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クリエイティビティの正体

広告業界では、製作物を総じて「クリエイティブ」と呼ぶらしい。
写真とか、イラストとか、デザインとか、を指す。

だから広告でいうところの「クリエイティビティ」というのは、一般的にイメージされる「創作性」とはまたちょっと違う。

創作性の問題はAIの問題とも深く関わるので、「クリエイティビティの正体」について考えることは僕のライフワークのようなものだ。

さて、人間がクリエイティビティを発揮しようとすることは簡単なようで難しい。
日々安穏と過ぎていく時間の中で、掴みどころのないものを掴まなければならない。

まるで間違い探しだ。

最近、読む漫画がなくて、毎週のように漫画雑誌を買うようになってしまった。まあそれはむしろいいんだけれども、それでも読みたい漫画が足りなくて昔の名著を漫画で書き直した本なんかも何社からから出ていて、それを読み耽るのも楽しいと思えるようになってしまった。

たとえば 佐藤文香と近藤たかし によるカントの純粋理性批判を漫画にしたこの作品は、カントが定義する理性の機能をAIとして分解して実装し、次第にAIが自我に目覚めていくというストーリーがとても良い。AI研究者としてもハッとさせられる場面が少なくない。

ニーチェの「神は死んだ」という表現を、クリスチャンの家に生まれたサッカー少年の人生で説明した堀江一郎 、十常アキ による「ツァラストラはかく語りき」も良かった。

こうした本の描かれ方というのは、クリエイティビティの根本に対する問いかけでもある。

これまで、どのような物語も、基本的には何かの哲学や他の本を底本としていても、あくまでも「自分の意見」を述べることが前提だった。

たとえば、「宇宙戦艦ヤマト」は西遊記を底本として書かれていることは後に脚本を担当した豊田有恒が明かしている。

ところが、著作権という概念の成立は、グーテンベルクの活版印刷を契機に活発化し、18世紀には英国で現在の著作権法のもととなる法律が制定され、19世紀末に世界各国がそれに準じる著作権法を採用することになった。とすると、現在の著作権法というのは高々百年程度の歴史しかないのである。

著作権法が生まれたばかりの頃は、全ての過去の著作は尊重されるべきであり、新しく書かれる本は過去のものとは異なる意見を述べるべきと考えられた。

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