1998年という「音楽シーンの特異点」、そして、その時にhideがいた場所

5月2日は、hideの21回目の命日。

毎年開催されてきたhideを偲ぶ会のことは、ニュースにもなっていた。

僕自身は、リアルタイムでリスナーではあったものの、熱心に追いかけてきたファンだったというわけではない。

それでも、ここのところ、平成の日本の音楽のヒストリー、特に00年代以前には強くあった「洋楽と邦楽の壁」という問題について考えているときに、hideの存在がとても重要だったんだということを改めて考える機会があった。

そして、hideが残した「ピンク スパイダー」という一曲が、いろんな意味で時代の先を行っていたんだ、と考えるきっかけがあった。

というのも、最近、『オルタナティブロックの社会学』を著した南田勝也さんが編著に携わった『私たちは洋楽とどう向き合ってきたのか――日本ポピュラー音楽の洋楽受容史』という本を読んだから。

とても興味深く、おもしろい一冊だった。

で、この本の序章には「洋楽コンプレックス」というキーワードがある。

ここで洋楽コンプレックスを取り上げているのは――誤解を恐れずに言えば――それが「甘美な」経験だったからである。到達目標とするアーティストの音楽性や技巧面だけでなく、思想や社会性までも西洋の音楽側に置き、ほんものの証や音楽の崇高さは「いま・ここ」にいては得られないと駆り立てられる気持ち。日本での人気に安住せず、物まねを脱してオリジナリティを捻出し、世界にエクスポートしようという気概。あるいは日本の音楽のクオリティやレベルに悲観しているがゆえに、西洋に匹敵すると判断できる日本人ミュージシャンを必死で探し出そうとする音楽ファンの試み。これらの感覚は、単に劣等感ではなく、差異化・卓越化の源泉となり、競争的状況を生み、音楽への没入へと誘うものであった。日本が音楽消費大国であるのは、つねに一歩先へ行きたいとするそのような衝動が駆動しつづけてきた所為である。

ここが、とても膝を打ったポイントだった。

コンプレックスというのは単なる劣等感ではない。むしろ憧れとないまぜになったその感情があったからこそ日本の豊かな音楽カルチャーが育ってきたのだ、ということだろう。

戦前のジャズやビートルズ初来日など、様々な時代における「洋楽と邦楽の関係性」が語られるこの本だけれど、個人的にもリアルタイムの記憶と共に最も面白く読んだのが、『ロックフェスの社会学』の永井純一さんが書いた「フジロック、洋邦の対峙」という章だった。そこにはこんな記述がある。

日本初の「本格的」な野外ロックフェスティバルとしてのフジロックの功績のひとつに、音楽ジャンルならびに洋楽/邦楽の垣根をなくしたことがしばしば挙げられる。
(中略)
フジロック以前にも洋楽アーティストと邦楽アーティストが共演するイベントはあったが、それらにおける日本のバンドは前座というニュアンスが強く、洋楽/邦楽という差異は強く機能していた。

この章では、1997年の嵐のフジロックでイエロー・モンキーが立ち向かい大きな挫折となった”壁”について、そして翌年の1998年に豊洲で開催された2度目のフジロックでミッシェル・ガン・エレファントやブランキー・ジェット・シティが生み出した熱狂について書かれている。そこに忌野清志郎がいたことの意味について書かれている。

振り返ると、1998年というのは単に「CDが一番売れていた」だけでなく、日本の音楽シーンがとても豊かだった幸福な時代なのではないかと思う。とりわけフェスという空間や、そこが象徴する音楽メディアやリスナーたちの文化において「邦楽ファン」と「洋楽ファン」が最も幸福に溶け合っていた時代なんじゃないかと思う。

(もちろん人によっては異論はあるだろう。しかし00年代以降、両者のクラスタはわかれていく。同書にはその後2000年代に入って開催されたROCK IN JAPAN FESTIVALに出演したTHE JON SPENCER BLUES EXPLOSIONが直面した”断絶”についても書かれている。僕もそれを当事者として目の当たりにしている)


もちろん、hide自身はフジロックには出演していない。

でも、「音楽ジャンルならびに洋楽/邦楽の垣根をなくす」という信念を、1998年において、最も強く体現していたのが彼だったと思う。

1997年の大晦日にX JAPANが解散し、その興奮もさめやらぬ元日に「hide with Spread Beaver」名義でのソロ活動を始動。その一方で、Zilchという3人組のバンドを同時並行で進めていた。メンバーはhide以外には、元Killing JokeのPaul Raven、Sex Pistolsのサポートも務めた元PROFESSIONALSのRay McVeigh。楽曲は全編ほぼ英語詞で、サウンドは当時のUSのロックシーンの主流だったインダストリアル・ロックの方向性。特に通じ合っていたのが、マリリン・マンソンやナイン・インチ・ネイルズだった。

1999年夏にはサマソニの前進イベントとなった「beautiful monsters」が開催されたのだけれど、そこではもし生きていれば、hideとマリリン・マンソンとの共演も予定されていたという。

あと、もうひとつ。

そして、当時のインタビューを読み返すと、hideは「ピンク スパイダー」について、曲のテーマは”WEB=蜘蛛の巣”だということ、そのモチーフが当時ハマっていたインターネットだったということを語っている。

そう考えると、あの曲は誰よりも早い(livetuneの「Tell Your World」より12年早い)インターネット・アンセムだったのだとも思う。

1998年は、日本の音楽ヒストリーの「特異点」だった。そこでhideが成し遂げようとしていたことが、彼が死ぬことなく成就していたら、その後の歴史はどう変わっただろう。そんなことをたまに考える。

――――――

というわけで、最後に告知。

二つのトークイベントに登壇します。一つは、5月10日、南田勝也さん、永井純一さんとの、B&Bのトークイベントです。

『私たちは洋楽とどう向き合ってきたのか』(花伝社)刊行記念
テーマは「最近、洋楽って聴いてますか?」

2019年 5月10日(金)
時間 _ 20:00~22:00 (19:30開場)
場所 _ 本屋B&B
東京都世田谷区北沢2-5-2 ビッグベンB1F
入場料 _ ■前売1,500yen + 1 drink
■当日店頭2,000yen + 1 drink

チケットはこちら。

もうひとつは、イントロマエストロ藤田太郎さんとのトークイベント。テーマは「1998年に何が起こったか?」。こちらは洋楽というよりJ-POPがメインの内容になります。

「8cmシングルナイト Vol.3 ~1998年に何が起こったか~」

2019年 5月14日(火)
OPEN 18:30 / START 19:30
前売(web予約)¥2,000/当日¥2,300(+要1オーダー)
【ナビゲーター】
藤田太郎(イントロマエストロ)
柴 那典(音楽ジャーナリスト)

チケットはこちら。


二つのトークイベントはお相手もテーマも全然違うのだけれど、実は僕の中で喋ろうと思っていることは一続きのモチーフだったりするのです。そういうことを考えていて、そのキーパーソンの一人がhideだった、ということなのでした。

というわけで、もし興味そそられた方がいらっしゃったら、ぜひお越しください。

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柴 那典

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