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最先端物理学者が平易に語る衝撃的考察「時間は存在しない」

東大松尾研の山川宏先生に、月に一度、社内で講義をお願いしている。

そのとき、「本当は時間があればこの本についても語りたかった」と仰っていたので僕も気になって読んでみた。それが本書「時間は存在しない」である。

本書の著者、カルロ・ロヴェッリは超ひも理論とは別の宇宙論である、ループ量子重力理論(loop quantum gravity)の提唱者の一人。

超ひも理論は車椅子の科学者、スティーブン・ホーキングが提唱していたことで有名。理論物理学の世界では、超ひも理論を含む弦理論を信奉する派閥と、ループ量子重力理論を信奉する派閥の真っ二つに別れている。

宇宙論の話はむちゃくちゃ面白い。そして意外と身近である。なぜ身近であるかというと、宇宙論とは、我々人間が、人生をどのように生きるのか、その追求に他ならないからだ。人類がなぜうまれ、なぜ生き、なぜ死んでいくのか、生に意味はあるのか、子孫に意味があるのか、突き詰めようとすると、どうしても最後は宇宙論に行き着く。なぜならば、宇宙論は、一見すると古代の人々の神話のようでありながら、実際には数学や加速器といった道具を使って、人類の理解の最深層を手軽に垣間見ることができるからだ。

誰でも子供の頃、疑問に思ったことがあるはずである。「ぼくたちはなぜ生まれてきたのか。ぼくたちは死ぬとどうなるのか。死なないとどうなるのか」

そして現代の宇宙論は古代のバラエティ豊かな宗教観と似ていて、たとえば宇宙は完全に平らな平面で、我々が認識しているこの空間はホログラフィのように浮かび上がっているのだという説もあれば、バイオリンの弦のように観測不能なほど小さいひもが振動することによって宇宙が作られているのだという説もある。

いまのところ、確かそうな事実は2つしかない。一つは、相対性理論は正しいということ。もう一つは、量子力学も正しいということ。それならそれでいいじゃないかと思ってしまいそうだが、実際にはこの2つを同時に成り立たせようとすると矛盾してしまうという大問題があり、この矛盾を紐解くためにこの100年近い時間が費やされてきた。

あとはもう、何を確からしいと思って信じるかという、深刻な宗教戦争の様相を呈しており、激昂する人もいるらしい(ひょっとするとこのエントリーにも弦理論の信奉者から攻撃的なレスがつくかもしれない)。

たとえば人気コメディ・ドラマ「ビッグバンセオリー」では、カルテックで働く二人の理論物理学者、シェルドン・クーパーとレズリー・ウィンクルが激しく敵対する。ホーキングを崇めるシェルドンは当然のように超ひも理論を信奉し、彼はレズリーを「ループ量子重力理論を盲目的なまでに信奉している」と批判する。結局、シェルドンの親友のレナードはレズリーと結婚を前提に付き合おうとするのだが、ループ量子重力理論を養護しなかったことで、「じゃあ子供はどっちの方針で育てるの!?」と激昂し、二人は別れてしまう(シーズン2第二話)。


ところが日本語では手軽なループ量子重力理論の解説書がなかった。いや、実は同じ作者による「すごい物理学講義」という本があったのだが、僕は残念ながら見逃していた(今読んでる)。

ただ、この本は本当に物理学の講義なので、一般向けと考えるとやや数式が多い。

その反省を生かして、最もショッキングな結論をタイトルに持ってきたのが、今回紹介した「時間は存在しない」なのだ。

この本は、いわばループ量子重力理論における「ホーキング、宇宙を語る」である。

「ホーキング、宇宙を語る」が何故評価されたのかと言えば、数式が出てこなかったからだ。

「時間は存在しない」にも数式は一本しか出てこない。しかもそれは、ちょっと利口な小学生でも理解できる程度の簡単なものだ。

⊿S ≧ 0

Sは乱雑さの度合い(エントロピーと呼ぶ)であり、⊿(デルタ)は差分を意味する。この式が意味することは、「暖かいものは放っておけば必ず冷める」という誰もが知っていることでしかない。

著者によれば、この式は、物理学の世界において「時間が存在する」ことを直接意味しない。

本書は、我々が当たり前のように存在を受け入れている「時間」というものの正体に関して、これ以上ないほどの哲学的洞察を与えてくれる。

もちろんこの理論が正しいかどうかは賛否ある。賛否あるが、僕はなんというか、最近の宇宙論で初めて「納得」できた。

だいたい、小さい弦が振動して時空が生まれるという話は難しすぎる。イメージできないし、宇宙はホログラフィだっていう話にしてもゲームの登場人物が自分たちのゲームの物理的媒体を直接みることができないのと同じで、ピンと来ない。これだったら、海を飛ぶカモメの夢の中に今の宇宙があるとしいう話とあまり変わらない。

それに比べると、ループ量子重力理論は極めて受け入れやすい。これが宗教的論争になってしまうのは非常によくわかる。どうせ科学理論というのは本当かどうかわかるまで一生かかっても追いつかないことが普通なのだから、自分にとって気持ちのいい理論を受け入れて生きればいい。

簡単に言えば、僕はこの理論が「気に入った」のである。

ループ量子重力理論に関しては、以前から関心があったが、仕事の合間に片手間で勉強するようなものではないだろうから断片的な情報だけを聞いてきた。ところが本書によって、ループ量子重力理論がなんなのか、という問いの答えは得られないものの、それが意味する宇宙の構造とはなんなのか、ということが非常に腹落ちした。

もちろんその秘密を知りたければ本書を読むしかないのだが、けっこう話が脱線する本なので、かいつまんでどういうことなのか要約する愚をあえて犯すとすると

・相対性理論が正しいから、宇宙において「現在時」は無意味である。よって「現在」は局所的にしか存在しない。つまり厳密にいえば、「現在」は誰とも共有できない。

・量子力学が正しいから、宇宙において、確率的なことは確定するまでは何も決まらない。何かが確定するということは、他のなにかと関わったときだけである。これが巨視的にぼやけていくと、そこに相対量としての乱雑さ(エントロピー)を見出すことができる。

・宇宙を記述するために書かれた関数を調べていたら、時間に関わる変数が不要なことが分かった。つまり、宇宙そのものは「時間」とほとんど無関係である。

・宇宙にあるのは、「出来事」の関係性のネットワークだけである。「出来事」は量子力学的な確率を確定させ、出来事の連鎖が現実を作り出す。

・我々が時間を認識できるのは、過去の痕跡をニューラルネットワークが記録し、生存率を高めるために過去を記録し未来を予測するように進化を続けてきたからである。

実際の本書の内容は非常に教養的でポエジックで、詩的ですらある。単に科学の理論を並べるだけでなく、古代の哲学者や詩人や神話などの話も織り交ぜて、極めて難解であるはずの最新理論を極力ふつうの人にもわかるように説明されている。

僕の要約ではあまり納得感がなかったかもしれないが、僕はこの世界観を2つの点で気に入っている。

・宇宙の根本がネットワークであり、それを認識するのがニューラルネットワークであり、それによって織りなされるのが社会といったネットワークであること。つまり自己相似形(フラクタル)であるところが美しい

・量子論の確率的な振る舞いに対して「ぼやけること」が重要視されている点。僕はニューラルネットワークの目的は「膨大な情報をぼんやりした要約に変える」ことだと考えているので、感覚的に腑に落ちた。


僕は子供の頃から自分がどうして宇宙論に心を惹かれるのか、いまひとつ理解していなかったのだが、人工知能と宇宙論という、僕の好きな2つの事柄がループ量子重力理論を通すと本質的に同じものに見える。

久しぶりにいい本だった。

もっとループ量子重力理論の具体的なことについて知りたくなったので、先述した「すごい物理学講義」を読んでいる。被っている点もあるが、より理論的に理解したいと強く感じた。