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必要なのは、もう一人の自分ではなかったのだ『ふたりぼっち』/藤子Fマルチバース短編集③

もし仮にパラレルワールドが実在したとして、もう一人の自分と出会ったとする。どの時点で分岐したかにもよるだろうが、二人の性格や能力が大きく違っていることも十分に考えられる。

しかしその一方で、どの世界に住んでみても、結局は似たような暮らしぶりをしているかもしれないと思う。運命の分岐点は数多くあれど、自分同士は当然根が一緒なので、同じような選択をしてしまう気がするからだ。

すると、結局のところ、パラレルワールドがいくつ存在しても、自分という存在はどこでも同じような人間である可能性が高いようにも思えてくる。


さて、世の中そんなもう一つの人生を巡るお話、マルチバースをテーマとしたSF作品がやたらと目につくようになった。パラレルワールドという言葉が、ほぼ同じ意味合いでマルチバースに置き換わったことで、人気ジャンルに押し上げられた格好である。

SF作家である藤子先生は、当然のことのように数多くのパラレルワールドのお話を描いてきた。SF短編の形式で少なくとも5作、さらにもう一人の自分という設定の「みきおとミキオ」などもパラレルワールドものに含まれる。

藤子先生は、常にマルチバースがブームの人間だったに違いない。そういう意味で、ようやく時代が追いついてきたと言えるかもしれない。


そういうことで、「藤子Fマルチバース短編集」と題して、パラレルワールドをテーマとした作品群を一本ずつ丁寧に検証しているが、本稿はその第3弾となる。

今回の『ふたりぼっち』は、前稿で取り上げた『ぼくの悪行』の別バージョン(別の可能性)の位置づけとなる作品である。『ぼくの悪行』では、もう一人の自分とは全面対決することになるほどの険悪な関係となるが、本作では一致協力体制を築くことになる。

よく似た設定を持つが、まるで展開は異なる。それはまるで「パラレルワールド」のようなものだ。同じテーマなのに展開や結論が全く異なる。同一人物なのに、人生や終生が異なることとよく似ている。


これまでの記事はこちら。特に『ぼくの悪行』はチェック願います。


『ふたりぼっち』
「週刊少年サンデー」1979年1月25日増刊

『ぼくの悪行』からわずか三カ月後、全く同一テーマ・世界観のお話が描かれる。ただし前回はサラリーマン向けで、今回は少年(青年)向けである。発表媒体や対象年齢が異なることで、同じような設定でも、展開や終わり方はまるで違うものとなる。

同じタネから、育ち方の違う植物が発芽してしまうような感じだろうか。描き分けの名手・藤子F先生の真骨頂が大いに堪能できるジャンルなのかもしれない。


『ぼくの悪行』同様、設定紹介はサクサクと進む。前回はギャグめいたナレーションで処理したが、本作では日記を書きながら読み上げるという形式で、パラレルワールドを体感することになる主人公たちの気持ちなどを一気に語ってしまう。

ある日突然、部屋の一部に裂け目ができて、そこからもう一人の自分が姿を見せる。主人公・健二は日記にその初邂逅のことを書き記す。自分と瓜二つの男、それは「まさしく僕そのものだった」と直感する。

藤子先生が描くキャラクターは非常にSFリテラシーが高いことが多いが、本作の健二もご多分に漏れず、互いがパラレルワールドの住人であることをすぐに理解する。

ちなみに、二人が理解するパラレルワールドは、前作の『ぼくの悪行』でナレーション(作者)が教えてくれた仕組みそものである。曰く、

「目には見えないが、この世界の他に無数の世界が重なり合って存在しているという」

もの。これは藤子先生におけるパラレルワールド(マルチバース)の理解そのものなので、覚えておいて損はない。


裂け目を通じて、二人は互いに二つの世界を自由に行き来できるようになる。裂け目は普段は見えないが、指先を引っかけて布を破るように広げることができる。

二人はさっそく、互いの世界の共通点や相違点を確認していく。相違点については、本作の主人公である健二目線からで統一しておく。

<共通点>
・ほとんど同じ本を所有し、特にSFの蔵書が多い
・父親代わりの優秀な年の離れた兄がいる
・学校の担任はマンモス
・やくざ付き合いのあるプラブタにカツアゲされがち
・高嶺花子が好きだが、今まで話したことはない

<相違点>
・事故で死んだ愛犬ペロが向こうでは生きている
・日照権で揉めてマンションがなくなっている
・プラモデルの進行が若干異なる

今のところ共通点ばかりで、相違点はわずかだが、この細かな違いが後に影響を残して、徐々に二つの世界は違ったものになることが予見される。パラレルワールドは無数に存在し、かなりかけ離れた世界もあるんだろうと、二人は思うのであった。


二人の健二は意気投合し、今後も互いの世界を行き来することを約束する。健二は、この日の思いを、以下の日記に書き残す。

「心の奥底まで打ち明けられる相手がいるって素晴らしい。僕はもう一人ぼっちじゃないんだ。新しい世界が開けてきたような気がする」

パラレルワールドに住む自分と遭遇し、互いに気が合って、もしくは補い合って、一人が二人になることでのパワーを感じる。ここで「新しい世界が開ける」と記しているが、この点はラストにもう一回出てくるキーワードなので、是非覚えておいて欲しい。


二人は近い世界に住んでいるようで、学校の宿題も全く同じ範囲と分量である。よって二人で手分けして宿題をするのだが、これが実に能率が上がる。

また二人には、東大出身でスポーツもできた兄と比較されることにうんざりしている共通点がある。二人は、「僕らには僕らの道へ進む権利がある!」と思いを一つにする。

そして二人とも、実はSF漫画家になりたいという夢を持っていることがわかる。既に描き始めている「宇宙開拓史」という作品のアイディアも一緒。そこで二人はこの作品を合作しようと握手する。

なお、「宇宙開拓史」は、冒険に次ぐ冒険を描いた壮大なスペースオペラで、後の大長編ドラえもん「のび太の宇宙開拓史」とは全く違いお話のようである。


二人の健二は、主にマンガの合作をするために、頻繁に会うようになる。

マンガについては二人とも行き詰まりを感じているのだが、女主人公(ヒロイン)がいないせいだと気がつく。そこで高嶺花子という名前を借りて、高嶺さんのようなかわいい女の子を出すことにする。

そこからは、合作は楽しく、作業も捗った。疲れるとゲームをしたり、相撲を取ってみたりするが、優劣は付かなかった。体力も考えることも似たり寄ったりであったからだ。

すると、主人公側の健二には、おかしなライバル意識が働くようになる。相撲に勝つために、ひそかにジョギングを始める。足腰を鍛えて、あいつをぶん投げてやろうと思ったからである。


ただ、気軽に始めたジョギングではあるが、ほとんど同じ体力・知力・考え方の二人に、何らかの差異をもたらすものである。同じような考えで、向こうの健二も別の隠れた努力を開始しているかもしれない。

小さな違いが段々と二つの世界を違うものにすると、二人は最初に語り合ったが、自ら違いを作ろうと考え始めたことになる。これは、極論を言えば、同じ自分と出会うことで開けた世界を、壊してしまう結果をもたらすかもしれない。二人が異なる存在となっては、思いを一つにしての意気投合できなくなってしまうからだ。


さて、マンガの合作中、せっかくのヒロインが生きていないような気がする二人。二人はその原因が既にわかっている。健二は女の子と付き合ったことがないので、女の子のことを描けなかったのである。

ではどうすればいいか? これも二人の答えは頭の中にある。実在のモデルである高嶺花子に接近し、仲良くなることだ。高嶺が犬の散歩に出る時間を把握している二人は、声を掛けようと現場へ向かうが、どちらが話しかけようかジャンケンをしている間に、高嶺は走り去ってしまう。

この場面でようやく高嶺が初登場。二人には勿体ないくらいの美少女である。なお、似た者の二人なので、ジャンケンの勝負がつかないというギャグも挿入されている。


さて、徐々に二つの世界の共通点より、相違点が目立つようになっていく。

二つの世界で同じ宿題が出ていたはずなのに、いつの間にか三分の一以上合わなくなっている。パラレルワールドを繋ぐ裂け目が狭くなって、通過するのに一苦労するようになる。

これは、二つの世界がだんだんかけ離れたものになる証拠かもしれない。よって二人は毎日、布団など大きなものを穴に通して、絶えず穴を広げておく必要が出てくる。


そして、世界の違いだけではなく、二人のパーソナリティにも違いが出てくる。それは、二人の蜜月の関係が、少しずつ崩れていくきっかけとなる。

その日、授業中に先生の話を聞かずに高嶺花子の絵をノートに書いていて、先生にこっぴどく注意される。そして高嶺の絵がクラスメイトにバレてしまい、色目を使っていたかのようにからかわれ、高嶺からも無視されてしまう。

ショックを受けた健二は、同じように傷ついて帰ってくるはずの、もう一人の健二を待つ。愚痴をこぼし合って、気を晴らそうというのである。ところが、なかなか合流してこないので、向こうの世界に入って様子を伺うことにする。

すると、健二が高嶺と仲良く下校している場面に出くわす。会話を聞くと、高嶺からマンガを見せてなどと言われている。どうやらこちらの世界では、今度の事件が良い方向に働いたようなのである。


その後健二同士が合流し、いつものようにマンガの合作に取り掛かる。先生やピラブタへの怒りは共有するが、高嶺の話となると、向こうの健二は「君ほどひどいことにならなかった」と語るのみ。高嶺と仲良くなったとは、ついぞ話してくれず、一方的に小さなしこりを感じる健二であった。

そして、このしこりは、大きくなることはあっても、決して消えることはなかったのである・・・。


主人公の健二が日課にしていたジョギングは奇跡的に続いていた。そのせいか、相撲で「彼」に勝つことが多くなる。日記では、最初「僕そのもの」と書いていたのが、「あいつ」となって、この段階では「彼」となる。もう一人の自分が、他人に変異していくように思える。

二人の合作は捗らなくなり、部屋にいるタイミングもズレが目立つようになる。相手の留守中に、自分と同じ日記帳があることに気がつき、つい読んでしまう。すると、高嶺さんとの関係が急接近していることがわかる。そんな気配は全く出していなかったことにもショックを受ける。

するとそのタイミングで高嶺が遊びにやってくる。母親の対応から、部屋に来るのは一度や二度の話ではないように思える。こちらの健二は親戚に用事で外出中と聞き、帰ろうとする高嶺を強引に部屋へと誘う。

自分でも思いがけない行動だったが、高嶺は全く気にする様子がない。そればかりか、大作マンガの話を聞いてきて、自然と会話が盛り上がる。既に二人は付き合っているのだろうか?

そんな和気あいあいとする二人に、帰宅してきたこの世界の健二が気がつく。が、間に入ることはしない。厳しい目つきでこっそりと様子を伺うのみである。


二人の別れの時が来た。

この日の深夜、もう一人の健二がやって来る。そして静かな口調で、「そろそろおしまいにしないか?」と語りかけてくる。穴を塞がるままにしようというのである。

その理由は、自分の姿を外から見るのが辛くなったということ。主人公健二も賛同する。そしてジュースと缶詰などでささやかな送別会を開き、互いにエールを贈る。

「僕はひとりぼっちに戻った」のである。


さて、後日談。健二がトボトボと歩いていると、高嶺さんの姿が見える。一度別世界で仲良く話し込んでいたことから、うっかりしてその調子で話しかけてしまう。

「あれからまた続きを描いたんだ!読んでみる?」

戸惑う高嶺を見て、自分のうっかりに気がつき、大慌てに慌てふためく健二。すると、ここで奇跡が起こる。「彼女がクスッと笑った」のである。

高嶺は健二の「宇宙開拓史」に興味を示す。そう、パラレルワールドでも理解してもらえたんだから、元々脈があったのである。

健二はこの奇跡を日記に記す。

「壁は破れた。新しい世界が開けそうな気がする・・・」

と。


主人公健二は、普段「ひとりぼっち」だと感じる少年であった。ところがパラレルワールドの裂け目ができて、もう一人の自分と遭遇し、意気投合して、強力なパートナーを得た。

夢だった合作SF漫画に挑戦することになり、新しい世界が開けたように思った。実際に、二人の作業は捗ったのである。

ところが世界が少しずつかけ離れていき、二人の関係も少しずつ距離が生まれていく。言い換えれば、同じでなくなっていったのである。高嶺さんとの関係が、その違いを決定づけることになる。


思えば、もう一人の自分と意気投合するというのは、自分の心の中でも完結できることだ。漫画の合作行為も、自分の中でアイディアをぶつけあうこととあまり変わりがないようにも思う。

もう一人の自分と出会ったことでは、実際のところ、新しい世界は開けていなかったのではないだろうか。「ひとりぼっち」が、「ふたりぼっち」になっていただけだったのではないだろうか。


ラスト、ひとりぼっちに戻った健二だが、全くの他人だった高嶺と親しくなることで、今度こそ新しい世界が開けるような気がする。健二に必要だったのは、もう一つの世界(マルチバース)への裂け目ではなく、同じ世界の中にある他人との壁の裂け目であったのだ。



SF短編集の解説をしています。


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