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楽しそうな仕事について

大学生の頃。モラトリアムと言われて散々遊び倒したけれど、心の片隅にはいつだって卒業後のことが気にかかっていた。

就職してお金を稼ぐ。自立して生活をしていく。目の前の気楽な大学生活とは全くかけ離れた世界があることを、痛いほど知っていたのである。


さて、問題は、どんな仕事をするかである。

僕の体験から語ると、自分が進みたい道はエンタメ業界だった。志望の動機は単純で、自分の興味関心と重なっていたし、何よりも楽しそうな世界に思えたからである。

けれど、自分にエンターテインメントを作り上げるような才能があったかと言えば、全く自信が持てなかった。そればかりか、知識・行動力・キャラクター、どれをとっても力不足を感じていたのである。

よって、エンタメ業界を志望すること自体が憚れることだと思っていたし、実際に就職活動を始めることになってからは、いわゆるお堅い業種ばかりにエントリシートを送るようになるのであった。


あの頃強く思っていたのは、自分が楽しいと思える仕事を目指しても良いのだろうかという逡巡だった。もっと言えば、楽しい仕事に自分などが就けるわけがないという、ある種の諦めを持っていたのである。


そんな風にして希望を遠ざけた仕事を目指した就職活動であったが、実はこれが全くうまく行かない。就職氷河期と言われていた時代で、募集人員も減っていたこともあり、どの業種も狭き門だったのである。

こうして僕はシューカツに失敗してしまう。どこにも就職できないまま、間もなく卒業式というところまで行ってしまうのである。

そこで僕はなぜか開き直りを見せて、何はともあれ自分が目指していた世界に、アルバイトで良いから潜り込んでみようという気持ちになることができた。

そして運良く希望業種のアルバイト募集を見つけて即座に応募して、卒業式の一週間前に、狙い通りに業界潜り込みに成功したのである。


もちろん、そこからも紆余曲折は続くのだが、何はともあれ業界に滑り込むという作戦は、かなり有効だったと感じている。

もう僕がアルバイト出身だと知っている人も減ってしまったし、正規で入社してくる人たちとも、実力差を感じない仕事をすることができている。

才能も知識も行動力もキャラクターも今一つなのは変わらないが、それでもこの業界を25年間一線で戦い続けることができている。何かが突出していなくとも、持ちあわせた能力の掛け合わせで、うまいこと力が発揮できることを理解したからである。


もし、この文章を若い方が読んでくれているのなら、はっきりと主張しておきたいのだが、その時に自分が楽しそうだと思った仕事を、躊躇なく目指して欲しいということである。

楽しいと感じる予感は、きっと心身が求めている良きサインなのだ。それを握りつぶしてはならないと思う。




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