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読後の身震いが止まらない!『アチタがみえる』/ちょっぴりホラーな物語②

つのだじろう先生の「恐怖新聞」という漫画がある。僕は持っていなかったのだけど、友人のお兄さんが愛読していて、子供の頃読ませてもらった。

恐怖新聞は明日のことが書かれている未来を予知する新聞だが、これを読むと寿命が100日縮んでしまう。つまり3日分を読むと寿命が約一年分削られてしまうことになる。

普通に考えれば読むのは得策ではないが、明日起こることを事前に知ることができるという魔の魅力に逆らえず、主人公の男の子は毎日のように新聞を手に取ってしまう。

寿命と好奇心を秤にかけて、後者を選んでしまうという人間の性には呆れるほかないが、でも自分だったらどんな行動を取るかと考えると、全く他人ごとではない。

つのだ先生はかくも恐ろしいプロットを作ったものである

余談だが、「恐怖新聞」だけでなく、当時の週刊少年チャンピオン系の漫画は、ものすごくダークだったように思う。

「ブラックジャック」や「魔太郎が来る!!」「エコエコアザラク」など、コミックは明るく楽しいものだと思っていた小学生の僕には、刺激が強かった思い出がある。


さて、明るく楽しいてんとう虫コミックスの中心的存在だった藤子F作品だが、SF短編についてはそうもいかない。読後に鬱々とした気持ちに襲われる作品が数多く描かれている。

その中で「恐怖新聞」の恐怖感覚を彷彿とさせるお話を今回見ていくが、今読んでも読み終わった直後に身震いをしてしまう。

身震いの原因となるのは、衝撃的なラスト一コマによるものだが、これが一読しただけではパッと頭に中身が入ってこない作りになっている。少し考えるとさらにゾワッとする二重にホラーな作品なのである。

この一見分かりにくいラストシーンについては、色々とネット上で考察されているので、最後に簡単な僕なりの見解も紹介する。


『アチタがみえる』
「ビックコミック」1972年8月25日号/大全集1巻

本作は未来予知をテーマとしている。その最大の特徴は、未来予知をするのが、まだ世の中のことを良く分かっていない幼児だということである。

幼児は言葉の使い方もままならないし、目の前の様子をうまく説明できる表現力もない。あくまで自分の身の回りのことにしか興味関心が向かない生き物である。

よってそんな幼児が未来を予言したとしても、表現はどこかあやふやだし、もしかしたらその子の夢や想像かもしれないと思うだろう。

つまり半信半疑で子供の言葉を聞かなくてはならないということになるが、その点が本作をとても面白くしているのだ。

本作の「アチタが見える」というタイトルは、「あした」と発音できない幼児が主人公であることを如実に示す非常にセンスの良いものである。


ちなみに本作の数カ月前に、我が子(幼児)がスーパーヒーローとなった『わが子・スーパーマン』という作品も発表している。まだ未熟な子供が超能力を持った時にどうなるのかという、本作の姉妹作と言えるほどに似たアイディアが使われている。


それでは、本編をじっくりと読み解いていこう。

冒頭、まだ未就学児童と思しき女の子のチコちゃんが、ボウっと何かを眺めている。最初の一コマ目のチコちゃんの目力には、少し圧倒されてしまう。

チコちゃんは傘を三本手に取って、パパのお迎えに行くと言う。天気は晴れているし、たとえ雨が降ったとしても傘が3本も必要はないはず。

チコちゃんはお母さんの制止も聞かず、近くのバス停まで走っていく。その途中、ポツリポツリと小雨がチラつき、パパが停留場に降りた時にはザーザー降りとなっている。

「やあ助かった」とパパ。そしてパパの友人も一緒にバスから降りてくる。チコちゃんを見て「大きくなったなあ」と声を掛けているので、かつて家にも来たことがある人なのだろう。

パパと友だちの分を合わせて傘が三本必要だったが、チコはちょうど三本の傘を用意している。友人は「ちょうど良かった」とにこやかだが、パパは「そ、そうね」と微妙な反応である。


家に着くと、ママが驚いた顔でパパと友人を見る。パパが連れてきたのは五十嵐という会社の同僚で、ママも旧知のはず。本来ならそれほど驚く場面ではない。

ママが驚いたのは、チコが五十嵐も一緒に帰って来るということを予期していたと思ったからである。ママはチコ聞く。

「チコちゃん、また、見えたの!?」

「ウン」と何事も無いように返事をするチコ。パパが雨の中お客さんを連れて降りてきたのを見たというのである。


チコの発言に興味を示す五十嵐。チコのママは、「時々まだ起きていない出来事が見えるらしい」と語り、パパは「偶然だよ」と打ち消そうとする。五十嵐は「その手の話が大好きだ」と言って、話に食いついていく。

ママは他の例を語る。

先日、パパが登山に行こうとしたときにどうしても浮き輪を持っていけと泣いた。山で浮き輪とはまるで関係なさそうだが、なんと谷川で溺れそうになった。チコにはパパの泳ぐ姿が見えていたのだ。

またチコが一歳三ヶ月ぐらいの時、お気に入りの人形を片時も離さなくなった。無理に取り上げておいたところ、酔っ払ったパパが踏んで壊してしまった。チコには壊されてしまうのが見えていたのだ。


五十嵐は虫の知らせだろうかと思う。パパはあくまで偶然だと言い張る。五十嵐はオカルトの類いに詳しいようで、「人によっては予知能力は確かにある」と断言する。

五十嵐が例に引いたのは、タイタニック号の海難事故を事前に察知して乗船しなかった人がいるという件。そして、ロンドン大学のソウル教授の予知能力の統計調査により、標準偏差の13.2倍の数値を出した被験者がいたという話。

「タイタニック号沈没を事前に予知夢でわかっていた」みたいな話はオカルト界隈では有名な話。ただし、今となっては証明できないので、真実味がどこまであるかはよくわからない。

ソウル教授のカード当て実験については、これもオカルト界では有名だが、実はこの実験については、ソウルの詐欺的行為だったという説が有力である。

実験は1940年代に行われていたが、1970年代に入り実験手法に科学的なメスが入ることで、おおよそインチキであるという結果が出てしまう。本作が描かれた1972年当時では、まだ博士も存命で、名声も保っていたことから、例として使われたものと思われる。


五十嵐もママも、チコの未来予知について半ば信じつつ、どこかでまさかという気持ちもあったように思う。

超能力談義でお酒が回り、五十嵐とママは、チコの能力を使って競馬や株で儲けようとか、新聞やテレビで発表しましょう、などとバカ話で盛り上がる。パパだけがその話に乗らないが、実は最も彼が信じているのかも知れない。


チコがおもむろに絵を描きだす。五十嵐が絵を覗くと、明らかに五十嵐と思しき男性がトラックに跳ねられている。チコは軽やかに告げる。

「それ、おじちゃんよ! 車とドカーン!」

一瞬にして青ざめる五十嵐。「見えたのかい?」と語気を強める。ママも「交通事故かしら」と表情を曇らせ、パパは「子供の空想だよ」と話に乗らない。

「気にしないでくれよ」と五十嵐を見送るが、彼の表情は真っ青なままで、帰途につく後ろ姿はがっくりと落ちこんでいるように見える。

しばらくして五十嵐が帰ったところを見計らって、パパが電話を掛ける。五十嵐は無事帰宅していたが、「君も気にしてたのか!?」と少しショックを受けているようだ。


事故に遭うと予言された五十嵐は、どのような行動を取るのか。

翌日、会社に姿を見せないのでパパがアパートを訪ねると、五十嵐は部屋にに居て、「出歩かなければ事故にも遭わないかと思って」と言い出す。と、これは彼一流の冗談で、有給休暇が溜まっていたので消化をしたのだと言う。

ちなみにここで、パパと五十嵐が会話している様子が、窓の外からの視点で描かれているのだが、建物の外にはすぐ道路があって、トラックが往来していることがわかる。その後の五十嵐の運命を予感させる不穏なカットとなっている。

さらに翌日。五十嵐がまだ会社を休んでいる。早引きして様子を見に行くと、先日とはまるで様相の異なる五十嵐がいる。不精ひげが生え、髪の毛はボサボサ、目の下にはクマのようなものも見える。

「こだわっている訳じゃないけど・・・」と五十嵐は覇気なく答えるが、だいぶ気にしている様子がありありと見える。

パパは「これから家に帰って、チコが見たという場面をもっとはっきり聞き出す」と約束して、帰宅する。

パパが「五十嵐の事故が見えた話はウソじゃないか」とチコに聞くと、ウソじゃないと否定する。さらに「おじちゃんが血だらけになっていた」というので、ますます真実味を増してくる。

焦ったパパは強い調子でチコに「ウソではないか」と念押しするが、チコは驚いて泣いてしまう。予知能力があるだけで、結局はまだ小さい女の子なのだ。


さて、五十嵐は自分の置かれた境遇とは別に、本当に知り合いの新聞記者にチコのことを話したらしく、取材の依頼が舞い込む。「断りなさい」とパパはママに言うが、パパもチコに当たると勧められた宝くじを購入しており、強く二の句を告げられない。

新聞記者が尋ねてくる。関東新聞編集局社会部の野寺馬太郎という人物で、名前からして野次馬根性を感じさせる。

パパが「予知なんて本当に信じているのか」と聞くと、「白紙だ」とブンヤは答える。見たままを客観的に報道するのだという。まあ、正しいマスコミの姿勢かもしれない。


記者の野寺馬は、チコちゃんに時事問題についての質問をしていく。まず、田中角栄首相(当時)の写真を見せて、内閣は長続きするかを聞く。見えていないのか、質問の意味がわからないのか、チコちゃんはまるで反応しない。

次にニクソン米大統領(当時)の写真を見せるがこれも反応なし。続けざまに「円の再切り上げはあるか」「ガンの治療法は発見されるか」などと尋ねていくが、全く応えようとしない。

パパが「そんなこと子供にわかるわけないでしょ!」と突っ込むが、全くその通りで、大人の世界の問題など児童にはまるで関心がないのだ。

それではもっと身近な問題でないとと記者は思い直し、突然「チコちゃんのパパとママはこれからどうなるか」と質問する。これにはパパも「それは余計なお世話というもんだ」と色を成して反発する。

するとチコちゃんが「見えるけど・・なんだかよくわからない」と意味深なことを言い出す。「見えるままに話してよ」と記者。パパは「聞きたくない」と席を外そうとする。


そこで記者だけにチコちゃんが耳打ちをするのだが、・・・記者の顔がどんどんと曇っていく。最後には冷や汗が流れ、顔は真っ青になって、「本当かい!?」と、何とか一言口にする。

非常に気になる反応で、記者の表情の変貌は恐怖すら覚える。パパも「何がです!」と急に心配になる。記者は「いえいえ!何でもありません」と完全に取り繕うようにして、家を立ち去っていく。

チコちゃんは何を見たのか。パパはとても気になるのだが、「僕は信じないんだから」と自分に言い聞かせるようにして、この話に蓋をしようとする。


ここから、怒涛の展開!

まずパパがチコちゃんに当たると言われて買った宝くじが、何と600万円の大当たりであることが判明する。今の貨幣価値で2000万くらいなので、かなりの高額当選である。

続けてテレビから、パパの会社の同僚の五十嵐の住むアパートにダンプカーが飛び込んだというニュースが流れる。事故を恐れて引きこもっていたのに、その引きこもり先にダンプが突っ込むという皮肉な結果となってしまったのだ。

チコの予言を聞いたばかりに家に閉じこもっていた結果が事故に繋がったわけで、見方によっては、まるでチコが五十嵐を殺したようにも思える。

その見解に対してママは、「チコの予言を聞くことも五十嵐の運命に組み込まれていた」と主張する。

確かにこれまでも、チコの予言をひっくり返すことはできなかった。チコのお気に入りの人形は壊され、パパは溺れ、雨は降った。チコは単に起こってしまうことが見えてしまうだけなのだ。


さあそうなると、パパとママのこれからについて、チコは何を見たのか気になるところ。チコは「見えるけれどよくわからない」と記者に話していた。何かが起きるのは確実そうだが、チコの理解が及ばないような出来事なのだろうか。

パパが五十嵐のお通夜に向かおうとすると、チコが「見て!」と言いながら、手に絵を持ってくる。五十嵐の事故についても描いた絵で見えたことを説明していたが、今回は果たして・・・。

「これがパパとママよ」

と言って渡された紙には、チコを真ん中にしてパパとママが手を繋いでいる絵が描かれている。その絵をじっくりと見ると、何と描かれている両親は自分たちとは全く似ても似つかない外見なのである。

パパは細身で身長が高く、髭に眼鏡姿。ママは小太りのくるくるパーマでいかにもおばさんといった風情。まるで正反対の風貌である。

この絵を見たパパとママは「あっ、ちがう!!」と思わず叫んでしまう。顔色を変える両親の奥では、チコちゃんはいつも通りにニコニコしている。

そしてその他の説明は一切ないままに、本作は幕を閉じる。一体に二人に何が起きたのか。なぜチコは全く違う男女を描いて、これがパパとママだと納得しているのか。そういった補足情報が全くないのである。


ゾゾッと身震いするとともに、この後のパパとママが辿り得る運命を考えると、不安な気持ちに襲われる。これほど説明不足なのに慄くラストシーンがあっていいものだろうか??

少し冷静に考えると、チコちゃん描いた絵では、チコ自身はまだ小さいままである。つまり、かなり近い将来にパパとママが変わってしまうことが予測される。

片親だけが変わっているのならば、離婚→再婚ということも考えられるが、両親の二人とも入れ替わっているのはどういうことなのだろうか。

記者はチコの耳打ちを受けて、「本当か」と二度聞きしていた。つまり俄かに信じがたい事件なり事故が発生するということだ。

何か恐ろしいことが起こることだけがわかる、エグいエンディングなのである。


ところで、この分かりにくいラストシーンについては、意味が良くわからないとネット上でも質問が飛び交っている。

特に「あっ、ちがう!!」というセリフがチコちゃんが発したようにも一瞬見えるので、その勘違いを元に考察をしているケースが散見される。

チコちゃんはいつものようにあっけらかんとしているので、「あっ、ちがう!!」というような強めの言葉を発している表情には見えない。これは両親のセリフと考えて間違いないだろう。

また、チコちゃんが提示する最後の絵は、じっと見ないと今の両親ではないと気が付かないので、何が起きているか理解できない人もいるようだ。絵を見る限り、両親とも変わってしまう事態になることは間違いないだろう。

実際に何が起きたかは描かれていないので、はっきりしたことは不明である。宝くじで600万が当選しているので、これが関係しているのかも知れないし、チコちゃんのことが怖くなって、両親が里親に出してしまった可能性もある。

いずれにせよ、その辺は読者の想像にお任せしており、そういった宙ぶらりんな読後感も含めた作品なのではないかと考えられるのである。




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