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見返りを求めずに弱さに寄り添う。村のような集合住宅「青豆ハウス」に学ぶ自導型コミュニティ運営

現代にあった「村」を再発明しようと立ち上がった新生シェアビレッジ。シェアビレッジが目指す、「村」の再発明とはどのようなものなのか。シェアビレッジの代表取締役・丑田俊輔と、各分野の最前線で活躍するシェアビレッジのパートナーとで語り合いながら、コミュニティの未来を考えていく対談をお送りします。

第二回は、出資者の一人でもある株式会社まめくらし、株式会社nest、株式会社都電家守舎などで代表取締役を務める青木純さんが登場。住人が当事者として主体的に関わるコミュニティを運営してきた青木さんには、どのような考えがあるのでしょうか。

住民も参加して管理する、村のような賃貸住宅

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丑田:ようやく、青豆ハウスに来られました!純さんの携わる"育つ賃貸住宅"「青豆ハウス」や"地域とつながる食卓"「都電テーブル」など、業態としては「住宅」「飲食」であるもの、「村のようなコミュニティ」になっているなと思っていて。今回は、その背景にある考えなどを聞けたらと思って伺いました。青豆ハウスでは、運営はどうされているんですか?

青木:管理・運営はまめくらしなんだけど、庭掃除など必要な作業は住人で担当して対応してますね。青豆ハウスは、いわゆる管理会社としての仕事はほとんどしてないと言えると思います。

例えば、庭にある植物への水やりだと、知らない間に埋まっていたものに対して、「あなた水やりしてください」って言われたらやりたくないですよね。でも、自分たちで植えた植物だったら、自分たちで水をあげようってなるんですよね。

水やりや掃除が必要になるけれど、一人でやるのは大変だから、週代わりでやってみようとなる。そうすると、当番の人達は、毎朝水やりをしていると、通勤や散歩している地域の人と会って、少しずつ顔なじみになっていく。

そこからコミュニケーションが生まれたり、褒められたりして、さらに活動するようになる。良い活動の連鎖が起きるんだよね。それを続けるうちに、住人が自立していき、自立した住人によって運営される賃貸住宅に育っていく。そんなことを考えて運営してます。

うっしーとは、コロナが日常に影響を及ぼし始めた2月、最小単位の社会としての安心できるホームがあってよかったよねって話を南池袋公園でしたんだよね。

丑田:そうですね。一人ひとりが参加してつくる村のような社会が日常にあるって豊かだなと。でも、ちょっと小さいので、色んな村と繋がってたらもっと良いなと。シェアビレッジが目指していきたい世界観は、この公園での会話の中に詰まっていたように思います。

青豆ハウスの運営の方法は、最初から設計というか、狙ってつくってきたんですか?

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青木:最初から、理想としては考えてましたね。青豆ハウスのロゴは、8枚全部バラバラの形の葉っぱが集まっている。これは、あえてそうしていて、木に葉っぱが宿ることで、一つの魅力的な住居をつくっていることを表現しているんです。このロゴに真ん中はなく、大家の「青木純」はいないわけですよ。大家である自分は根っこにいる。

青豆ハウスに暮らす人は、このグラフィックに込めた想い、青豆ハウスの思想みたいなものを大事にしてくれていて、それを支え合っている。だから、共通のルールは家訓のようなものしかなくて。会社でいうクレドみたいな感じのもの。

それは、「無理せず、気負わず、楽しもう」、これだけ。青豆ハウスには、この感覚を大事にしたい人たちが集まってくる。入居するときも、その話しかしていないんだよね。建物や設備のことも説明しすぎないようにしてる。

話を聞きに来た人はスペックの詳細は、全然わからない。だけど、それでいい気がしていて。「住まう」っていうのは、その場所の思想に共感して、そこにいる。それが大事なんだよね。縛りを強くしすぎない、共感を大切にする、そこにいることを重視する。シェアビレッジで育んでいきたいコミュニティも、こういう点は重要なんじゃないかな。

丑田:たしかに。これから村をつくって運営する村長にとってのヒントになりますね。コミュニティを運営するためには、どういう人に入ってもらうかも大事だと思います。青豆ハウスは、住人を決める時に面談があるじゃないですか。新しい人が入ってくるときは、どうやって決まっていくんですか?

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青木:基本的には、主観を大事にしてますね。「一緒にご飯を食べたいか」「一緒にお酒を飲みたいか」と思えるかが一番大事。だから、初めて会ったときも、「普段何食べている?」「どんな物が好き?」っていう話ばかり。そうすると、相性がわかる。

それで、自分が判断しつつ、必ず住人にも接してもらうんですよ。一緒に面接みたいな感じじゃなくて、住人は中庭で過ごしててもらって、新しい住人候補の人が来たら挨拶する、「こんにちは」って。それで、それぞれの主観でどう感じたのかって意見を共有してもらう。

丑田:そうすると、相性が合わなくて断っている人もいるわけですね。

青木:そうだね。例えば、「仕事上の付き合いもある」とか「住人と友達で」とかだと、この人が青豆ハウスに入ったら面白そうって思う。だけど、「みんなから聞いた意見でこの人に決まったから」ってなることもある。でも、それってすごい大事。知り合いだったから、とかで無理して入れちゃったりすると、お互いに後で苦しむから。

丑田:その先、一緒に暮らしていくことを考えると、主観も含めてこの先一緒に過ごしていけそうか?を大事にしないといけないんですね。同時に、自分の価値観だけで判断すると時に同質性が高くなりすぎてしまうから、ある程度コミュニティに委ねることで、結果的に多様性が高まっている。

青木:「この人だったら、ご飯を一緒に食べたら楽しそう」「無言でいても苦しくないな」って感覚が大事。日常って、そういうことの連続だから。共創が起こるようなコミュニティにしていくためには、そういう場面で何かしらの形で参加ができることや、一緒にいても無理がない人に入ってもらうというのは大事だと思うな。

居る人が無理をしない、贈与がめぐる居場所づくり

丑田:実際に暮らしを共にしていて、コミュニティの参加者が変わっていくことはありますか?

青木:あります。暮らしてると、面倒なこともしないといけないですよね。例えば、ゴミ出し。青豆ハウスの場合、2階が玄関だからそこから出て、ゴミ捨て場にいかないといけない。ガラス張りになっているところも多いから、家から外が見える。そうすると、ゴミ出しのタイミングでも少し見られていることを気にしておしゃれしたりする。面倒な作業なのに。

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丑田:ちょっと身構えている状態なんですね。

青木:そう。だけど、暮らし始めて3週間くらいすると緩んでくる。日常的にやらないといけないゴミ捨てをするときに、ちゃんとしてられないよね。だんだんと寝間着でゴミ捨てにいくようになる。そうやって、自分の素の状態を分かち合えるようになった瞬間、すごい楽になる。自分の素をさらけ出すことが怖い人は住み続けられない状態なんだよね。

丑田:たしかに。「家」なのに素を出せないのもつらいですし、共同で暮らすってのはそうことですよね。組織において「心理的安全性」という言葉があるように、コミュニティにおいてもそうしたものが求められる。無理して、素を出せない状態だと、共創型のコミュニティになっていくのは難しい。

青木:そうそう。村長が自分の素を出していけるといいと思うんだよね。青豆ハウスの住人はみんな、「青木さんはすぐ酔っ払うと寝てしまう」とか「寝るといびきがうるさい」って、知っているわけですよ。それを知った上で、「あー、青木さん今は疲れてるんだね」と見守ってくれるみたいな関係性が良い。そういう意味では一人ひとりの個性がわかるのも大事だよね。こういうときに、「これは許せない!」ってなってしまうのはダメ。

例えば、青豆ハウスだと掃除も週替りで当番制なんだけど、「つらいときはやらなくていい」って言っていて。やらなくてもいいよが先にあり、やらないことは容認されている共同体ってすごい楽。

丑田:それは面白いですね。「村八分」って言葉があるように、昔ながらの集落だと、なにか自分の仕事をサボってしまったとしたら、冷たい目で見られてしまうこともある。青豆ハウスは、ある種の集落ではあるけれど、そういう村八分になるようなことが起きないようになっている。コミュニティを運営する際、「やらなくてもいい」という状態をつくりだす、というのは大切なヒントですね。青豆ハウスではそうした空気にするために実践していることはありますか?

青木:青豆ハウスの場合は、「気づいた人はやってもいい」というのも明文化されている。だから、気づいた人が掃除をやっていたとしても、やらなかった人が気まずくなることもない。

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丑田:義務感ではなく、その人がやりたいからやる。それはプレイフルですね。僕らは、プレイフルなコミュニティ運営を大切にしているので、人が主体的に参加できるような明文化もポイントになりそうです。

青木:もちろん、誰かにだけ負担が集中するのはよくない。ただ、こういうのって恩送りのように、恩を受けた人はいずれ返したくなる。例えば、普段は忙しくて掃除ができない人は、自分に時間があって他に掃除ができない人がいた時にさっと動く。

これを「ギブアンドテイクが大事、必ず返そうよ」というニュアンスになると、義務になってしまう。「いつでもいい」「やらなくてもいい」って言える状態をつくると、逆にやりたくなるのが人間なんだよね。

丑田:良いコミュニティは、贈与が回るんですよね。見返りを求めないというか。誰が偉いとか、誰がやったとかもあえて主張しない。

青木:贈与がめぐるのはすごく大事。弱っているって言えることも大事で、強がらないことで人は支え合えるんですよね。

日常を共にするから生まれる支え合うつながり

丑田:日常をともに過ごす共同体だからこそ、大切な部分はいろいろありますね。

青木:日常って大事ですよ。日常は、ごまかしが効かない。良いことばかりではなくて、誰かが体調を崩すことだってあるし、なにか不幸な出来事が起こることもある。青豆ハウスは、楽しそうな部分だけに注目されて羨ましがられるけれど、住人は共同体のなかで起きている辛いことや悲しいこともわかっちゃう。互いの大変な部分に寄り添って、分かち合っていられるというのは、最高の信頼関係だと思う。

丑田:日常を共にして、弱さも含めて共有できている共同体だからこそ、そうした信頼関係も醸成される。青豆ハウスでは、実際に大変なときの支え合いもあったんですか?

青木:ありました。一時期、ある一家の奥さんが病気にかかって入院して、もう青豆ハウスに帰ってこられるかわからない状態になったんだよね。僕は大家なので、それを住人よりは早く知るんだけど、これを隠しても仕方ないなと思って、大家としてみんなに共有した。そしたら、最初はみんなショックを受けてたんだけど、その後「どうしたらいいんだろう」「何ができるだろう」って話し合いが始まって。

入院中の住人に何ができるかを考えて、FacebookのMessengerやLINEで動画やメッセージを送るようになった。その住人はすっごく喜んでくれて、一時期はどうなるかわからないって医者にも言われていたんだけど、結果的に退院できた。この経験を共にしたのは、青豆ハウスにとって大きかったね。

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丑田:大変さをわかちあって、住人のみなさんで寄り添ったんですね。ここまで純さんからお話いただいた青豆ハウスの住人同士のつながりなどがあったからこそ、困難に直面した際に助け合えたように感じます。

青木:そう。家族の誰かが大変なときって、他の家族にも負担がかかる。でも、自分から誰かに「助けてほしい」って言いづらい。助けを求める対象が青豆ハウスの住人であってもそう。

だから、ドアノブに「今声かけていいよ」ってかけて、声をかけていい時間を示せるようにしたんだよね。そしたら、声をかけやすくなって、「運転変わってもらえる?」「あれ、買ってきてもらえる?」「晩ごはん一緒に食べる?」とか、そういう助け合いがしやすくなったんですよ。

丑田:それも、義務感とかではなく、一人ひとりがなにかしてあげたいな、力になりたいなという気持ちから自然と起きたことなんですよね。

青木:そう、自然に。積極的に、相手に何かをしてあげたくなる関係性をつくれるか?というのは暮らしの共同体においてとても大事。その家族は、退院して青豆ハウスに戻ってこれたんだけど、しばらくして新型コロナウイルスが広まって。東京で暮らすには不安があるからって、今は退去したんだけど、そんな背景があったから、その家族が暮らしていた家は、「実家」にしようってなって、残してある。

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丑田:離れているけれど、つながっている。血がつながっているわけじゃないけれど、家族みたいになっている。しかも、もともと住人の方が住んでいた部屋が青豆ハウスの「コモンズ(共有資産)」になっている。コミュニティのコモンズをみんなで管理・運営するというのは、シェアビレッジで生まれていくコミュニティでも大事にしていきたいことです。

青木:この部屋はいま住人だけが使っているんだけど、シェアビレッジを使ってより多くの人が使えるコモンズとして運営できたらいいなと思っているんだよね。村民になってくれた人にとっての東京の実家のような場所になって、たまに泊まりにこれるようになったら面白いよね。

丑田:それは面白いですね!ぜひやりましょう!そうしたら僕も東京に来たときに泊まれますし(笑)

大家として責任を負うべき場面と、大家であることを忘れてもらう場面

丑田:青豆ハウスみたいなコミュニティをつくりたいと思っている人は、どうすればいいと思いますか?

青木:一緒に暮らすためのコミュニティであれば、始めるときのリスクが大きいんだよね。どこに建てるか、どんな設計にするか、お金をどう集めるかなど。個人的には、参加する人の責任は重たくなりすぎないほうがいいと思っていて、だから青豆ハウスには大家がいて賃貸契約にしてる。

大家がリスクを背負って始める。それを家賃という形で返してもらう。だから、家賃って株式会社における株みたいなものだと思う。住人と大家は、暮らしをつくる共同事業者のような感じ。

丑田:なるほど。リスクのとり方は同じではないけれど、言い出しっぺの村長と村民が共同事業者のような関係にはなるわけですね。

青木:あとは青豆ハウスというコミュニティにおける村長、大家としては家賃が暮らしのどこに適用されるのかという考え方を持ってもらえると面白い。部屋の住居にかかる家賃以外に、「組合費」のようなものを払ってもらうようにしてもいいかなと思ってるんだよね。

例えば、組合費をつかって、青豆ハウスが特定の生産地とつながって、野菜を買い続ける仕組みを作ってもいいし、生協組合のような仕組みをみんなでつくって運営してもいいし、実際に実店舗を出したっていい。

こうした、部屋に払うお金に加えて、そこでの暮らしをつくるために払うお金があってもいいんじゃないかなと思っている。

丑田:住人により運営に参加してもらうためには、お金がなににどれだけ使われているか?という点を透明化する、理解してもらうというのは大切ですよね。青豆ハウスでは、いまはまとめて家賃として払ってもらっているんですか?

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青木:今は、家賃と共益費。もっとこうしたいなと思っているのは、共益費の用途の可視化かな。ただ、今も大きな工事をするとなったときの見積は全部透明化してる。見積を共有して、住人と相談しながら決めている。大家として、背負う責任は背負うけれど、隠さずにさらけ出してみんなで分かち合うこともある。

丑田:責任を負う部分と分け合うところを分けているんですね。そうやって組合費を設定できたら、それを生活環境等に合わせて、用途調整もできそうですよね。

青木:そうそう。だから、コロナがはじまったときも、それぞれの生活環境は違うけれど、みんな厳しい状況なのは間違いない。だから、大家から家賃を引く話をする。「苦しい人は相談してね」って言ってはいたんだけど、なかなか相談はしてもらえない。

だから、「来月から一律で2万円引きます」と、大家として伝えた。これは大家だから言えること。みんな、暮らす場所ってすごく大切なので、それを失ってしまうのは避けたい。だから、「これを言ったらどう思われるだろう」って気にすることもあるかもしれない。そのときに、責任を持って発言するのも大家の役割かな。

ただ、大家として必要なときにはリスクを取るけれど、日々のなかでは大家であることを忘れてもらうことも大事だと思っていて。そのためには、自分も住人の人たちと同じ立場、隣人になる。それで緊急時は、大家として責任を持つんだけど、基本は大家だってことを忘れてもらって一緒にやる。

丑田:責任は持ちつつも、日々はみんなで参加して暮らしをつくっている。誰かが大変なときには寄り添って、助け合う。青豆ハウスは本当に村的なコミュニティですよね。共創型のコミュニティをつくっていこうとする人にとって、このあたりの村長としてのあり方、運営の心構えは大事なヒントになると思います。純さんは今後、青豆ハウスのような場所は増えていくと思いますか?

青木:大変なことがあったときに、誰かとつながっている、近くに誰かがいるというのはそれだけで安心できる。つながっていたら、なにかあれば連絡し合えるし、贈り合える。こういうコミュニティは、これから増えていくと思うよ。シェアビレッジのようなプラットフォームがあれば、それはより多様になっていくと思うし、互いにつながっていくと思う。そうしたら今よりももっと助け合いながら、プレイフルに暮らしていけるんじゃないかな。

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