マルチバースの自分たち、全員集合!!『パラレル同窓会』/藤子Fマルチバース短編集④
本年度アカデミー賞において、作品賞を始め主要7部門を獲得した作品「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」、通称「エブエブ」をご覧になられただろうか?
マルチバースものが大好物な自分は、公開初日の映画館になだれ込んだのだが、これって『パラレル同窓会』みたいだなと感じたのは僕だけだろうか? 作品内容はかなり違うのだけど、世界観が共通しているように思えたのだ。
次々と人生が何かのきっかけで分岐していって、数え切れないほどの「マルチバース」が形成されていく。マルチバースの中には、今の自分とかなり境遇の近い者から、自分のある一面が強調されたことで、全く別の人生に辿り着いた者もいる。そんな世界観である。
なお、ビジュアル的には今年公開された作品「アントマン&ワスプ:クアントマニア」において、ジョナサン・メジャース扮する征服者カーンが一堂に会する場面が、『パラレル同窓会』そのものだった。
さて、「藤子Fマルチバース短編集」と題して、藤子F先生のSF短編の中からズバリ、パラレルワールドをテーマとした作品を5作選び、それを発表時系列に沿って記事にしているが、本稿はその第4弾となる。
これまでの3作品については、記事のリンクを貼っておくので、是非こちらも読んでみて欲しい。同じマルチバースものでも、展開や読後感がまるで違う。それ自体がマルチバースそのもののような気さえしてくるほどである。
これまで3作品のマルチバースものを熟考してきたが、そのどれもがメッセージ性の伴ったお話で、読後感はなかなかズシリと来るものだった。(それがバッドエンドでも、ハッピーエンドでも)
本作は、これまでの中では、最もライトな作品だと、前もって書き記しておきたい。メッセージ性よりも、軽快なオチも含めた、アイディア重視のタイトルとなっており、藤子先生の遊び心が感じられる作品でもある。
本作の主人公は高根望彦(たかねもちひこ)、53歳、極東物産の社長である。冒頭は、高根のナレーションでスタートする。一部抜粋して、彼の現況を整理しておこう。
・望むもの全てを手中に収めた
・疑いなく、人生ゲームの勝利者である
・幸運に救われたこともある
・何度か訪れた人生の転機に正しい決断をしてきた
その結果、彼は一つの人生観を見出している。それが、
ということである。
これは、現実社会でも一代で成功を築いたようなタイプが口に出すセリフである。そもそも勝者って何だって話だが、社会的成功を勝ち得たと自負した人間は、自分の力で人生の勝利をもぎ取ってきたと思いがちなのは間違いない。
そして厄介なのは、社会的落伍者を敗者と決めつけて、その責任をその人自身に押し付ける考え方である。人生なんて、どう転ぶかわからないのだから、何でも自己責任という考え方は、非常に偏狭に思えるのである。
本作は、そんな自称「勝利者」が、本当にそうなのかを考えていくようなお話にもなっているのである。
さて、そんな高根だが、フッと満たされぬ思いが去来することがある。もっと自分には何かがあったのではないかという感覚である。
そんな高根に一人の女性が面会を希望してくる。旧姓・森山咲子、彼女は高根を振って郷という仕事上のライバルと結ばれた人であった。プライドが傷つけられた高根は、郷を10年かけて会社から追い出しのである。
そんな郷は転職先で定年間近に失職してしまい、こうして奥さんの咲子が何とか拾ってもらえないかとお願いにきたのである。サディスティックな側面を持つ高根は、そんな咲子を空想の中で思うままにいたぶって楽しむのであった。
高根は毎晩のように会食があり、帰宅はいつも深夜になる。しかし体力に自信のある高根は帰宅後、時間を作って小説を書いている。発表するつもりはないらしいが、作家になることは少年時代の夢であった。
高根は原稿用紙に向かって無心となる。自分ではこの時の顔が本物の自分の顔ではないかと感じている。そして、この気持ちが、後々高根の人生を一変させてしまうことになる・・。
小説を書き終え一服すると、机の上に手紙が置いてあることに気がつく。開くと、以下の文面の用紙が入っている。
全く意味不明の内容に首をかしげる高根。・・・するとピシ!という音が聞こえる。高根は何かが弾けたと思う。そう、この時点では彼は気付いていないが、マルチバースの世界が解放された瞬間なのであった。
翌日、不可解なことが起こる。
高根は経営者仲間(?)からSMクラブの入会を勧められる。興味もあるしSッ気があることも認めるが、そんな自分を律して生きていたと言って、申し出を断る。
すると相手の男性が「カッコつけちゃって」と言って笑い出す。男曰く、昨日クラブの隅にいた高根を見かけたというのである。さらには、咲子から「夕べはどうも」と電話が掛かってくる。
何のことかわからない高根だったが、咲子は「あなたにあんな趣味があったなんて初めて知ったわ」と笑うのである。覚えはないが、かなりハレンチな行為に及んだようなことを言われる高根。
この日はどこにも行かず直帰すると、迎えに出てきた奥さんがビックリしている。何と、既に高根が帰宅しているというのである。これは一体どういうことなのか・・・?
書斎に入るが、誰もいない。やはり悪い冗談かということで、いつものように熱いコーヒーを用意させて、堪能していると、部屋のどこからか、ピシピシと何かが裂ける音が聞こえてくる。
すると物陰から「やっと君にその時が来たらしいな」と声が聞こえてくる。何と、部屋の一角からもう一人の自分が姿を現したのである。飛び上がって驚く高根に対して、もう一人の高根は「まだその時になっていなかったのか」と意味深なことを言う。
今一つ要領が得ないが、もう一人の高根は、
・個人差がある
・自分は一週間前にその時を自覚して幹事を引き受けた
・高根が遅いので二日前から様子を伺っている
・高根の代わりにSMクラブに行き、咲子を手籠めにした
というようなことを言う。
高根はもう一人の高根をニセモノ呼ばわりするが、彼は「パラレルワールドを知らんのか」と答える。
もう一人の高根の言うパラレルワールドとは? ここでの説明が、そのまま藤子先生のパラレルワールドの理解になるので、そのまま書き写してみよう。
今では多元宇宙論(マルチバース)はSFファンでなくても理解できる概念となっているが、この当時は上のような懇切丁寧な説明が必要であったのだろう。
特に、生物進化の系統図をパラレルワールドの分岐と相似形だという絵的な説明が、非常に分かり易いように思う。
さっぱり理解できない高根。するともう一人の高根は、その時が来ればわかるんだよ、と力説する。
すると、何かが裂ける音が再びしてきて、一気に「その時」を迎える。高根の潜在的な記憶を包んでいた固い膜がひび割れて、砕け散る。次の瞬間、書斎に大きな宇宙空間への入り口が開き、どこかへと道が通じている。
高根がここで理解する。一生に一度枝分かれした全ての自分が一堂に会する「パラレル同窓会」が行われようとしていることを。道は「会場」へ続いている。幹事に連れられて、その場所へと進みだす。
パラレル同窓会には、既に死んだ者、来たがらない者もいるが、かなり大勢が集まっているようだ。
高根は幹事の高根に、最も近い世界に住んでいるようだと話しかける。日頃スキャンダルに気を付けている高根だが、幹事の高根はあるきっかけで吹っ切れたのでスキャンダルは怖くないと言う。この吹っ切れが、二人を分かつきっかけだったのでは、と憶測を立てる。
世界の分岐は、そうした他愛のない行動や感情だけでも、現出してしまうのだ。
会場に到着。広々とした公園のような場所に、ケータリングが出されている。既に大勢の人がいることがわかる。幹事の高根は、本作のキーとなる重要なことを言う。
何とパラレル同窓会では、マルチバースの自分たちと会話できるだけでなく、住む世界を交換できるというのである。この先何年生きられるかわからないが、心残りがあったり、何か後悔したことがあれば、それを取り戻すことも可能なのだ。
高根は最後の到着だったようで、これで全員集まったと言われる。互いにビールを注いで、同窓会が始まるが、旧友が集まる本当の同窓会と違って、まったくウキウキモードにならない。自分だけが集まっても、よそよそしいだけなのである。
高根は「自分は他人の始まりか」と呟く。パラレルワールドに分岐していった自分は、もはや自分ではないと言うことである。これは、前回記事にした『ふたりぼっち』のテーマとも合致している。
さて、色々な高根がいることが徐々にわかっていく。
・極東物産の窓際族に成り下がっている高根
・森山咲子が郷と婚約したが強引にかっさらった高根(ただし、咲子は虚栄心の強い女で、やがて郷に会社を追い出される羽目に)
・海外駐在時代に女に一杯食わされ現地で観光ガイドをしている高根
・学生運動を続けて、ベイルートでテロリストのリーダーとなった高根(そのうち極東物産に爆弾をしかけるつもり)
さらには、サド趣味が高じて殺人鬼となり、死刑囚となった高根に、高根詰め寄られ、世界の交換をさせられそうになる。
殺人鬼の自分に襲われたところを、少し感じの違う自分に助けられる高根。彼は会場を見渡して、「運命のいたずらであんなにも多様な人生を辿るのだ」と手を広げる。
一つひとつの分岐のきっかけは些細なものでも、人生が進むにつれて、全く別種の生き方に通じてしまうということなのだ。「可能性」を見事に可視化する名シーンと言えるだろう。
さて、この一味雰囲気の違う高根。職業を聞くと「一応作家」だと言う。作家と言っても今どき流行らない無頼派で、原稿は売れず、肉体労働で食っているような状況だという。
しかし、作家と聞いてトキめいた高根。この後話を続けるが、聞くほどに彼の生活が羨ましくなっていく。そして、常日頃感じていた満たされぬ思いは、彼の世界で充足されるに違いないと信じるようになる。
そこで高根は、無理やりに説き伏せて世界の交換を承諾させる。やがて会はお開きになり、それぞれの道を戻ることになる。ここでのことは全て忘れて、日常の世界に戻っていくのだと幹事は言う。
高根は警察官に「起きなさい」と声を掛けられる。気がつくと、公園のベンチで寝ている。風貌は「一応作家」の高根である。紙袋をぶら下げて、高根はトボトボと歩き出す。そして思う。
社長だった高根は自分が人生の勝利者であることを確信しつつも、何かやり残しているような満たされぬ感覚があった。誰にも見せない小説を書いている時、それが本当に自分のように感じていた。
そのことで、作家となった自分を羨望し、社長業を捨て去って、作家の世界へと飛び込んでいった。しかし、ここでは具体的に腹が満たされない。
高根にとって、社長業もまた、本当の自分であったのだ。いや、それどころか、殺人鬼の自分、テロリストの自分、窓際族の自分も、本当の自分そのものなのだ。
マルチバースの自分たちは、あくまで自分の可能性たちに過ぎない。自分ではない誰かにはなれないのである。あちらが立てばこちらが立たず。隣の芝が青く見える。それが人生なのである。
SF短編紹介してます。
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