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「君ならどこでもやっていけるよ。」

商業高校の会計の先生

会計の先生は男性で40代だった。控えめに言って、笑ったところをみたことがない。20年前。那覇商業高校は女子が多かった。先生は、女子に厳しく(というか特別扱いしない、軽い話に付き合わない)、ほとんどの女子に嫌われていた。フケがスーツについている、気持ち悪い、などだ。

 そんなもの気にしない人らしく、いつも態度は変わらなかった。それに比べて男子には、比較的優しい印象がある。何故かクラスに7名の男子だけ、自宅に招いて勉強会のようなものを2回位開いていた(和睦は1人だけ野球部の練習で行くことが出来なかったが、とても行きたかった。)。商業高校にしては、比較的難しい内容の授業をしていた。ただし、質問をすると分かるまで丁寧に説明をする。授業以外の時間を使ってでもやる。それにアメリカの現状や、ポカリスエットが何で売れ始めたのか、などの話も間に挟んでいた。

 

何故か気に入られていくようになった

 先生は慶応大学の出身だった。慶応大学といえば、商業高校生からみるとエリートだ。僕たちは大学に合格すると、すごいと言われるような高校にいた。その中でも僕は野球部に入っていて、授業中は10回のうち9回は眠っていた。成績も受験ではクラスで1番だったらしいが、1年ごとに落ちていった。それでも、何故か先生には気に入られていくようになった。あまり言葉を交わすことはなかったけど。

 思い当たるのは、夜学校の教室に一人で残って簿記の試験勉強をしていたのを、先生が見ていたらしいことだ。当時の僕は2年生も終わりに近づき、プロ野球選手はもちろん、レギュラーになることも客観的にみて100%ない頃だった。授業でも少しずつ起きるようになり、先生にも少しずつ質問するようになった。そして資格を取るために部活が終わってから勉強するようになった。夜8時から9時までとか。簿記の試験は合格した。点数はギリギリだった。試験が終わった後、先生は「これからどんな勉強をしたい?」などと聞いてきた。なんと返したのかは忘れてしまった。

階段

 何で慶応大学まで行って地元の高校の先生をやっているのか、興味があったけど聞くことが出来なかった。僕は3年生になり、先生の担当からは外れた。ときどき先生を観ることがあった。校内でも厳しいと言われる先生や、昔気質の先生と親しく話している様子をみて、社交性もあるんだなと思った。

 大学は一般推薦で合格した。正直に言って、授業料を払えるなら誰でも入ることが出来る大学だった。でも必死で小論文の勉強をして面接の練習をしての結果だった。そして大学というものは、どこに行くかではなく、何をするか、だと考えていた。

 卒業間近、先生と会談ですれ違った。挨拶を交わした後、先生から言われた。「君ならどこに行ってもやっていけるよ。」そう言って先生は階段を昇っていった。先生はお世辞など言わない。キミなんて呼ばれたは初めてだった。苦しい時、思い出したりする。あの先生が言ってくれたんだから。

聞くところによると、そのあとは商業高校の卒業生と結婚し、教頭先生にもなったようだ。そして僕は、失敗しながら司法書士という仕事をしている。先生に対して君なんて呼べるわけがないですが、ありがとうございます。