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深い傷もいずれは瘡蓋に変わって剥がれ落ちるだろうか





夢を見た。場所は小学校の音楽室前で、メンツは高校の同級生が割合多め。でも後輩ポジションにはなぜか大学のサークルの子がいたり、とかいう謎のごちゃまぜ。夢あるある。

どういう経緯でそうなったのかは忘れたけど、私が幼い頃に書いた何かの文章がとんでもなく恥ずかしくてやばい、とのことを大勢の前で同級生にいわれた。全く心当たりが無いと言ったら同級生は、わざわざ最下階にある昔の記事か何かが保存されている書庫らしきとこまで行き、該当書面を引っ張り出してきた。当然それも大勢の前へ見せる。みんながこれはヤバイと騒ぎ立てる。でもやっぱり全然記憶になかったから自分でも確認したら、長期保存による文字のかすれで意味が変わっていて、同級生の完全なる勘違いだと分かった。つまり濡れ衣だった。

同級生は目を逸らしていた気がする。元々その子が苦手で、向こうからも嫌われてるであろう自覚もあったわたしは、ここぞとばかりに詰め寄った。勘違いだったし別にいいけど、それよりも私の醜態を晒しあげるためにそこまでするとは思わなかった、みたいなことを言っていた。そのときの同級生の顔は覚えていない。たぶんその辺りで目が覚めた。気分が悪かった。一緒に寝ている犬をリビングに連れていくため抱き上げてドアへ向かったら足が濡れた感触。犬がいつの間にかトイレをしていたらしい。しかも外している。あーー、さいあくです。



夢を見た。中学の時わたしを毎日のようにブスと笑ってきていた友達に、数年越しで反撃していた。あのときのあの言葉がいかに嫌だったか、そのせいで自分がどんなに苦しんだか、どれだけ泣いてどれだけ許せないか、そのせいで自分の外見へどれだけお金を使ったかを捲し立てた。言うだけ言って別れた後、その子からLINEで長文の謝罪が入っていた。既読だけつけてブロ削した。そこで目が覚めた。スマホを開いてもその子の連絡先はなかった。ブロ削したからじゃなくて、元々知らないからだ。LINEすら知らないようなひとを今でも夢に見て詰って責めていることに呆れた。せめてもの抵抗で、唯一知っていたSNSであるインスタをブロ解した。ちょっとだけ、すっきりした。




こういう、過去のトラウマ断片をくっつけた蜃気楼みたいな夢を、いつまで見続けるんだろう。しかも内容はいつも、現実ではでき得なかった鬱憤を晴らすようなもの。お前いつまで脳内でセルフスカッとジャパンやってんの?いい加減もう忘れたい。寝るのがだいすきなはずなのにこういうのばっか続くと疲れる。それならむしろ現実が苦しすぎて幸せな夢ばっか見て眠りすぎていた時の方がまだマシだったとすら思えてしまう。さすがに今の方が地に足ついた生活してると思うけど。いやそうか?昔のやなことばっかりほじくりかえしてるのに?瘡蓋になる前に引っ掻き回してるから傷が乾かない。なんなら今みたいにわざわざ書き出して思い出してるときもある。馬鹿なのか?馬鹿です。すいません。これが僕なりの治療法なんです。




小学生のとき、肩に穴があいているタイプのオフショルダートップスを着ていったら、何それ変なの、腕通すところ間違ってるよと笑われた。あのときの服のデザインを鮮明に覚えている。それからは服を毎日選ぶのがより苦手になり、ものすごく時間がかかるようになった。個性的な服は今でも大好きだけど着るのが怖いのはその記憶がこだまするから。その数年後、同じタイプのオフショルが流行したときはびっくりした。やっぱり間違ってなかったじゃん、と怒りが沸いてきた。遅い。遅すぎる。


高校生のとき、大好きなドラマをオススメしたら、その主演俳優よく知らないけど親が嫌いだから私も苦手なんだよねなんとなく、と言われた。私の好きなものはそんな曖昧で何となくの理由で否定されるんだ、って思った。別の作品でも似たようなことで否定された。好きを安易に共有しないようにしているのはその影響だ。そういうの苦手、といわれたらって考えたらだけで怖い。帰り道での曲がり角、友達と私が分かれる場所。最寄り駅に行くためにはそこが最短ルート。通る度に台詞が蘇る。


大学生のとき、新幹線より夜行バスの方が好きと言ったら、理解できない意味がわからないおかしいと、新幹線の魅力と夜行バスの欠点を延々と述べられた。別に新幹線が嫌だなんていってないのに。さすがにムッときたから途中までは反論してたけど、このままだと人格ごと全否定される勢いになってきたからめんどくさくなってやめた。でも相手は議論を止めることも嫌そうだった。私が新幹線の方が優れていますと認めるまで納得がいかないようだった。なんでただ夜行バスが好きなだけで、あんなにも全力で否定されなきゃいけなかったんだろう。なんでこんなくだらないことを夜行バス乗る度に思い出さなくちゃいけないんだろう。


何気なさすぎる些細な会話をいちいち思い出しては落ち込んで。きっと彼らはなーーんにも覚えてない。あなたは今まで人混みの中でぶつかってしまった人達のことを、自分で剥いて血が出たささくれの数を、覚えていますか?みたいなことだろうから。いちいち覚えてる方がきもいし。なのに思い出すのは世紀を揺るがすような大事件なんかじゃなくて、ほんの些細な出来事ばかり。怪我でいうならささくれとか、紙で切った小さな傷レベルだよ。

でもさ、ああいうのって地味に痛いじゃん。再発するし、忘れた頃に突然痛むし。なんとなく弄ってたら皮が向けて血が滲んできたり、消毒したら思い切りツンって染みたり。わたしにとってあなたたちの言葉ってそういう傷なんだよ。浅くて小さい傷だって、何度も何度も抉られたら深くなってたりするんだよ。


別に、私だって好きでこんな瘡蓋を弄り回して化膿させてるわけじゃないですよ。できることなら綺麗さっぱり忘れて、楽しい記憶だけに思いを馳せていたい。あの子たちとだってテーマパークいったりプリクラ撮ったり、同じ趣味で盛り上がったりして楽しかった瞬間だってあるよ。だから一緒にいたんだもん。ちょっとした価値観のすれ違いなんて忘れたいよ。でも、でも夢に出てくるんだもん。どうしても付随して嫌な痛みがぐっとみぞおち辺りを押してくるんだもん。なんでよ。なんで?なんのためにわたしこんなことやってんだろ、って、わたしがいちばん思ってんだよ。




“した方がすぐに忘れてしまうのなら、せめてわたしだけはずっと忘れないでいようと思っていた。そうしないと傷ついたその瞬間の自分が可哀想だと思っていた。わたしだけはあなたの悲しみをなかったことにしないよ、と、自分に対して思っていた。わたしがしてきたのはそういうことだったんだろうなあ、と、電話を切ってしばらくしてから思った。”




四月さんの文章を読んで、あーそっか、わたし、本当は忘れたくなかったんだ、と思った。


向こうが忘れてるのに私まで忘れちゃったら、あのとき辛かった私は居なくなってしまうみたいじゃないか。なかったことにしたくない。あんなに苦しんだのに、今もこんなに苦しんでるのに。あの痛みがあったから私は同じように人を傷つけないようになりたいって思ったし、傷つけるくらいなら傷つけられる方がいいとすら思った。あっち側にだけはなりたくないんだ。そのためには喉元を過ぎてから何年経ったって焼けるような熱さを忘れちゃいけない。だから忘れてなんかやらないんだ、たとえ謝られたって許してなんかやらないんだ、もしいつか再会でもしたら話の流れで絶対こうやって嫌味ったらしくほじくり返してやるんだ、ってずっとシュミレーションしてた。昔の可哀想な自分に寄り添って、代わりになんだテメェって怒ってあげたかったんだ。昔より強くなった今の自分を否定したくなかったんだ。



だけどもし、四月さんみたいに、私のところにも突然電話がかかってきて、あのときはごめんねずっと謝りたかったって泣きながら言われたりしたら、多分いいよって言っちゃうんだろうなあ。昔のことだからもう怒ってないよ、電話してくれてありがとうね、とか言いそう。うわー想像に容易くてやだなあ。

もしそうなったらそれはそれでいいのかな。でも許してないんだけどな。たしかに私も怒りっぱなしで生き続けることのしんどさには辟易してきたからもう怒っては無いんだけど、でも、ずっと許さないよわたしは。怒ることと許さないことって私の中では別だから。もうあんたが蒔いた痛みの種はあらゆるところに影響を及ぼすくらい根を張って草生やしまくってんだから。私が根に持ってんじゃなくてそっちが根を生やしたんだからね。ほらまたヒートアップし始めちゃった。





だけどさ、その根たちに栄養を与えるようなことはもうしなくてもいいかなって、思い始めてるよ。駆除すんのもだるいし適当に生やしっぱなしでいいかなーって。小学生の頃なんてもう何年前?数えんのも馬鹿らしいくらいには人生がこんなにも経過してんのよ。そんな長い期間ずっと、古傷を瘡蓋にさせまいと引っ掻き続けるのも疲れるしさ。そのうち言われないと分かんないくらい薄い傷痕になってくれたらなって、思ってるよ。人生ってたしかにキレ散らかしたままでいるには勿体ないくらい短いけど、忘れられる日を考え出したら気が遠くなるくらいには長いから。どうか綺麗に剥がれ落ちてください。じゃあね。


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