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父の叙勲

こんにちは。

シェアラーあちです。

新聞をとらなくなって数年・・・
特段なにも困ることはなかった気がしますが(笑)、今日は久方ぶりに新聞を手に取りました。

自分で新聞を買いに行くなんて、人生初体験✨

理由は、昨日実家の母から、

「晶子、明日だけは新聞を買って!」

と電話がかかってきたから。

「明日発表される春の叙勲に、お父さんの名前があるの!」
と。

果たして、ありました〜

見覚えのある名前♡


例年どおりであれば、皇居で天皇陛下に拝謁する予定だったのが、今回のコロナ騒動で無くなってしまったそうです。

「モーニングを用意しないと」「配偶者も同伴だからお母さん用の着物も」と言っていたのが予定が無くなり、ホッとしたよなんて言いつつ、少しさみしそうでした。

せめて私が、コロナ騒動が落ち着いたら、北の丸公園とパレスホテル(←個人の趣味w)に連れて行こうと思います^^


父は信州大学工学部の電気電子工学科の教授でした。

研究一筋40年(退官後は日本語研究に15年ほど没頭中。研究歴は合わせて55年以上!)

そういえば、私がアサヒビールから独立して一番最初にやり始めた「強み発掘」で、父にもモニターをやってもらいました。

そこで出てきた最も本質的な父の強みが、「考え続けることができる」というもので、研究職はそんな父の資質に本当にピッタリな仕事であったなと、感激して、そしてとても嬉しく、伝えながら心震えて涙が出たのでした。

しかし、その後、父に関して、この比ではない感動が私を直撃しました。あの瞬間を思い出すと、今でも涙が溢れて止まらなくなる、父と私の大切な物語です。

父が研究していたのは「太陽電池」です。

それまでも、太陽光を利用して発電することができないか、研究が進んでいたそうですが、実用化には遠かったそう。理由は、材料費が高すぎたから。

父は、手に入りやすく安価な材料で、太陽光発電が効率よくできないかを考え、実験を繰り返したそうです。

そこから一転、退官後の今は日本語のルーツの研究に没頭。

日本語はどこからきたのか?誰によってもたらされたのか?

そんなことを、私には訳のわからないぶあつーーーーい本たちに囲まれながら、2面ある液晶画面に囲まれながら、毎日起きている時間のほとんどを費やして研究しています。

父に研究がピッタリなのは分かるけど、それにしてもなぜ太陽電池を取り上げたのか?

そして今なぜ、まるで共通点がなく、180度方向が違う日本語研究に没頭しているのか?

その理由は、私の思いもしないものでした。

太陽の力から電気が起こせたら、エネルギー資源を奪い合う必要がなくなる。

日本語のルーツを知ったら、世界と自分たちの繋がりがわかる。

それによって、世界から争いがなくなるんじゃないかと思っているんだ。と。

もう号泣・・・

えーーーーーー

そ、そんな志があったのかーーーーー

そんな大切なことを、どうして今まで言ってくれなかったんだーーーーー

特に大学の研究者の時代、子どもだった私の目には、決して順風満帆には見えませんでした。むしろ苦しそうな姿の方が、目に焼き付いています。

その頃感じた「仕事をすることは辛いことだ」というイメージ、
父の苦しみを自分のことのように感じて傷ついた記憶、
そんな苦しみの代償で受け取ったお金を使うのだから、父の思い通りに生きなくてはという思い込み・・・

これらが吹っ飛んだ瞬間でした。

父はやりたいことをやっていたんだ!!!

傷が癒されたと同時に私が決めたこと。

私は「自分の仕事の目的」を、「なぜ仕事をするのかの理由」を、
子どもたちに伝えよう。うるさいほどにねw

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