見出し画像

オリパラが終わって二週間、もう話題にもならず/宴のあとの空虚な東京

テレビをはじめとする主なマスコミは連日、自民党総裁選報道に明け暮れている。まさに電波ジャック状態で、ほとんど自民党の宣伝になっている。

 次の総裁が首相になるのだから、大きな出来事には違いないが、それより国会を開かないことを批判すべきだろう。

 しかも昨日、伊藤詩織さんを強姦した山口某の逮捕を阻止した中村格が警視総監になるという、驚くべきニュースが流れた。

 これに対する言及が全くないのである。NHKを始め、情報として淡々と伝えているだけだ。マスコミは候補にも、このことについて聞くべきだが。

 誰もそのことに思い至らないらしい。どうしてどのメディアも、似たり寄ったりの内容なのか。多様性はメディアにこそ必要だろう。

 ところで緊急事態宣言下ではあるが、渋谷に映画を観に出かけた。どうしても観たい映画が公開されたからだ。

 それは「ミッドナイトトラベラー」という映画だ。タリバンから死刑宣告を受けたアフガンの映画制作者が、一家四人でドイツを目指す困難な旅路を、みずからスマホで撮影したものである。

 悪徳渡航業者に全財産を奪い取られ、山中で寝泊まりしながら、それでも時々は助けられながらトルコ、セルビア、ブルガリア、ハンガリーまでたどり着く。そこまでで、既に三年かかっている。

 映画はそこで終わっていて、その後がすごく気になるのだが、こうやって映画にまとめて公開しているのだから、なんとかドイツに到着したのだろう。

 難民は行く先々で嫌われる。買い物に出て石をぶつけられたこともあった。娘たちも時々泣き出す。でもいつも笑顔の妻と、たいていは屈託なく遊んでいる娘たちの笑顔が救いだ。

 こうして大量の難民を生み出しているのは腐敗した権力であり、それぞれの思惑で動いている大国だ。中東はずっと欧米列強に振り回されている。

 表に出てみると渋谷の街は平和だ。ホッとする。だが活気は年々薄れている。100年に一度の大改造中なのに、反比例して魅力が薄れているのだから皮肉な話だ。

 ネット通販が発達し、各地に駅ビルや商業施設が乱立している今、若者も渋谷にまで出てくる必要はなくなった。渋谷に来れば何かあるという、ワクワクした気分は消えている。文化を生み出す力もなくなった。

 私が渋谷に行くのも、ミニシアターがあるからだ。日本には必要なかったシネコンの拡大で、厳しい状況に置かれていたミニシアターは、コロナ渦でトドメを刺されそうだ。

 駅に向かって歩きながら考えた。一昨年までの数年間の、外国人観光客が溢れていた時代が、渋谷の最後の輝きだったのだろう。

 写真を撮るために長蛇の列ができていたハチ公像も、今は所在なさげである。渋谷だけではない。多くの東京名所が同じような状況にある。ひとことで言えば空虚だ。

 東京オリパラが終わって二週間も経っていないのに、そんなものあったっけという気分だ。もう話題にもならない。いつ終わったのか、誰も覚えていないのではないか。

 オリパラを国家目標にして10年。「私たちには、この夢が必要だ」「夢を持て、感動せよ」と繰り返し、スポンサーCMは「挑戦せよ、自分を変えろ、世界を変えろ」と絶叫した。

 だが終わってみたら、あれは一体何だったんだという感想しかない。そもそも他人からもらう夢とか感動って何なのか。我らは脇役なのか。

 オリパラ後もその路線は続いていて、主役は大谷翔平と藤井聡太棋聖に移行した。しかし大谷が失速すると報道も減り、また気まずい雰囲気になっている。

 こういうことばかり繰り返して、ただただ虚しいだけだ。オリパラも、あんなに大騒ぎしたのに、都市の記憶として積み重なることもなかった。開催期間の一ヶ月は、まるで空白だったような気がする。

 そして今、我らが眼前にしているのは政治の空白だ。国民そっちのけで繰り広げられる権力闘争である。

 一方で、誰かの人生で感動せよという煽りと、相変わらず「挑戦せよ、自分を変えろ、世界を変えろ」という連呼だけが、虚しく鳴りひびいている。寂しい秋の訪れだ。

 激しい挑戦などしなくても、淡々と日常を積み重ねていける都市こそ、東京が目指すべき道だった。今からでも間に合うと思いたいが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?