なにかしていると、なにもしない日が欲しくなる。なにもしていないと、なにかしなければと思う。
もう、わたしの人生、ずっとこれ。
わあい連休だあ、と精神がフルパワーでグウタラすごせるのは初日だけ。2日目くらいからは、漫然とすごす時間にたいして「これでいいのか」「せっかくの休みにもっとやれることはあるんじゃないか」「なにかやらなきゃいけないんじゃないか」と、こころに負荷がかかってくる。
かといって、しごとの日は、しごとが終わればジムに向かい、夜はまいにちnoteを書く。とうぜんながら、じゆうな時間はかぎられる。
連日、そんな生活をすごしていれば「ああ!休みになったらぜったいグウタラしたる」と、モーレツに休日に恋い焦がれて生きる。そしてまた、連休の前日ともなれば、あしたからはノビノ〜ビすごすぞう、とおおいに意気込む。
しかしいざ連休を迎えると、わあい連休だあ、と精神がフルパワーでグウタラすごせるのは…(以下ループ)
ずっとこれ。
つねに「なにかためになることをしなければいけない」と、自分に脅迫されて生きている。
かといって、それに全身全霊で殉じることもできていない。1日中、自己啓発に生きているわけでもない。なんとなく、申しわけ程度に、トレーニングジムに通って、まいにちnoteを書いているだけ。それは自分から「ちゃんとなにか自分磨きをやれているのか?」とおびやかされない、最低限のラインとして。
そこまで、自己啓発にいそしめる人間ではないのだ、きっと。そして、逆にただ消費するまいにちをすごせる覚悟があるわけでもない。
中途半端だなあ、と思う。
これで苦しんでいるかといえば、苦しんでいる。だって、けっきょく目の前の時間を全力で生きられていないからね。
休むときは、おもいっきり休めばいいじゃん、と思う。なのに、「なにか実になることをやっていることがいちばんの正義」みたいな、むだに意識高い風の価値観につねにさいなまれている。不幸だと思うよ。
先日、noteを回遊していると「なにもしない日は、なにもしないという選択をし、それを実行できた日」ということばに出逢った。
とても、よいことばだと思った。
そうですよ、そのくらい、自分をコントロールできたら、人生はもっとたのしく生きていける。
どうすれば「なにもしない日」に罪を感じず生きられるのか。
わたしのような人間は、ここにもっと人生をゆたかにするヒントが残っているのだろうなあ。
自分さがしの旅って、なかなか終わらないなあ。
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