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美魔女の魔法「華麗なる加齢」とは何か。

私は美魔女に目が無い。

街ゆく美魔女を見つれば必ず顔が凝視できるポジションを陣取って網膜に焼き付け、バイト先に来店すれば必ず注文を取り、隙あらばお水のお代わりを勧める。

心の妻は竹内結子で在り、永遠の婚約者は石田ゆり子である。
「バカなの?」と罵っていただいて構わないが、通報だけはご遠慮願おう。

美魔女とは一般的に「年齢を重ねても容姿が美しく在り続ける女性」を指す言葉だ。物理学や生物学では説明が付かない不可思議なまでの美しさに対して「魔女」という言葉はまさに言い得て妙である。

私はそんな魔女の魔法にかけられた愚かな男だ。

愚か故に、どうしてもその魔法を解き明かしたいと考えている。
彼女たちの美しさを解明し、自らの言葉で説明し得るまでになりたいのだ。

これが自分に出来る美魔女に対する「唯一の抵抗」で在り、自分なりの「感謝」の表現方法なのだと思う。

さて、本題に移ろう。

本マガジン「美魔女論」では、美魔女に目が無いシャニカマが「美魔女の美しさとは何か」を解き明かす旅路を徒然なるままに描いたものである。簡単に言えば「性癖の吐露」だ。

まず第一回は「華麗なる加齢」というテーマで書こうと思う。
安易なダジャレとして片付けるなかれ、本人は至って真剣である。


1.「加齢」とはポジティブなものである

「アンチエイジング」という言葉が美容コスメ業界に飛び交うようになって久しいが、私は「ビバエイジング」である。ぜひエイジングして欲しい、と加齢を奨励する立場だ。(韻を踏んだのは事故に他ならない)

私の彼女は今31歳だがまるで見えない。
25〜27ぐらいにしか見えない。

ここに対して、私は不服である。
もっともっとエイジングして欲しいのだ。

おそらく多くの方が「加齢」を一概に「若さを失うこと」「美しさを失うこと」として否定的に捉えていると思う。
この視点を一度取り払って欲しい。

加齢とは「若さを失う」ではない。
「余分なものを削ぎ落として洗練させる」のだ。

美容とは必ずしも「足し算」ではない。
ハリを付けるためにシリコンを注入することもあれば、贅肉を落とすダイエットだってある。これは「引き算」だ。

お肌のハリを失うことだって、骨格の造形美を際立たせることに繋がる。
これこそがまさに「華麗なる加齢」だ。

このように、加齢することによってしか得られない「美」も存在することをまず認識して欲しい。そして、そこに大興奮する性癖が存在することも知っておいてほしい。


2.「失うこと」は「洗練させること」である

もう少し具体的に「華麗なる加齢」を紹介していこう。
まずは物理的な視点で捉えた「華麗なる加齢」だ。

前述の通り、加齢によって失うものがある。
その代表格が「お肌のハリ」である。

目元や口元に小ジワが増え、ほうれい線が濃くなってくる。
これは顔面の皮膚が伸びて余り、たるんできた証拠だ。

しかし、それでいてなお美しさを保っているのが美魔女である。
それは顔のパーツそれぞれの造形や配置の美しさがあるからこそなせる技。

つまり、シワができているのに美しいと思えるということは、並大抵ならぬそれ以外の美しさを兼ね備えている何よりの証拠なのだ。
国宝に認定されるような仏像が、金箔も禿げ、サビに覆われても人々の心を捉えて離さないのは、指一本一本の形状や曼荼羅の荘厳さを本体のデザインそのものがたたえているからであるように。

そういう意味で言えば、美魔女の美しさは「答え合わせ」とも言える。
若い頃は誰だって「若さ」という美しさが加算されていて、本質的な造形美が浮かび上がってこない。

しかし、加齢と共に「若さ」が削ぎ落とされて、本質的な美しさがあぶり出されてくるのだ。


3.美魔女は加齢と共に「文脈的価値」を有する

前項で述べたとおり、加齢と共に本質的な造形の美しさがあぶり出されてくる。それは目で見て感じる「物理的な美しさ」だけを想起させるものではない。

そこには長い年月をかけて育まれた「文脈」に対する「畏敬の念」を想起させるのである。

ちょっと混乱してきたと思う。安心して欲しい、私もだ。
ここはもっと噛み砕いて説明をしよう。

例えば、イチロー選手が引退した時に泣いた人と、泣かなかった人がいる。
彼らの違いは何だろうか。

それは「イチローに対する思い入れ」であろう。

もしイチローの事を高校時代、ないしオリックス時代から応援し続けていた人からしたら、彼の引退はとてつもなく大きな出来事であり、これまでの20年近い彼の輝かしいキャリアを思い返して深く感傷に浸るはずだ。

一方で、野球に対してまるで無頓着な人、WBCは観た程度のだったらどうだろうか。おそらく「あの人引退したんだ」だけで終わってしまう話だ。

これは、それぞれ個人が抱いている「文脈の長さ」の違いとも言える。
長い歴史を知っているほど「引退」という1つの出来事だけで想起する感情や思考のボリュームも多くなるのだ。

これと同じように、若い人がたたえている美しさには文脈がない。
広瀬すずを見ても「美しい顔で生まれたんだな」としか思えない。

一方で石田ゆり子を見ていると「ああ、101回目のプロポーズから27年たつってのにまだこんなに美しい…」「月面着陸の年に生まれた人がまだ色気を放っている…」と、その『時間との格闘』に対して畏敬の念が生まれる。

それこそ、未だに興福寺の阿修羅像を見て「すごい!」と思えることにも似ている。最新のCGを駆使した映画がコケ続ける中で、未だに1300年前の仏像が人の心を揺さぶっているのだから。

このように、美魔女の「華麗なる加齢」には、その文脈に対する感動というものも付与されて、若い美女にはなし得ない唯一無二の価値を有しているのだ。


4.まとめ

いかがだろうか。
美魔女が加齢と共に「華麗」になっていく理由がある程度論理的に説明できたと思う。

ちなみに「華麗」という言葉を紐解いてみると面白いことがわかる。

「華(やか)」には「きわだってはっきりしているさま。」という意味があり、「麗(しい)」には「乱れたところがなく、整っているさま。」という意味がある。

つまり、整っていることが際立つが故に「華麗」になるのだ。
肌のハリが失われて分かる「美魔女の美しさ」をまさに言い当てているとは思わないか?

世の女性にはぜひ、華麗に加齢していただきたいものだ。

サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。