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労災保険、厚生年金、健康保険;社会保障は福祉目的で作られた制度ではない

こんちは!副業社労士まさゆきです

労災・厚生年金・厚生年金・健康保険…先進国には右の社会保障制度が導入されています。「社会保障=福祉」のイメージですが、成立の歴史を見ると“福祉目的だったのか?”と感じます。

社会保障制度は
①    産業革命が生んだ劣悪な労働環境が引き金となった社会主義運動抑圧の
  対価として
②    帝国主義の国力増強の基盤となる労働力を確保するため
出来た制度です。
“福祉”という発想はありません。

成立過程を見てみましょう。

《社会保障制度成立の歴史をやさしく解説》
◎産業革命以前の工場機械は“人が機械を動かし“、人の労働時間以上の生産は不可能でした
◎産業革命で機械は自動化されました。24時間動かせる機械を“補助”する人
 (女性・子供でも可)を大量に集め大量生産が始まりました。
◎労働者は長時間(1日14~16時間)劣悪な環境で働かされました。工業地
 帯はスラム化し、労働者の平均寿命は短かった。1847年のイギリスリバプ
 ールの労働者平均寿命は15歳でした(子供が多数働いていました)。労働
 者は団結し労働条件改善を訴え社会主義運動が始まります。
◎産業革命先進国は大量生産した製品を拡販し国力を増強します。「大量生 
 産の為必要な原材料と労働力の確保」「大量生産製品を販売する市場」を
 求めた植民地獲得競争=帝国主義の始まりです。イギリス・フランス・ド
 イツは植民地獲得を争います。大量生産品には武器も含まれ、工場生産力
 が軍事力を含む国力増強に繋がります。
◎国力増強のネックである労働力確保のため「社会主義運動の抑圧」「劣悪
 な労働環境を改善」する目的で社会保障が制度化されました。

ここに“福祉”という発想はありません。

《実際の動き》
産業革命は1760年代にイギリスで始まりました。産業革命先進国のイギリスは世界中(植民地)から原材料と労働力を集め覇権国家となりました。

社会保障制度は、イギリスに追い付くためドイツで制度化されました。
1883年、ドイツで疾病保険(健康保険)が制定されました。1884年には労災保険、1889年年金保険が整備されます。社会保険制度を創設したのは、分裂していたドイツを統一しドイツ帝国を作った「鉄血宰相」ビスマルクです。

ドイツ帝国設立の1871年、ドイツでも産業革命が興り、国力を増強しイギリスに追い付くため労働力確保が重要な課題でした。社会主義運動を抑制し、労働環境を改善して労働力を確保するため社会保障制度は作られました。ビスマルクの代名詞である「飴(社会保障制度創設)と鞭(社会主義運動抑圧)」です。ドイツ帝国建国からヴァイマル共和政(1918年)の47年でドイツは世界第二位の経済国となりました。

イギリスとフランスも追従します。
イギリスの労災保険は1897年、フランスは1898年に成立しました。労災法を先行成立させたことが、労働力確保が重点課題だったことを示しています。両国の年金保険・医療保険は元々あった職域別共済組合の職域拡大で徐々に充実されます。イギリスの年金保険は19世紀末~20世紀頭に整備、健康保険は1911年に国民健康保険法が成立しました。フランスの全労働者に対する年金保険は1910年に、公的医療保険は1928年~1930年に成立します。

遅れてきた帝国主義国日本はドイツに倣います。労災保険については、1905年に鉱業法、1911年に工場法、1931年に労災扶助法(土木・建築作業員を対象)を成立しました。日露戦争(1904年)から日中戦争(1937年)の間に労災保険は整備されたことになります。
健康保険は1927年の成立です。第二次世界大戦中の1942年に労働者年金保険制度が成立しています。

歴史上の事実には必ず光と影があります。両者を理解する事が未来を見通す力になります。
歴史を学ぶ理由です。
社会保障制度は福祉国家の基盤ですが、作ったビスマルクの動機は違います。中高校生にどのように教えるべきか?私は光と影を合わせて授業すべきと思いますが…

ではまた次回

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