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30年間働き続けた夢の結末『3万3千平米』/夢のマイホーム②

田舎では一軒家が当たり前だったが、都会に出るとそうはいかない。そもそも土地が少ないのに、人口が多いわけで、一人当たりの土地が不十分な訳だから、その値段だって高騰して当然である。

よって、都心で働く人々は、代々の土地持ち以外は、最初に賃貸住まいをして、どこかのタイミングでどこかの土地だったり、マンションを買ったりする。

しかし、収入と不動産の立地との兼ね合いが非常に難しく、自分の収入に見合った土地を探すとなると、どんどん中心から離れた場所を選ばざるを得なくなる。

かと言って、立地を優先して高い買い物をした場合、月々のローンは大きくなり、返済期限もずっと先になってしまう。

返済期限が70歳で設定した場合、結局家賃を70歳まで払い続けることと同じ意味合いとなり、それって持ち家と言えるのかと思ったりもする。

・・・とそういう訳で、土地を買う、家を買うというイベントは、大袈裟ではなく、自分の人生を象徴する出来事なんだろうと思うのである。


さて、そんな持ち家・土地を巡る話題は、ちょうど日本が高度成長期だった頃に多くの作品を発表していた藤子F作品においても、たびたび登場するテーマとなっている。

そこで「夢のマイホーム」と題して、人生のメインイベントとばかりに、土地購入・家の購入に命を燃やす人々の泣き笑いを紹介していく。

まず一本目として、オバケのQ太郎が居候する大原家の土地事情を描いたお話を取り上げた。新規物件をめぐるトホホな一日を描いたお話であった。


続けて、「異色短編」に分類されるお話を一本取り上げてみたい。こちらも、主人公の土地に対する切実な想いが見て取れる、悲喜こもごものお話となっている。

『3万3千平米』「ビックコミック」
1975年8月10日号/大全集・異色短編2巻

読み進める前に、まずは土地の価値についての情報整理から始めたい。

本作のタイトルとなっている『3万3千平米』とは、1万坪のことを指す。まず一坪=3.3平米(㎡)の計算式を確認しておきたい。

土地の値段は一般的に坪単価(一坪いくら)で計算される。本作中に24坪の土地を買う買わないの話が出てくるが、これは約80㎡のことを指す。

80㎡と聞くとそれなりに広いのでは?と思う方もいるかもしれないが、実際には土地一杯に家を建てるわけにはいかず、ざっくりと建ぺい率60%で考えて、住まいの部分は48㎡となる。二階建て、三階建てにしたとしても、手狭だと感じるのも無理はないのだ。
(建ぺい率=「土地面積と建築された建物面積の割合」のこと)

では、坪単価どれくらいが「適正」なのか。これが問題である。例えばネット検索してみると、東京23区内で最も高い世田谷区の坪単価は276万円となっている。先ほどの24坪で言えば、土地代だけで6600万程となる。

一般的に上物(住居)にも数千万かかるので、世田谷で24坪の土地を買って家を建てるとすれば、ざっと1億はかかる計算となる。1億で80㎡の住居と考えると、さすがに高い買い物のように思えてくる。

と、このくらいの前情報を頭に入れつつ、本作を見ていきたい。


本作の主人公である悩めるサラリーマンの名は寺主(じぬし)。地主と呼び名が一緒なのはF流のダジャレだろうが、作中でシャレにもならないなどとギャグにしたりもしている。

寺主の一生の夢は、広い土地と広い家を持つこと。これが冒頭、眠った時の夢として可視化される。門から玄関まで30分かかり、玄関から奥の部屋までも相当歩かないといけない広大な敷地と屋敷を持っている。しかもここは都心であるという。

そんなあり得ない夢から目覚めると、その日は幼馴染みで不動産業を営む安田と、「掘り出し物」の土地を見に行く予定であった。


寺主が安田に案内されたその地は、都心からかなり離れた場所で、しかも24坪と極めて現実的な狭小地であった。ウ~ンと呻るばかりの寺主に対し、安田は、いかにこの場所がお得かを説明する。

持ち主が売りを急いでいる事情があり、この辺としては格安の坪単価25万であるという。友だち相手ということで商売っ気も考えていないが、早く手金を打ってくれないと押さえきれないという。

しかしこの安田は、口が悪いタチのようで、躊躇する寺主に対して、「僅かな貯金と僅かな退職金の前借りで」とか、「お前ってやつは子供の頃からグズでのろまで、だから出世できねえんだよ」などと突っかかってくるものだから、寺主もつい反発してしまうのであった。

結局この日は妥結せず帰宅。後ではっきりとわかるが、寺主は安田の物言いが気に食わないから、購入を決めないのではなく、自分の夢であった土地購入を、このような狭小地で手を打って良いのかと踏ん切りがつかなかったのである。


寺主が帰宅すると、仮装パーティー帰りのような服装の男が面会に来ている。いきなり何を言い出すかと思うと、「是非とも御承諾いただきたい」と、丁寧にお辞儀してくる。

何のことかわからない寺主に、妙な恰好の男は「開発局の用地課に籍を置く者」だと名乗る。そして「一平方メートル一万円、いや二万円で」などと言い出すものだから、「そんな安い土地が一体どこに」と寺主は驚く。

「さっぱり話がわからん」と寺主が困惑すると、急に男は顔を真っ赤にして「あなたの土地の話に決まっている、三万三千平方メートル、新空港用地として買収したいと言っている」と激昂する。

男はすぐに「取り乱してしまって」と反省するが、寺主は訳のわからない土地買収の話を聞かされ参ってしまい、そのまま布団を敷いて寝てしまう。男は「用地課員として失格だ、出直します」と言って、帰ってしまう。

ちなみに先ほどの男の話を真に受けると、33000×20000で6.6億の提示をされたことになる。調子が悪くなるのも仕方がない程の金額なのである。


この後本作は、寺主の24坪購入話と、三万三千平米(=1万坪)の売却話が並行して描かれていく。

先ほどの男は土地で苦労しておかしくなった男ということで落ち着く。一方の24坪の土地については、「残業して内職して倹約して貯金して温めてきたユメの結末」として、なかなか購入に進めないでいる。


翌日、駅までの道すがら、ご近所さんと一緒になり、またぞろ土地の話題となる。地価が上がり続けているのは大企業の買い占めや、大地主の売り惜しみがあるからだと盛り上がり、「生活の基礎である土地によって暴利を得る奴らは社会のダニ」などと、不満をぶちまける。

もちろん、盛り上がった後は、「しかし、いっぺんダニになってみたいものですな」と冗談で締めくくるのだが、これはサラリーマンにありがちなジョークであり、この後の展開を示唆するセリフでもある。


会社で安田から電話を受けるが、ここでも口論となってしまい、土地購入の話は引き続き進まない。一方、昨日家に現れた男が、今度は昭和のヤクザ風のコスプレで現れる。(本人は身なりを整えたと言っているが・・・)

そして上司に相談した結果「一平方メートル3万円、総額9億円まで払う」などと、さらに荒唐無稽具合をアップさせてくる。寺主は「無い土地は売れない」とやり過ごそうとするのだが、揉み合いとなってしまい、「ごね得を狙っているんだろう、お前みたいな奴は社会のダニだ」などと罵倒されてしまう。


寺主の奥さんは「狭くても良いから早く決めて欲しい」とせっつき、寺主は翌朝、安田に午後三時に会社に来るよう伝える。決心したと言いつつも、「30年間働いて24坪か」と空を見上げる。全く納得していないのである。

こういうどっちつかずの精神状況の時は、大いなる過ちを犯すものだ。何気なく眺めていた新聞に、新宿から30分で坪15万円の土地の広告が載っていて、寺主は小躍りして、「見るだけ見てくるよ」と奥さんの制止を聞かずに出掛けて行ってしまう。

現場は緑の多い南向きの斜面で、寺主は「気に入った」と格好つける。業者の男は「首都圏の軽井沢と呼ばれている、今朝から引き合いの電話が鳴りっぱなし」などと、急かしてくる。

どうやらこの後即決したようで、寺主は「これこそ俺の土地だ」と100万円を投げだして契約してしまったと、会社を尋ねてきた安田に誇る。

有頂天になっている寺主を横目に、真剣な表情で契約書をパラパラと確認している安田。そして怒りに満ちた様子で、物件説明書を読んだのかと尋ねてくる。

「ざっとね」と寺主が答えると安田は、

「緑地地域だってこと承知の上で買ったのか!? こんなとこ何万坪買ったって、家なんか建ちゃしねえんだぞ!!」

と声を荒らげて机を叩く。真っ青になって「訴えてやる」と寺主が立ち上がるが、「法的に全く問題なく、手金を諦めるしかない」と冷たく言い放って、安田は帰っていくのであった。


ということで、この夜は夫婦で大喧嘩。部屋中に物が散乱し、寺主はボコボコにされている。息子の一郎は、全く意に介さずに「家が狭いんだから静かにしてくれ」とつれない素振り。

寺主は「お前たちに家一軒建ててやれない」と泣き崩れる。奥さんも冷静になり「お金なんてまた貯めればいいわよ」と慰めモードに。一郎は「借家で良いからもっと広いとこへ引っ越そうよ」と現実的なことを言う。

このあたりの寺主家の三者三様の思惑が面白く、夫は家を夢の結末と考えるロマンチストな側面があり、妻は狭くとも自分の家が欲しいリアリストの考えを持つ。息子は、借家で良いから今より広い家に住みたいというより実利主義的な現代っ子である。

土地や家を巡る意見があちこちで衝突するのは、こうした住まいに対する考え方が人それぞれであるからだと、考えさせられる一場面である。


さて、そんな大騒ぎをしていた寺主家に、三度妙な男が出現する。今度は成田闘争を封じ込めようとする機動隊のコスプレ(?)をしており、書類を手にして「あなたの土地に強制収用法が適用されることになった」と告げる。

そして続ける。

「そもそも土地なんか誰のものでもないはずだ。宇宙に生命が発生するはるか以前に、既に土地は存在していたのだ。しかし我々は秩序を重んじる。例え根拠の薄いものであってもだ」

だいぶ冗談めかしたセリフではあるが、「そもそも土地とは何か」という思考を巡らせるのに十分な素材を提供してくれている。

人より先に存在してたもの(=土地)が、後付けで誰かの所有物になるのは、おかしいという根本的な問いが含まれているのだ。

ここでは土地所有論へ深入りするのは避けるが、土地は人間より前にあったが、土地の価値は人間の後に生まれた、という一つの考え方をここで提示するまでに留めたいと思う。


結局男の話は最後まで理解できなかったが、収用法に基づき時価三億円の宝石が、寺主に支払われることになる。意味不明だが、現実としてお金が手に入り、豪華な一軒家が建った。

寺主は高級そうなガウンを着て、豪華なソファーに座り、葉巻を口にくわえる。広い庭では奥さんと息子が嬉しそうに歩いている。3人とも願いが叶い大満足なのである。

ここで寺主は、一連の事件について思いを巡らす。ひょっとして、という心当たりがあるというのだ。それは、引っ越しのドサクサで出てきた一通のパンフレットだった。

寺主が手にしたパンフレットには、「火星の土地権利書」と書かれている。十年も前に流行したジョークで、千円出して一万坪買ったのだという。そして、さらに想像を巡らす。

「ひょっとして遠い星の人間が火星を開発しようと・・・」

寺主はもう空想は止めようと思い至る。寺主の分不相応な豪邸の上空では、無数の星がきらめいているのであった。


ところで、本作に出てくる「火星の土地権利書」なるものは実在するのだろうか。

気になってネット検索したところ、宇宙に関心が向かい始めた1950年代初頭あたりに、実際にジョークとして「火星地主大会」が行われたとされる。おそらく本作は、これを踏まえたものであろう。

また、ジョークではなく、真剣に月や火星の土地の売買をしようとする動きもあったとされる。藤子作品では「月の土地の命名権」というアイディアを使った詐欺のお話があるが、これもその一連の流れにあると考えて良いだろう。


本作は、土地を買うというリアリスティックなテーマと、火星の土地を売るという壮大なSFテーマを掛け合わせた、極めて藤子F先生らしい一本ではないだろうか。




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