見出し画像

藤子・F・不二雄先生、生誕90周年!

今から90年前。1923(昭和8)年の12月1日に、藤本弘は生を受ける。後に同級生の安孫子素雄とコンビを組んで、1951年に「天使の玉ちゃん」で漫画家デビューを果たす。

ペンネームを藤子不二雄とした藤本と安孫子は、1954年に上京して新進気鋭の漫画家たちが集まることになるトキワ荘に入居し、本格的に作家活動を開始する。

挫折や試行錯誤を経ながらも、安孫子との合作で作り上げた「オバケのQ太郎」(正確に言えばスタジオゼロのメンバーも)や、「パーマン」が国民的ヒットを飛ばすことになる。

藤本は、単独でも多くの作品を発表し、児童漫画に主軸を置いた作品が大いに評価を受けるが、その中でも1970年に連載が始まった「ドラえもん」は、唯一無二の魅力を放ち、50年以上が経った今でも子供たちが大好きなキャラクターであり続けている。


僕と藤子不二雄との出会いは、4歳の時。「ドラえもん」のアニメ放送(テレビ朝日版)が始まったことから始まる。

月曜から金曜まで毎日10分間の帯番組だった「ドラえもん」は、僕の感性にジャストフィットして、それはそれは無我夢中で見ていたという。

その翌年(1980年)には「のび太の恐竜」が映画化され、この作品は僕の始めて映画館でみた映画となった。

1980年代は藤子不二雄の空前の大ブームで、毎日アニメを見ることができたし、数多くのコミックも発売された。

当時は藤本先生と安孫子先生の区別が全くついておらず、全部の藤子不二雄作品が合作だと思い込んでいた。逆に、子供の世界で区別がついていた子はいなかったように思う。


小学生が終わるころ、普通の子供たち同様に「ドラえもん」離れをしてしまう訳だが、その代わりに少し大人の内容であるSF短編集の虜となる。

「ドラえもん」ではお目にかかることのできない衝撃的な展開や、バッドエンディングが鮮烈で、作家としての藤子不二雄先生(今となっては藤子F先生)にも興味が沸いたのであった。

その後大学生になって上京し、神田の古書店などを回り始めた時に、かつて途中で買うのを止めてしまっていた「藤子不二雄ランド」に再会する。

この時点でF先生とA先生の区別がようやくはっきりしたのだが、なぜ気が付かなかったのか、不思議でならない。二人の作風がまるで違うからである。


再び藤子熱を帯びてしまった僕は、ただ読むだけではなく、作品の構造を考えたり、作中のメッセージなどを抽出したりすることを始める。いわば、藤子F作品の研究である。

そんな大学生活の最中である1996年9月23日、突如藤本先生の訃報が届く。享年62歳。まだまだ若い。亡くなってしまう年齢じゃない。

非常にショックを受けたし、毎年楽しみにしていた「大長編ドラえもん」や、もう「T・Pぼん」の新作や「チンプイ」の最終回が読めないのかと思うと居た堪れない気持ちとなった。


藤子F先生は亡くなる直前まで次の作品のことを考え、机に向かっていたという。最期まで子供たちを楽しませよう、そして頭の中の物語を漫画に定着させようとしていたのである。

もう新作は逆立ちしても発表されないが、発表済みの作品なら何度も読むことができる。そんな風に自分を言い聞かせたが、先生が亡くなると、「藤子不二雄ランド」などの古書の値段が一気に高騰してしまう。旧作すら読めなくなってしまったのだ。


そういうことがあったので、2009年から刊行が始まった「藤子・F・不二雄大全集」は、本当に夢のような企画であった。読みたくても読めなかった膨大な藤子作品を読めることは、何物にも代えがたい喜びだった。

初めて読む作品に触れることも嬉しかったが、子供の頃読んで以来の作品を読み返して、その頃見つけられなかった細部の工夫だったり、大人向けのメッセージなどを発見するのも楽しかった。

この時の喜びが10年後、2019年に藤子Fノートを始めるモチベーションとなったのである。


藤子Fノートは、単なる藤子マニアである名も無き男が、藤子作品を独りよがりに考察したり、感銘を受けた部分を抜き出しているだけのブログである。

もっと深く藤子作品を研究している人は他にたくさんいらっしゃるし、自分などはその中では「わかっていない」部類に入っていると思う。

けれども、自分が藤子先生の残した作品を読んで、感動したり、笑ったり、ツッコんだり、感銘を受けたりしていることは、紛れもない事実であって、藤子作品への熱量はけっして負けていないという自負はある。

作品一本ごとの深い考察も重要だが、僕としては「大全集」で読むことのできる作品群については、幅広く全網羅した形で記事にしたいと考えている。

僕の理想は、大全集を読んだ読者が、他の人はどんな感想なのかな・・と思った時に、検索して僕のnoteに来てもらって、記事を一読してもらうことである。

こんな見方があったのか、こんな背景があったのかと、作品をもっと深く理解してもらったり、自分ならこう考えるけどなと意見を持ってもらえれば、執筆の労力が報われるというものだ。


ここのところ藤子F作品の記事化が止まってしまっているが、本日の生誕90周年をきっかけに、再スタートを切りたいと思う。

ここから一年は記念すべき藤子イヤーとなるわけだが、藤子Fノートとしてもそれに便乗して、バンバン記事を書いていきたいと思う。そしてできればこの一年内に、「最終回」まで到達することを強く望む次第である。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?