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親子が相互理解するためには『親子とりかえばや』/藤子F「とりかへばや」物語 ⑤

12月は藤子・F・不二雄先生の誕生月だが、僕の息子の誕生月でもある。何とも羨ましい限りである。

子供はまだ小学生のカワイイ盛りということもあり、良く自分に懐いているのだが、それもいつまで続くのか・・・と思ったりする。自分の子供時代を振り返ったときに、中学生に上がる頃には、親子関係がよそよそしくなっていたからだ。

子供がいわゆる思春期に突入すると、親と間にはすきま風が吹くようになり、いつの間にかお互いの気持ちをさっぱり理解できなくなっていく。子供が成長するにしたがって関係が遠ざかっていくのは、仕方がないこととはいえ、寂しい話である。


本稿では、互いの気持ちが理解できなくなってしまった父子のお話『親子とりかえばや』を見ていく。もちろん、ただの仲の悪い親子がいがみ合うお話ではなく、タイトル通りに父と息子の心身が入れ替わってしまうという、藤子先生お得意の「交換もの」なのである。

体が入れ替わるお話では、半ば強制的に相手の立場を取って代わることになり、それによって相手の気持ちも理解できるようになる。いわば、年を取るごとに共感性が失われるのと、まるで逆回転の関係性が構築されていくのである。


『親子とりかえばや』
「ビックコミック」1982年12月10日号/異色短編2巻

まず本作のタイトルだが、これは平安時代に成立したという「とりかえばや物語」を模したものである。「とりかえばや物語」は、男女の入れ替わり(ただしSF設定ではない)を描いたお話で、ジェンダー差をテーマとした革新的な物語ではないかと思う。

本作で「入れ替わり」を経験することになるのは、相良家の一人息子の甚六と、そのオヤジである。オヤジは上司や友人には「相良」と呼ばれており、下の名前は作中では描かれない。


甚六は現在大学浪人中だが、どうにも勉強に身が入っていない様子で、この日も夜遅くになって帰宅してきたので、父親は「お前みたいなヤツはもう、親でも子でもない」と怒り狂う。

甚六の母親は「そうまで言わなくても」とフォローに入るが、「その甘さがいかん」と聞く耳を持たない。甚六には彼女ができたようで、恋愛にうつつを抜かしているのが、特に許せないのである。


この日は、少し父と子で話し合おうということになり、父親が甚六の部屋に入る。「勉強をしているか」と尋ねると、甚六は「限界を感じて、進学が全てではないと思い始めた」などと言い出す。

ピリつくオヤジだが、ここはグッと我慢して、「お前には社会に出た時の学歴の重みがわかんのだ」と諭すのが精一杯。そして父親は、本題に切り込む。「デスコで知り合ったという女の子と今夜もデートだったのか」と話を向けると、

「春子ってんだ。そりゃあいい子だよ。俺、愛してるんだ。真剣だよ。もう一分お離れていられないほどなんだよ」

と、甚六は前のめりになる。

父親はできる限り冷静さを保ちつつ、「女の子に心惹かれるのはわかる、けれどそれは一人前の社会人になってからでよかろう」と説得を開始。「今が大事な時、欲望に溺れず、己に勝て!」と、活を入れる。

ところが、恋愛で頭がいっぱいの甚六は、「それは枯れてしまったオジンの論理だ」と一蹴。さらには「家を出て彼女と同棲する」と告げたため、父親は頭に血が上ってひっくり返ってしまう。


甚六と父親の相容れない関係性が示されたところで、物語が動き出す。

翌朝、珍しく父親が朝寝坊しているので、母親が起こしにいくと、「るせえなあ、もう少し寝かしといてよ」と、布団の中から声が聞こえてくる。言葉使いが親のそれではない。

一方、甚六の部屋では「寝過ごした!会社に遅れるぞ」と、甚六が目を覚ます。慌てて起きだして、起こさなかった母親を非難する。もうここで分かるところだが、甚六と父親の心(体)が入れ替わっているのである。

甚六となった父親が歯を磨こうとして鏡を覗くと、息子の甚六の顔が写っている。ビックリ仰天したオヤジ(体は甚六)は、自分が寝ているはずの寝室へと向かい、自分の体を起こすと、「うるせえな・・・」と父親の外見の甚六が目を覚ます。

互いに体が入れ替わっていることを知って、大パニックを起こす二人。何があったかと母親がやってくるのだが、何でもないと言って追い返す。血圧が高いので、ショックを与えては駄目というのである。


心が入れ替わったことは、二人だけの内緒として、しばらくは立場を取り換えて暮らさなくてはならないと、父親(体は甚六)が現状を整理する。あり得ない事態に、息子の甚六は取り乱し続けるが、父親は「事実として受け止めねばならん」と冷静沈着なところを見せる。

おそらく父親は、会社ではリーダー格(管理職)なのだろう。まずは情報交換だと方針を示し、互いに相手が理解できるまで、しばらくは二人とも家に籠ろうと、的確な指示を出す。

藤子ワールドでは、かくも不思議な現象が身に降りかかるものだが、本作のオヤジのように、その状況をきちんと理解できるキャラクターが登場することがある。

いわゆる「話が分かる奴」なのだが、この手の登場人物を見るたびに、自分もかくありたいと思わずにはいられない。


その一方で、甚六のように自分の置かれた状況を、いつまでも飲み込めない人物も描かれる。普段が大口を叩いているのに、思いもよらぬ状況に追い込まれると、慌てふためく輩である。こうはなりたくないと、思う。

不本意な入れ替わりを余儀なくされた甚六は、「オヤジが青春を取り戻して、俺が老い先短いオヤジになるなんて」と絶望する。これは本作の約五年前に発表されたSF短編の『未来どろぼう』で登場したモチーフと同一である。

二人が朝食を食べる場面では、オヤジの体となった甚六は「食欲がないんだ」と気を落とし、甚六の体を得たオヤジは「こんなにもメシが美味いものだったとは」とご飯をお代わりする。これも『未来どろぼう』で描かれた老若の対比シーンとなっている。


さて、情報交換をするべく、互いに重要事項をノートに書くことにする。ところが甚六は春子との約束があるらしく、親父の体で出掛けようとする。まるで状況が飲み込めていないのである。

親父の方は、「勤務先:丸角商事、直属上司は倉田満営業部長、54歳、趣味はゴルフとカラオケ・・・」とメモしていく。ところが、結局甚六はこっそりと家を抜け出して、春ちゃんに会いにいってしまう。


オヤジの体で歩いていた甚六に、通りかかった車から父親の上司が降りてきて話しかけてくる。相良が珍しく風邪を引いたと聞いて、見舞いがてら寄ってみたのだという。この人が倉田営業部長なのだろうか。

甚六がオタオタしていると、喉がやられて声が出ないと勝手に理解してもらえて、返答する必要がなくなる。そんな甚六に上司は「くれぐれも大事にしてくれ、わが社にとってかけがえのない人材だ」と労いの言葉を掛ける。これを聞いた甚六は少しだけ、自分の親のことを関心する。

この場面で思うのは、自分の親の職業を知っていたとしても、職場でどのような仕事をしているかだったり、どのような評価を受けているかは、子供にはわからないということだ。

社会人になった大人の気持ちは、不思議と社会に出た者にしか理解できないのである。


続けて甚六は父親の同窓生から声を掛けられ、そのまま強引に昼飯に誘われる。一方、在宅中のオヤジは、甚六を訪ねてきた春子と初対面する。今日の約束を忘れたかと思って、会いに来てくれたのだ。

父親は「ここは誘いに乗って、春子がどんな子か見届けてやろう」と考え、一緒に行動することにする。かくして、甚六と親父は、それぞれの人間関係の中に入っていくことになる。


まずはオヤジとなった甚六から。

七年ぶりに会ったという友人から、親父は自分のことをよく自慢していたことを知らされる。前回の同窓会では、息子の自慢話ばかりで、親バカぶりに参ったというのである。

いつもガミガミとうるさいので、父親は自分のことを疎ましく思っていたのかと思いきや、自分のことを買っていてくれたことがわかる。これも、父親の体になったからこそ、気付かされる事実である。

そして、昼飯だけのはずが、いつの間にかお酒が入り、「親なんて割の合わない役だ」などと、酔った友人に愚痴られる。甚六も多少飲めるのだろうが、親父は底なしの相良と呼ばれる飲んべえだったらしく、飲まされ続けてさすがにギブアップ。


一方、春子と映画デートをした親父。観たのは青春映画のようだが、親父は共感できずに「参考になった」と上から目線。青春盛りの春子が、涙を流して感動しているのと両極端の反応だ。

その後喫茶店で、春子が看護婦になるため一人上京して勉強中だと聞いて感心する相良。デスコで甚六と出会ったという情報から、遊んでいるイメージがあった訳なのだが、実は勤勉な良い子だったのである。

春子は「こないだのあなたの提案は、もう少し待った方が良い」と切り出してくる。一日も離れてはいられないという甚六からの同棲の申し出を、一旦保留にしようという逆提案であった。

甚六の情熱は嬉しいけれど、本当に愛してくれるなら待ってくれるはずだというのである。さらに、進学しないと甚六が語ったことについても、「動機が家が面白くないから出たいといのでは、単なる逃避ではないか」と諭してくる。

春子は言葉を選びながらも、甚六のことをしっかりと考えて、意見をしてくれたのである。親父はこの発言を聞いて、「よくぞ言ってくださった!」と感激の声を上げる。


お互いの事情、人間関係が知れたところで、ちょうど都合よく二人の心は再び入れ替わる。元に戻ったオヤジは、春子が良い子だったと甚六に伝える。「オヤジもそう思うかい」と喜ぶ甚六。

父親から見て、自慢の息子だった甚六は、おそらく勉強がうまくいかなくて、目先の恋愛に溺れてしまったのだろうと思われた。しかし春子と直接会話をしたことで、自分が危惧していたように、単なる逃避だけで付き合っているわけではないことがわかったのである。

春子さんはとても思慮深い良い娘で、その点甚六の見る目は正しかったし、こんな子を好きになるのも無理はないと、理解できたというわけだ。

作中では描かれないが、春子が同棲の先送りを申し出たことなどを、この後告げたものと思われる。春子のおかげで、甚六はもう少し勉強に身を入れてくれることだろう。


さて、親父が息子のことは理解できた。息子も親父のことを良く知ったことと思う。その上で、甚六が親父にひと言付け加える。

「オヤジになっている間、時々胃が痛んだぜ。一度人間ドックへでも・・・」

まあ、胃の痛い原因だった息子の問題が解決したので、きっと胃痛は治ることだろうけれども。


働き盛りの父親と、社会に出る直前の息子。この時の父子の関係性が、最も心離れる瞬間であるように思う。

息子はこれから本格的な人生を歩み出すところだが、まだ社会の厳しさを体験する前なので、親がシャカリキになって社会の厳しさを伝えても、全く聞き入れようとはしないものだ。

父親の方も、若さゆえの悩みや甘い考えを持っていたことを忘れてしまい、頭ごなしに子供の考えを否定してしまいがちである。息子が反発してくるものだがら、なおさら頭に血が上ってしまう。

こうして、互いの立場が全く違うため、互いの心が理解できなくなってしまうのである。

しかし、それを乗り越えた所で、険悪だった親子関係が融和に動くことがある。子供が社会に出たところで、自分の親のことが社会の頼もしい先輩のように映るからである。

僕と息子とは、これから徐々に仲が悪くなっていき、その後きっと融和に向かうはずなのだが、それは何年後の話になるのだろうか。

少し先のことを考えすぎだろうか??



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