syrup16g「生きているよりマシさ」/嬉しいという感情


6年ぶりの再始動を果たしたsyrup16g、ニューアルバム『Hurt』からのリード曲。『MUSICA』のアルバムのレビューでは、こんなことを書いた。

(以下一部引用)

白石一文の小説『翼』に、こんな一節がある。

「小さい頃から、死は“記憶の消滅”だとずっと思ってきた」

小説の中で、主人公と上司の「人は死んだらどうなると思う?」という会話を通して、死と記憶に関しての深い洞察が語られる。こんな具合だ。生と死はデジタルなONとOFFではない。たとえ誰かが生物的な死を迎えたとしても、その人の記憶が残された人々の間に生きている限り、その人は存在し続ける。みんなの心の中から記憶が消え去ってしまったときに初めて、その人はこの世から「完全に」消えてしまう。

そして、逆に。もし自分のことを最も深く理解している誰か別の人がいるならば、その人が亡くなることで「自分というメモリ」の中枢部分が消滅することになる。それは自分自身の死よりもさらに“致命的な死”とは言えないだろうか――。

バンドの解散と人の死を重ねてしまうのは、あまりに軽率かもしれない。でもsyrup16gの再結成の一報と、それが巻き起こした反響を見ると、どうしても思ってしまうのだ。

彼らは解散した。6年前にバンドは活動を止めた。昨年に行われた五十嵐隆名義で行われたライブのタイトルは「生還」だった。でも、音楽は死んじゃいなかった。生きてたんだよ。沢山の人が、深く深く、彼らの音楽を自分の人生と重ね合わせて生きていた。救われていた。決して大ヒットはしなかったかもしれない。けれど、だからこそ、彼らの存在は、むしろ不在の間に大きくなっていった。(以下略)

このレビュー、詳しくは書かないけど、実はいろいろと冷静でいられない状況で引き受けた原稿だったのです。だから「死」なんて大袈裟な言葉が出てきちゃったんだけど。でもやっぱり、彼らみたいな、不在のあいだに存在がどんどん大きくなっていたようなバンドは、本当に少なかったと思う。

そうそう。

僕はこの人のブログのこの記事を読んで、会ったこともないけど、すごく共感したんですよ。こういう文章が綴られるようなバンドがSyrup16gなんだ。

Syrup16gが再結成するのでブログを再開することにしました

http://blog.livedoor.jp/narasaki_sikari/archives/4105253.html

ブログを閉鎖していました。6月をすぎて7月になったらブログを削除するつもりでした。その踏んぎりをつけるためにtwitterを削除したり、その他諸々のアカウントを削除していました。んで、7月になったときにあと三日後にブログは削除するつもりでした。その理由といえば、日常生活がほんとにもうまったく悲惨なことになってしまったので、いつ全てがどうでもよくなってしまうか分からないのでとりあえずブログを削除しておこうということからでした。ひと言でいえば身辺整理というものでしょうし、道連れといってもいいでしょう。とにかく、もう終わりにしたかったのです。色々ともう。
しかし、ついさきほどsyrup16gが再結成するというニュースを知りました。それは、「Hurt」というニューアルバムをリリースして、さらに東名阪でライブを開催するというニュースでした。それがあまりに嬉しすぎて、おれは酒に弱いくせに嬉しさのあまりに飲みすぎてしまって、いまかつてない眩暈がしているんですが、とにかく嬉しいのですよ。アルコールですらこの喜びを鈍化することはできずにまだおれは嬉しいままです。

ほんと嬉しいし、嬉しいですよ。嬉しいしか書いてないけど、嬉しいからには嬉しいと書きたいんですよ。だっておれはまだ一度もsyrup16gのライブに行っていないし、そのことをずっと後悔していたし。それが心残りだったから。 sryup16gが再結成する。このブログを再開する。syrup16gがニューアルバムを出す。おれもまだそのすばらしいであろうアルバム聞くために生きる。そのアルバムを買うために労働をしてお金を稼ぐ。おれはまったくの無能だけど、人前で恥をかいて人前でストレスを背負って人前で頭を悪くしてでも金を稼ぐ。そのために労働をする。できればその感想をブログを書いていく。そういう感じでやっていければなとおもいます。


この曲も、「生きているよりマシさ」という、とてもとてもダウナーな感情が歌われている。陽気で軽快なシャッフルビートに乗せて歌われている。でもその一方で「君といられたのが嬉しい」「間違いだったけど嬉しい」というような言葉も歌われていたりする。

嬉しいよね。(87/100)

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