アンチエイジング-100

アンチ・アンチ・エイジング

若くて綺麗な女性をみた時に「付き合いたい」「裸を見たい」と、思わなくなって久しい。今は「将来有望だな」と感嘆するだけです。
AKBだろうがNMBだろうが、私にすればいつまでも“候補生”のままなのです。

そう、私は無類の年上好きです。
対象に入るのは30代後半から50代後半まで。(今の私は25です)

私はあえて「熟女好き」という言葉は使いません。
「熟している」かどうかなんて、見た目じゃ判断できませんから。
むしろ人間がいつまでも未熟なままだと達観してみるならば、我々はいつまでも「熟女」「熟男」になれないのではないでしょうか。

少し話が逸れましたが、よくこんなことを語ると「どうして?」と聞かれます。「若い子の方が絶対いいでしょ?」なんて、大きなお世話です。

ただ、自分の理解が及ばないことに対して疑問を抱くのは人間として自然な感情です。私も答える義務があるように感じられます。

私はなぜ年上の女性が好きなのか。
なぜ、若い子ではダメなのか。

そんなことを考えながら散歩をしていた時、ふと以前読んだ小説を思い出しました。それは辻仁成さんの「青空の休暇」という小説です。

この話のあらすじはこんなものです。(この先軽くネタバレあり)

主人公は太平洋戦争でゼロ戦に乗り込み、真珠湾を攻撃した伝説のパイロット。今や老人となり、妻にも先立たれ、生きる意味を失っている。ある日、かつての戦友たちと意気投合し、ハワイへ向かう。かつて自分が爆弾を落としたその場所で、彼は何を感じるのか。

物語の終盤、偶然にも真珠湾攻撃で亡くしたかつての戦友が乗っていたゼロ戦がほぼ完全に保存された当時の状態で見つかります。それをかつてのパイロット、整備士たちである老人たちが体に鞭打って修理し、もう一度大空へ飛ばそうとするのです。そして最後には見事エンジンがかかる。

このシーンを読んでいた時、身震いがしたのを覚えています。
別に戦争モノが好きなわけでもなく、どちらかといえば苦手な私が酷く興奮を覚えたのです。

長い間、手入れされることもなく、風化し続け錆び付いた機体が、職人たちの手によって蘇り、今まさに息を吹き返したその瞬間。それは「右か左か」という政治的な姿勢を一切排除した純粋な心の核が揺さぶられた感覚でした。

その時の感覚は、年上の女性に対して抱く感動と全く同じです。
年齢を重ねて得た「落ち着き」や「包容力」の代わりに手放していった乙女心。それをもう一度芽吹かせて開放する瞬間に「可愛い!」と感動するのです。

考えても見てください、辻仁成がゼロ戦ではなくセグウェイを描いていたら。ただただハワイでテンションの上がった老人がセグウェイの電源を入れるだけの話。旅先でハメを外すジジイに誰が感動するのでしょう。

もちろん、セグウェイの機能性や近未来感を楽しみたい人だっています。しかし、私が追い求めているのはそんなハイテクノロジーがもたらす感動ではありません。
一度、失われたかに見えたものが、もう一度蘇る。その超自然的で予定不調和なスペクタクルにこそ、私は感動を見出すのです。

そして何より、ゼロ戦は壊れて動かなくなることもあるでしょうが、女性はいつまでも乙女心を失うことがない
私は学生時代にスーパー銭湯でバイトし、おばちゃん達から異常な信頼を勝ち得たことから「おばちゃんキラー」の名をほしいままにしていました。だから分かる。女性はいつまでも錆び付いたりしないし、永遠に現役の乙女たり得る存在です。

だとすれば、女性は年齢を重ねれば重ねるほどに、魅力を増す一方なのです。私からすれば永遠に右肩上がりな株式のようなもの。買わない手はない。(「買う」はあくまで比喩ですよ)

だから世の女性に言いたい。
しっかりと老いていただきたい、と。
老いてこそ、老いさらばえてこそ、そこに感動が生まれる。

年齢に抗う必要なんてない。
アンチ・アンチ・エイジングです。

サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。