屁ッセイタイトル2のコピー__45_

「バカっぽい」ということ。

企画に関する会議をしている時に、人間社内でよく出てくる言葉があります。

「バカっぽい」

これは真っ向から肯定する賞賛の言葉です。
スタンディングオベーションまでいきませんが、中腰か、少しお尻を浮かせて拍手喝采を送るぐらい、なにがしかを肯定している表現です。

前の会社にいた時には社外とのミーティングではもちろん、社内の会議でも一切出てこなかったワードです。(前職はスマホゲームの開発/運用チーム)

それが今や、人間ではクライアントさんの出してきたものに対してもこの言葉を使います。

「バカっぽいですね〜!」
「ここ、バカっぽくていいですね」

普通の会社でこんなことを言ったら長机がひっくり返されてもおかしくありません。一生懸命お金と時間をかけて作ったものを「バカ」よばわりしているのですから。

ですが、人間では違います。
なぜなら「バカっぽい」を追い求めているから。

「バカ」じゃダメなんです。
「バカっぽい」なんです。

「これバカですね〜」と言うと人間でも取っ組み合いになります。
「これバカっぽいですね〜」だと昭和の一家団欒中みたいな笑い声につつまれる。

「っぽい」が大事なのでしょう。

「っぽい」をつけることで、ある種一番「バカ」とは遠い存在であることを線引きしているような気がします。「お前と俺は違う」と目の前で人差し指を突きつけて断言するかのような。

「っぽい」はおそらく「意図した」というニュアンスが含まれているような気がします。敢えて「バカ」になろうとすることで、演出されたものが表面に堆積し、その結果「バカ」に見えている状態。それが「バカっぽい」です。

もちろん表面がバカに覆われているだけですから、中身は一切の妥協なく、計算し尽くされた公式が張り巡らされています。だから本質的には最も「バカ」から遠い存在なのです。

私もそうなりたい。
本物のバカじゃなく、そう見せられる「バカっぽい」存在に。


今日、急に前職の同僚からLINEがきました。

「お前、カバンと年金手帳とパスポート忘れてるぞ!」

私がその会社を辞めたのは昨年末。
約10ヶ月以上もの間、私は年金手帳とパスポートを前職に置いていたのです。

年金手帳と、パスポート。
ゴリゴリの個人情報じゃないですか。
もう「それを置いている」=「家」です。
前の会社が家だったとしか考えられません。
私は退職したようで、退職できていなかったのです。

なんてバカなんでしょう。



サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。