パーマンになってできること『お花見騒動』/Fキャラお花見騒動③

お花見大好き藤子Fキャラにスポットを当てた作品を取り上げる「Fキャラお花見騒動」シリーズ第三弾。今回は「パーマン」から一本ご紹介。

「パーマン」×「お花見」と言えば、『ギャド連花見』が真っ先に思い浮かぶところだが、この作品は一応一度取り上げているので、そちらをご参照してください。

今回は「てんとう虫コミックス」には収録されていない少しマイナーな作品を掘り出してみたい。

なお、ここまで「ドラえもん」と「バケルくん」のお花見エピソードを一本ずつ記事化させているので、こちらも併せてお楽しみ下さい。この二本は始まり方が良く似ていて、比較するのもご一興。



「パーマン」『お花見騒動』
「小学二年生」1967年4月号/大全集3巻

本作はまだパーマンが始まって間もない初期の作品で、かつ「小学二年生」という低年齢向けの誌面で発表されたタイトルとなる。

それがどういう状況かを整理しておくと、まずパーマンの社会における認知度がそれほど高くないという点がひとつ。本作でも触れられているが、世の中の人がパーマンを見ても、ただの子供だと思われてしまっている。

現実世界でパーマンのようなヒーローが登場したらあっと言う間に認知度100%となりそうなものだが、まだテレビが全世帯に行き届いていない時代においては、パーマンの活躍は知っていても、その姿は広がっていなかったのかも知れない。


次に本作が低年齢層向けに書き分けられた作品だということで、あくまで読者は小二の7歳程度の子が読んで喜ぶお話として構想されている。

内容面が敵と戦うヒーローものというよりは、日常における超能力者のお話になっている点が特徴的である。

他の「小学二年生」作品を見ていくと、ロボットや透明人間と戦うようなお話もありつつ、夏に雪を運んできてスキーをしてみたり、運動会で活躍して見せたりと、あくまで等身大の子供たちの「出来たらいいな」が描かれている。

そう、書いていて気がついたが、藤子作品では、ドラアニメの主題歌にあるような、読者にとっての「あんなこといいな、できたらいいな」が発想のベースとなっているのである。


本作では冒頭でパーマン2号がお花見に行こうと誘ってくるところから始まる。ブービーは「はなみ」と言葉を喋れないので、自分の「鼻(はな)」を指さし、ノラ猫を連れてきて「ミー」と鳴かせて、「はなみ」と伝えている。

お話が進むとブービーの言葉を他のパーマンたちはすぐに理解してしまうが、連載が始まったばかりの方では、このような工夫を凝らしたコミュニケーションが必要なのである。

みつ夫はすぐに賛同して出掛けようとするのだが、逆にママと妹のガン子が出掛けることになって、留守番を頼まれて家を出られなくなってしまう。つまり、親の存在が花見の障害となってしまうのである。

なお、今まで見てきたお花見エピソードでは、「ドラえもん」ののび太にしろ「バケルくん」のカワルにしろ、お花見に行けるかどうかは親が連れて行ってくれるかどうかに掛かっていた。

つまり親の不在が花見の障害として描かれているわけで、「パーマン」はその点、誰かの力を借りない自立型のキャラクターなので、本作のような展開が可能となっているのだ。


ただみつ夫にはこんな時のためにコピーロボットが存在する。本作は連載開始から間もないので、敢えてコピーロボットがいるという事実を一拍置いてからみつ夫に気が付かせている。

コピーに留守番を任せて、みつ夫は家からお菓子やジュースなどを大量に持ち出して花見へと向かう。ブービーも「ウキウキ」とうきうきしている様子。

最初は留守番について文句を言わなかったコピーだが、仕事ではなく楽しみのために出掛けているパーマンを見て、「あっ、いいな。花見なら僕も行きたいや」と羨ましがる。この羨望が、後に騒動を引き起こすことに繋がっていく。。


満開の桜を空の上から「きれいだなあ」と眺めるパーマン。何気ない一コマだが、普通の人間ではできないことをサラリとしているパーマンの様子を見て、読者の子供たちは「できたらいいな」と強く思うところである。

下に降りて適当な場所でおやつを広げるパーマンたち。するとそこへタバコの吸い殻が飛んできて、みつ夫の頭に着火。これは花見の酔っ払い客の仕業で、みつ夫たちのいる場所が特等席だと言って、ズカズカ入りこんでくる。

抗議をすると「子供のくせに、大人の言うことが聞けないのか」と言って放り出されてしまう。一度は引き下がり別の場所でお菓子を広げるのだが、先ほどの酔っ払いたちが喧嘩を始めて、周囲に物を投げたりと迷惑な存在となっている。

このような横暴な大人たちに対して、ついに我らがパーマンが出動となる。最初にタバコの吸い殻を飛ばしたところでも変身するチャンスだっただろうが、本作のようにヒーローの登場までには時間を空けるのがポイントなのである。


パーマンとなって「危ないからやめてよ」と喧嘩する酔っ払いたちの間に入っていく。するとパーマンを知らなかったのか、酔って訳が分からなくなっているのか、「子供のくせに生意気な」と一人の男が胸ぐらを掴んでくる。

先ほどはみつ夫の姿だったので放り出されてしまったが、パーマンとなるとそうはいかない。

「ただの子どもじゃないよ」と言って、男を指でチョンと弾くと、数メートル先のゴミ箱まで飛んでいき、頭から突き刺さってしまう。他の二人の男性も殴りかかってきたところを軽く蹴飛ばして近くの池へと落とす。

酔って暴力を振るう大人は子供の大敵であり、そうした敵を一蹴できるパーマンに、憧れが募る名シーンなのである。


パーマンの活躍を遠巻きに見ていた人たちは、「強い」「どこの子だろう」と感想を漏らすが、とある女の子が「あれがパーマンよ」と口にする。パーマンの認知度は子供から広がっていることがわかる場面となっている。

「パーマン日本一」「すごい」「えらい」などと賛辞の声が高まっていくが、「あまり褒められちゃ照れくさい」ということで、木陰で姿をみつ夫に戻す。

ここで本作のヒーロー活動はほぼ終了し、みつ夫にとって気持ちの良いシーンも終わり。この後は、どちらかと言えばみつ夫の悲劇が描かれていく。


これでゆっくりお菓子が食べられるかと思いきや、何とブービーが一人で残さず食べてしまっている。本作ではまるで見せ場のないパーマン二号である。

みつ夫は「仕方がないから花だけ見て帰ろう。これが本当の花見だ」と言ってブラブラと歩き出すのだが、先ほど「あれがパーマンよ」と喜んでいた女の子に、「私のお菓子を取ったの」と指さされてしまう。

さらには餅の代金50円貰っていないとか、桜の枝を折って逃げたな、などと次々に猛抗議をされて、追い回されてしまう。怒っている面々は先ほどパーマンに惜しみない賛辞を送っていた人たちばかりというところが悲しい。


突然お花見での悪者となったみつ夫。「どうなっちゃってるんだろ」と疑問に思ったところで、能天気そうに桜の木の枝を持って歩いているコピーロボットに出くわす。

まだ地球での活動歴の浅いコピーロボットということで、「花の枝を折っちゃ悪いの知らなかった」と世間知らずぶりを示す。さらに留守番はどうしたと突っ込むと、「留守番より花見の方が面白いもの」と悪びれない。

ヒーロー活動において、自分の不在を埋めてくれるコピーロボットの存在は重要なのだが、パーマンに与えられたコピーロボットはかくも不完全で、本作のように逆に厄介ごとになるケースも多数なのである。

そんなコピーの困ったエピソード集はこちら。


みつ夫もコピーロボットも外出してしまったということで、家で留守番している者はいない。ママたちが帰宅する前に家へと急ぎ戻るのだが、あと一歩遅かった。

ママが先に家に帰り、カギも掛かっていなかったこともあって、カンカンの様子。みつ夫はコピーロボットの責任だということで、「ただいま」と言って家の中にコピーのみつ夫を突き飛ばす。

ところが押されたコピーロボットがコケてしまい、鼻をぶつけてロボットに戻ってしまう。ママたちは玄関の外にいたみつ夫を見つけて説教モードへ。すぐにロボットに戻ってしまうコピーの構造的欠陥も明らかとなるラストシーンなのでありました。


一作を振り返ってみると、お話の前半では、パーマンとなることで空を飛んで子供だけで花見へと向かえたり、空から満開の桜を見ることができたり、酔っ払って暴れる大人たちを懲らしめて褒められたりと、ヒーローになった喜びがしっかりと描かれている。

後半では一転、マスクを取った後の扱いの低さや、コピーロボットの頼りなさが描かれて、ヒーローも良いことばかりではないよ、というような一面が示される。

この悲喜こもごものヒーロー活動というのが、「パーマン」の最大の魅力であり、連載始まったばかりのタイミングでも、しっかりとその点が強調されているのであった。




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