愛は"コスパ”じゃない/アナログフィッシュ「No Rain(No Rainbow)」

アナログフィッシュのアルバム『Almost A Rainbow』がすばらしい。

特にすごいのが下岡晃が書いた「No Rain(No Rainbow)」という曲の歌詞。「いいなあ」と思って何度か繰り返し聴いてたけど、今日、ふと聴き返してたら、ぐさりと刺さった。そこから20回くらい繰り返して聴きながらこれを書いてる。これYouTubeにないのね。しょうがない、視聴できるリンクを貼っておこう。

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※追記(2016/6/7)ミュージックビデオが公開されたので追加しました。


ほんとは聴いてから読んでほしいんだけど、まず歌詞を引用する。

「僕はバカだから傷つけなきゃわからないんだ」
「そんなあなたを選んだ私に見る目がないのね」
なんて笑いながら暮れる街を歩いていた
不意に隣をいく君の髪が風に揺れる

"No Rain No Rainbow"

「この幸せの代償に僕は何を支払うんだろう」
「何も何一つも支払う必要なんてないの」
「何故?」と問いかける僕に君は困ったように
「雨が降った後にかかる虹のようなものよ」

and she said
"No Rain No Rainbow"

寄った居酒屋は値段の割に酷いもんで
それを愚痴る僕に君は思い出したように
「ただ好きなだけでこれはサービスではないの
ただ美しいだけで虹は雨の対価ではないでしょ」

「でも…」 she says
"No Rain No Rainbow"

君に何かしてあげたいっておもうよ


雨のあとには虹がかかる。それは当たり前のこと。それを「悲しみのあとには喜びが待っている」みたいなことのメタファとして表現するような歌も沢山ある。

でも、この曲の「No Rain No Rainbow」はそういうことじゃない。もっと先のほうに踏み込んでる。

恋人か夫婦か、心を許しあえる相手と笑いながら夕暮れの街を歩く、日常のささいな風景から曲は始まる。ふと「この幸せの代償に僕は何を支払うんだろう」と「僕」が怯える。それに対して「君」が言う。「何も何一つ支払う必要なんてないの」。だって「ただ美しいだけで虹は雨の対価ではないでしょ」。

この一行は本当にすごいと思う。下岡晃の詩人としての冴え渡る才覚を示してる。

というわけで、ちょっとそれを検証するためにアナログフィッシュのここ数作を振り返ろうと思う。

2011年以降、彼の言葉は「覚醒」と言っていいほどの切れ味を増していた。きっかけはアルバム『荒野 / On the Wild Side』。というか、その1曲目に収録された「PHASE」だった。

2011年5月にリリースされたEP『失う用意はある?それともほうっておく勇気はあるのかい』にも収録されたこの曲。震災前に書かれたというこの歌詞の一節は、偶然なのか必然なのか、3・11以降の社会にシャープに照準を合わせたものになっていた。

『荒野 / On the Wild Side』には「戦争がおきた」という曲も収録されている。日常の情景を淡々と描写する中に「戦争」という言葉がインサートされる曲。これも、つまりはプロテスト・ソングを引き受けた曲だった。

2013年の『NEWCLEAR』に収録された「抱きしめて」も、実は震災の一年前に作った曲だったらしい。そのことを踏まえて考えると、震災後の、原発事故後の現実に鋭く符合する歌詞は、あきらかに「啓示」に属するものだった。

危険があるから引っ越そう
遠いところへ引っ越そう
畑と少しの家畜をかって
危険が去るまでそこにいよう

いつまでなんて聞かないで
嫌だわなんて言わないで

ねぇどこにあるのそんな場所がこの世界に
もうここでいいから思いっきり抱きしめて

2014年の『最近のぼくら』は、『荒野』『NEWCLEAR』とあわせた「社会派三部作」と位置付けたアルバムだった。

全般にループを元にした曲構成になっていて、表題曲はドラムとベースのみのシンプルなサウンド。ヒップホップにも接近したスタイルになっている。ただ、「社会派三部作」と言うわりには、メッセージを背負おうとはしていない。熱を込めず、目の前にあるものの描写に徹している。

このアルバムのインタビューでは「日常の風景を歌いたかった」と言っている。「そのほうがメッセージを歌うよりも自分にとって大事」だという。ただ、その一方で、別のインタビューでは「いつもレベルミュージックを作ろうと思っている」と語っている。

というわけで。

なんで遡っていろいろ書いてきたというと、下岡晃というリリシストの「覚醒」が、この「No Rain(No Rainbow)」にちゃんと結実しているから。

つまり、この曲では「日常の風景を歌う」ということに徹していながら、ちゃんとプロテスト・ソングになっていると捉えることができるわけだ。

何に対してのプロテストかというと、それはおそらく「市場化」の圧力。何かを手に入れるためには、何かを支払わなければいけない。幸福や、愛や、自由や、そういった大切なものを含めたすべての価値に、値札がつけられる。「世界は等価交換で成り立っている」と勘違いしてしまう。

わかりやすく言うと「コスパ」で全てを判断してしまう価値観、ということだ。

この曲に出てくる主人公の「僕」は、その価値観を知らず知らずのうちに内面化している。だから、自分がお金(代償)を払って手に入れたわけではない幸せが怖くなる。コストとパフォーマンスの関係にとらわれているから、「値段のわりにひどい」居酒屋をグチる。

それに対して気高い「君」が諭すように「ただ好きなだけでこれはサービスではないの」と言う。私があなたのことを好きな気持ちは、市場やお金やコストや報酬には関係ないでしょう?ということだ。「ただ美しいだけで虹は雨の対価ではないでしょ」と。

それをうけた「僕」は「でも…」と口ごもる。

そして最後の一行にたどり着く。この曲の歌詞は二人の会話の描写で綴られているのだけれど、最後の一行だけそこから飛躍する。カメラが俯瞰から主観に切り替わって、歌はこう繰り返して終わる。

〈君に何かしてあげたいっておもうよ〉

前述した後藤正文の対談の中で「ラジオとか聴いてるとさ、サビの中で“愛してる”って言葉を言いまくる歌もあって。サビで“愛してる”を16回も言うのか、みたいな(笑)。でも愛ってそういうことじゃないじゃん?」という風に下岡晃は語っている。

そのことを踏まえて考えると、二人のダイアローグを通して「対価」とか「代償」とか、そういう価値観を丁寧に取り除いて辿り着いた「君に何かしてあげたいっておもうよ」というのは、そのまま「愛してる」という言葉と同義になっている。

ものすごく批評性を持った愛の表現だと思う。


(ちなみに。アナログフィッシュというバンドは下岡晃と佐々木健太郎という全くタイプの異なる二人のソングライターがいて、なので『Almost A Rainbow』というアルバムの素晴らしさを語るには「No Rain(No Rainbow)」だけじゃ片手落ちなのだけど、これ以上は長くなるのでやめときます。でも、山下達郎とチルウェイヴが溶け合ったような「Baby Soda Pop」や「Will」のキラキラしたきらめきも、すごくよいです)


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柴 那典

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