいる17歳とか18歳とかの自分も、ずっと忘れないで大事にして呪われて生きていくことより「そんなのいいからあたしが出来なかったことあんたが取り戻してよ」って思ってるのかも。いやわかんないけどね。ずっとあたしに呪われててよって思ってる可能性も全然あるな、わたしのことだし。ま、いいか。
じゃあまたね。”

「空浮かぶ君の雲、寂しげ夏  |  四月」


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