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「あんたは何してもダメなんだから」の呪い

物心ついた頃から上京するまで、定期便のように母から送られて続けた言葉がある。
「あんたは何してもダメなんだから、人よりもっと努力しなきゃいけない」

大人になった今でも呪印として刻印されている。
生きて32年経つが、まだこの言葉が残る。

でも確かに母の言うことは正しかった。
母の言う【ダメ】に当たる部分は学校生活のようで、テスト、部活や生活態度。
全部悪かった。

部活はレギュラーを取れないし、学校生活は小学生の頃からワルさばかりして、学力なんてもってのほかだ。
頭悪い自慢じゃないが、中高校生時にテストを受ければ学年からワースト10の常連だった。

母からしたらどうしようもないダメな息子だったのだろう。
母は亡くなってるので答えは聞けないが、
当時から何が、どの部分が【ダメ】だったのか教えてほしかった。

ダメだと言われて十数年。
俺の自尊心は完全にぶっ壊れた。

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自信の無さから取る行動
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学生の頃、何をやってもダメと言われた俺は大人に好かれようと担任や部活の顧問の先生に媚びを売るような話方をしていた。
大人に嫌われたくないと思っていたのだろう。

母には見放されてしまったが、他の人には嫌われまいと甲高い声で「ハイ!ハイ!」と返事をしていた。

それだけならまだしも、裏表のある性格になってしまい、甲高い声を大人の前で出しながら裏では酒を飲んだり、先生の家に石を投げたりなどネチっこいワルさをしていた。10歳から1高校卒業するまではやっていたと思う。

高校を卒業する頃には真面目系クズの人格の出来上がりだ。

痛々しいことにこれがカッコいいと思っていた。

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社会人になっても真面目クズ
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高卒で工場に就職した。
少人数の職場だったため、全員の大人に好かれようと甲高い声で返事をして、媚びを売り、先輩のグチに合わせて人を悪く言ったりもした。
ここでも真面目系クズを全力で発揮している。

同期がいたが、仕事はテキトーでプライベート重視な彼は俺を気味悪がっていたのだろう、近寄っては来なかった。

就職して3ヶ月で、精神的に疲れて辞めた。
真面目でいるのはメンタルが擦り減るのを実感した。
その次の職場でも真面目系クズを貫き2年が経つ。
昔の俺は、今の自分なら関わりたくないタイプの人間だ。


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社会不適合者たちとの出会い
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真面目系クズを貫き22年。
何を思ったのか、した事もない旅行をしてみた。
すると直ぐにハマり、そのまま所持金も3万足らずで日本一周に出た。
所持金がないので安宿や、リゾートバイトをして旅費を稼いだ。

その中で出会った人たちが、自分とは違うクズのタイプたちで親近感を覚えた。
その人たちの中でも熱中してたのが旅だった。

彼らに旅のあれこれを聞いた。
いつの間にか旅をするために金を稼いでいた。
目的があると人に媚びを売ったり、陰口を言わなくなった。この感覚はどう説明していいのか分からない。
今までは暇だったのだろうか、やる事がないと元がネガティブな俺は愚痴や消極的な会話になってしまっていた。

その頃は実感がなかったが、人の陰口をする側だった自分が、いつしか陰口をする側を避ける側になっていた。

皮肉にも俺を前向きにさせてくれたのは、社会人ではなく、社会に不適合者の烙印を押された人たちだった。

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自信を1ミリずつ付けていく
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32歳になり、旅を知って10年が経つ。
20代はこう見えて47都道府県と30ヵ国を旅した。毎年の6ヶ月分は旅をしたほどだ。
旅の話も長くなるのでここでは省き、徐々に書いていきたい。

旅の中で1日1ミリずつ成功体験を重ね、自分に自信を付けてきた。
旅はいい。簡単に新しい成功体験がつくれる。
会社だとそうはいかないだろう。
3年もすれば環境に慣れ、今の立場から動きたくなくなり、新しい事なんかに挑戦する機会も気力も無くなり頭打ちだ。

ただ、今も自分に自信が無い。
無いが、自信あるオーラは身に纏えるようになった。笑
無理にオーラは纏ってないのでご安心を。これで疲れることはない。

母から言われた「ダメ」も今では良いように捉えられ、ダメな奴なりに自分を肯定して自信を付けている真っ最中だ。

上昇志向のようにまとめたが、母にダメだと言われ続けた事を俺は声を超絶大きくして「被害者だ!」と叫びたい。ほんとはね笑

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