女はカーテンのサンプルを一枚一枚手にとって眺めている。いつも奇抜な服装で商店街をうろついているいわくつきの女だ。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか」最近はあまりお客さんに声をかけたりしないものよ、と姪に言われていたが、すんなりと言葉が出た。
「いいお値段ね。一万円って1セットの金額じゃなくて生地1メートルあたりなのね」
女は独りごとのようにささやくと口元に笑みを浮かべた。きれいに化粧が施されているもののお世辞にも若いと言い難いその顔に思わずはっとした。
「こちらは人気商品です。有名な錦絵を模して銀糸を織りこんだものです」蘭の花柄に蝶をあしらったものだ。
「とても素敵だけど、カーテンはやはり落ち着いた柄がいいわ。たとえば公演の幕間に降 りる緞帳があるでしょう。もちろん上品で美しい絵であることが必要でしょうけど、大事なのはお芝居の余韻を壊さないことなのよ。お客さんは幕を見るために来ているわけじゃない。もちろん劇場ではただの脇役じゃないわ。要するに次の幕のために大道具を移動したり役者が素顔でいる姿を隠すため不可欠な存在。雨に降られたらどんな傘でもないよりはましでしょ。同じようにカーテンの役割は視線や夜気から部屋を守ることなの。でも選ぶとなると真剣に考えてしまうわね。まるで人生がかかっているかのように」
私は一枚の生地を出して思いきってこう言った。
「では、こちらはいかがでしょうか。あの、丘英美里さま」一見するとごく普通のベージュだがパンジーの図柄が細かく刺繍されている。丘英美里はアラ、と口元をほころばせた。

私は幼いころからよく母に連れられて芝居見物に出かけた。母の実家は地方都市の手広くインテリア用品を商う問屋で、絨毯や壁紙なども扱っていた。地元の小劇場の内装を請け負った関係でチケットが手に入ったのだと思う。母はよく同郷の星「エミリさん」が今回は何々の役で出ていると騒いでいた。やがてそのエミリさんは大きな劇団に移ってチケットは容易に手に入らなくなった。転売屋だのファンクラブだのスポンサーだのカード会社だのが複雑に入り組んで、この演目だけ見たいわのミーハー根性くらいでは到底手が届かないところに行ってしまった。そうした入手困難にたいするチャレンジ精神に火がついて私は「母のため」という動機に突き動かされてひたすらチケット入手に心血を注いだ。エミリさんは端役だったりダブルキャストでやっと買えた日時の舞台には出演していないことさえあったが。

「失礼しました。でも丘英美里さまですよね。母とよく舞台を拝見しておりました」
意外なことにエミリさんらしき女性はあまり驚かずにこう答えた。
「あなたは、その子さんの娘さんなのね」
まさかあのエミリさんが母を知っていたとは。
「驚いた?知らなかったのね。私とその子さんは小学校の同級生だったのよ。クラスは違ったけれども。私はこの町が生んだ天才子役なんて言われたけれどもちろんそれは作られたイメージよ。本当は弱虫で臆病な普通の女の子だったの。あるときあなたのお祖父さまが劇場にカーテンと緞帳を納入にいらしていて『うちの娘はあなたの大ファンですよ』とにこにこ声をかけてくれたの。私学校で浮いていて友だちもいなかった。あなたのお母さまは真面目なタイプでいつも静かに本を読んでいる女の子だったから私には意外で、きっと社交辞令だと思ったのだけど、『よろしかったら見に来てください』とチケットを差し上げたのよ」
初耳だった。母とエミリさんが同級生とは。
「それで、お母さまはお元気なの?」
「それが、十年ほど前に他界いたしました」
「まあそれは残念でしたね。もしや震災のころですか」
「いえ。もう少し前でした」
あれはちょうど前の歌舞伎座の改修が始まった頃だった。

 芝居好きがこうじて私たち親子は観劇がてら全国を遊び歩いた。やがてリーマンショックで景気が悪化し祖父の商売は傾き、母は体調を崩してそのまま帰らぬ人となった。会社は小さな店舗となり、結婚に失敗して出戻った私は今では伯父の店で店番をしている。そこもじきに店じまいというところに、まさか丘英美里が現れるとは。
「カーテン、いただくわ。いま小さな劇団で裏方をしているの。ぜひ見にきてちょうだい。あと、人手も探しているのよ」
ふたたび幕が上がった。

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