屁ッセイタイトル2のコピー__3_

人間はどうしようもなく、羽化する蝉を拝んでしまう。

2019年7月25日。

今日は花岡さんに密着する形で一日中ミーティングに参加し、議事録を取り続ける。
スケジュールや予算の話など、シビアだが重要な議論が続くディレクターMTG。私は「面白い企画」の裏にある血の滲むような努力と計算を目の当たりにし、感動していた。そうでなくちゃならない。

俺はここで「人間」になる。
奴隷を全うして、立派な「人間」になる。

そう腹を括ることができた。

時間はもう夕方の18時を回ったところ。
大きく伸びをしながら花岡さんが手元の時計を見てこう言った。


「シャニカマ、ウカミ用の花瓶買ってきて」


30秒前までシビアなミーティングをしていたのだ。
一体この国の何割がこの場面で「はい」とすぐ返事できるだろうか。

「ウカミ」とは「羽化見」のことを指す。花岡さんが提唱する新たな日本の伝統文化であり、イノベーティブな夏の風物詩だ。文字通り「羽化を見る」イベントである。

実は去年も開催されたらしい。
「羽化見酒」と呼ばれるその夜会は、蝉の羽化を見ながら食事をし、酒を飲む。参加者は物好きに限られるので少ないらしいが、満足度は異常に高いそうだ。

その蝉を羽化させる為に、木の枝を立てる花瓶が欲しいそうだ。
私は近所の雑貨屋、花屋を当たってようやく見つけた。

時間は19時になっている。

「蝉取りに行くで」

帰るなりすぐさま近所のうつぼ公園へ向かう花岡さんと自分、そしてライターのニシキドさん。そんなにすぐ羽化前の蝉が見つかるのか?

「あ、おった」

うつぼ公園に入って3歩目で見つかった。
花岡さんは足元の蝉を器用に捕まえ、拾った枝に捕まらせた。
おそらくあの蝉は花岡さんが呼び寄せたのだと思う。

結局、2匹の蝉を捕まえた一行はオフィスへ戻る。
今日は月に一度の「人間酒場」だ。オフィス内はその準備に忙しい。

しかし花岡さんはオフィスに入らず、玄関で何やら作業を始めた。どうやら蝉は暗い場所の方が羽化を始めやすいらしく、スタートするまで暗くした場所で彼らのコンディションが整うのをじっと待つと言うのだ。

何度も木から落ちそうになり、枝を降りようとする蝉を丁寧にベストポジションへ戻したり、誘導する。そんなことを結局40分以上も続けていた。弊社の代表取締役社長が、だ。

今回の主役である「クマゼミ」と「アブラゼミ」

降りてしまうクマゼミのために枝を反転させる花岡社長

私は正直思った。
「ここまでする必要があるのか?」と。

しかし、尊敬する社長のやることだ。
きっと大きな意義があるのだろう。

そう素直に信じさせる空気が、社長の背中から放たれていた。
だから自分も、あの場でずっと見守っていたのだと思う。

「どのぐらいで羽化するんですか?」
「90分ぐらいかな。だから酒場のコンテンツとしてちょうどいいのよ」

「セミ歴どのぐらいですか?」
「昔から昆虫は好きよ、セミトリエンナーレ(※)は2012年からやけど」
※花岡さんが主催して毎回自分で優勝するセミ捕りの大会

そんな話をしていると、パキッという音がした。
クマゼミの背中に微かな亀裂が走り、中から膨らみを持った白濁の身体が今にも溶け出そうとしている。

「花岡さん!出てきてます!」

私は人間に入って一番元気な声でそう言った。
「うそ!」と社長が渾身のダッシュでセミに駆け寄る。

そうして「羽化見酒」が始まった。

既に食事が振舞われ、酒を煽っている参加者が集うテーブルに、突如蝉が置かれる。

「これは『羽化見酒』と言って、安土桃山時代から江戸時代まで続いた日本の伝統的な習慣なんです。夏の風物詩として僕はこれを残していきたいんですよね」

花岡さんのそれっぽいスピーチに参加者は興味を示し、蝉をパシャパシャと撮り始める。言っておくがスピーチの100%は嘘だ。

「安土桃山から江戸って短くないですか?」と聞くと、社長は「蝉だけに」と返した。


そして、蝉は徐々に羽化を始める。

淡いピンク色に輝く胴体が茶褐色の殻を突き破って突き出してくる。
ゆっくりと、時間をかけて、丁寧に。まるで画家が最後の線を1本ずつ描き加えて完成させて行くような緻密で時間のかかる作業。

それが目の前で繰り広げられていく。
命が体感できる限界の速度で誕生していく。

誰もがスタートと言うべきフィナーレを迎えるため、息を飲んで見つめる。
蝉は空中ブランコにぶら下がったサーカス団のようにお尻一つで体を支え、究極に不安定な状態を続けている。

落ちるかもしれない。
落ちてしまったら、羽が開かず、死んでしまうらしい。

人間が忘れてしまったサバイバルな世界。
「生」と「死」はこんなにも近い存在なのだ。

蝉はだんだんと腹筋を縮めるようにして身体をかがめる。
そして、次の瞬間。蝉は前足で自分の捨てた殻を掴みとった。

「いけ!」
「お前ならやれる!」
「足をかけろ!足をかけろ!」

大の大人が蝉に向かって暴力的とも言うべき勢いで声援をぶつけ続ける。まるで母国のスポーツチームを応援するように、自らの子を産む妻を励ますように。

「ここで諦めてどうすんだよ!」
「お前ならやれる、諦めたら終わりなんだよ!」

蝉はビクビクと身体を震わせながら渾身の力を振り絞って殻を出ようとする。自分の手で、自分の足で、この世界を味わう覚悟を決めているのだ。

人間は勝手に産み落とされ、勝手に育てられる。
それは自分の意志でないのかもしれない。
帝王切開ならなおさらだ。

だが蝉は違う。
「出たい」と言う一心で、自らの力で這い出るのだ。

この世界にいいことはないかもしれない。
辛いことの方が何倍だって多いだろう。
でもそこで果たすべき使命があった。
だから出る。

そして彼はついに全身を放り出した。
生まれたのだ。

人間たちが次々に口にする。

「おめでとう」
「おめでとう」
「おめでとう」
「おめでとう」
「おめでとう」

誰が言い始めるでもなく。
皆が口々に、魂から発せられる音を素直に出した。

「おめでとう」

この世界に生まれて来たこと。
きっとそれは祝福すべきことなのだろう。
辛いからこそ、しんどいからこそ、祝福すべきなのだ。

私はセミに学んだ。

「この世界に生まれたことに最大の賞賛が送られている」

羽化見酒とは「なぜ生きるのか」と言う永遠の命題に1つの答えを見出してくれる。まさに現代にあるべき文化、伝統なのではないだろうか。





P.S.
セミが見たくて見たくてしょうがないでしょう。
そんなあなたに朗報です。

8.4に服部緑地で「セミトリエンナーレ2019」が開催されます。
もちろん主催は花岡さん、私も参加します。

セミ捕りの世界大会とも言うべきこのイベント、ぜひご参加ください。


サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。