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利休道歌で教わった道具の扱い - あなたなら恋人の手をどのように離しますか?

2月は28日しかなく、なんとも慌ただしい月となりました。そんな時にこそお茶のお稽古で心を落ち着かせたいものです。私にとってお稽古は瞑想ツールのひとつ。お茶のお稽古でなぜ心が落ち着かと言うと、指先にまで意識を行き渡らせる所作に瞑想的な作用があるんだと思います。

今日のお稽古のハイライトは(私の中で)、柄杓を置くときの、手の作法。
炉で釜に柄杓をかける時、釜の淵に合(水をすくうカップのところ)を掛け、節の端を指ではさみ畳に静かに置きます。
その所作のところで先生が一言。

「何にても置き付けかへる手離れは恋しき人にわかるると知れ」。

ん?和歌??素敵な恋の歌のような響きだけど、なぜ今?というか、どういう意味??と頭にハテナを飛ばした一瞬。先生からこんな素敵な説明がありました。

「物を置く時は手早く離さず、愛しい人との別れ際のように名残惜しむようにゆっくりと離す、そのように扱いましょう」と。

これは利休道歌(百首)からの一句。キュンとしますね。利休さんと言えば、はミニマリストでストイックなイメージでしたが、それ以上に柔らかな心の機微を繊細に感じ取る方だったんだ〜と思いました。そう思うと、花一輪に寄せるこだわりをみても、めちゃくちゃ感受性、共感力の高い、人間らしい人だったんだなと想像が膨らみます。

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