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アフガンで地震 我々はタリバンとどう付き合うか


 アフガンで地震が起きました。タリバンは世界に支援を求めていますが、他国が応じる気配はない。「支援なんて、どの口が言うか」という感じである。

 こうしてアフガンのことが話題に上る度に、私は一昨年、タリバンが再度政権を握った後に開いた記者会見を思い出す。その時、タリバンの広報官は「女性の中等教育までは認める」と言った。
 
 すると、ヒジャブは着ているものの欧米風の洗練された女性記者が、「高等教育は認めないのか」と舌鋒鋭く迫った。それに広報官はうまく答えられずに言葉を濁し、女性記者はさらに追求した。結局、広報官は最後まで歯切れの悪い返答しかできず、立ち往生するような状況になったのである。

 その映像は世界に配信され、批判と嘲笑が巻き起こった。私はその光景を複雑な気持ちで観ていた。タリバンの幹部特有の白黒の民族服を着た、いかにも地方出身という野暮ったい広報官と、知的で洗練されて論理的な話し方をする、おそらくエリートで海外で暮らしているだろう女性記者。

 その対比は、言葉が勝負の記者会見という場で見事に可視化され、世界に伝えられた。私はジャニーズ事務所の記者会見を見た時、このタリバンの記者会見を思い出しました。

 この二つの記者会見は構造がすごく似ている。会見を開く側は人権侵害の常連で極悪、質問するのは知的水準が高く正義を背負った記者。彼女の背後には、西洋近代とグローバルスタンダードが控えている。両者の間には圧倒的な知的水準の差と、異文化の壁があった。

 そして、アメリカをはじめとする欧米先進国は「高等教育まで認めないとダメだ」と会見を全否定。その後も、タリバンが方針を発表する度に「ダメだ。不充分だ。信用できない」と否定し続けた。そして経済制裁を強めたのである。

 その結果どうなったか。タリバン内の融和派穏健派は力を失って強硬派が台頭。中でも最強硬派と目される人物が入閣するに及んで、初等教育も含めた全学校教育が禁止になり、美容院も閉鎖され、女性は容易に外に出ることもできなくなった。

 今回の地震で生き埋めになったのが、主に女性たちだったのはそういう理由からである。今思えば、あの時のタリバンが一番穏健だった。広報官を立てて記者会見をしたこと自体が画期的だったし、「あのタリバン」が中等教育を認めると表明したことは大進歩だったと思う。

 あれを国際社会、特に欧米先進国が受け入れ、ここが出発点だという見方をしていれば、少なくとも今よりはずっとマシな状態になっていたはずだ。考えてもみてほしい。アフガンがすぐに欧米先進国のような国になるだろうか。

 そもそも欧米先進国は、アフガンで何をしてきたか考えるべきだろう。イギリスは19世紀、わざわざアフガンにまで来てロシアと3回も戦争をした。アメリカは空爆でタリバンを壊滅させ、民主化すると言ったものの、20年後に投げ出した。そもそも、イスラム文化を全く理解しようとしない。

 そのアメリカが言う民主化とは、英語を教えて優秀な若者を英米に留学させ、欧米流の人間にすることである。実際、多くの若者が留学し、洗練されて戻ってきたものの、それを活かせる仕事がなくて不満が溜まっていると伝えられていたが、当然だ。仕事そのものがないのだから。

 さらに、言語や価値観による階層分化が進み、首都カブールと地方とは別の国のようになってしまった。こうなると国の健全な発展は難しくなる。民主化したかったら、まずアフガンの大学を充実させるべきである。

 タリバンは残虐な集団だし、バーミヤンの大仏を破棄したことを私は許せないと思っている。でも今は、アフガンをより良くしていく方が大事なのではないだろうか。近いうちに政権交代の可能性がない以上、他に選択肢はない。

 「善きことはカタツムリの速度で進む」(ガンジー) 中村哲医師は、昔ながらの民族服を着てタリバンの幹部とも膝づめで話し、信頼関係を築いてコツコツと井戸を掘り続けた。「自分の立場でできることをやろう」この中村医師の言葉を私は励みにしている。
 


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