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気持ちを再体験する

どういうこと??となりますよね。

要は、

「あの時、ほんっと~にムカついた!」

「あんなこと言われるなんて、残念だ」

「誰も自分のことなんて分かってくれないのか…」

といった気持ちを改めて感じることです。


こんな人がいました。

とある中年の男性。頭がよく、論理的で、周りにも目が行き届く方で、職場では管理職を任されている方です。

そんな方が、「どうにも自分のキャリアにモヤモヤする」と言ってきました。

その方は自分のノートをカウンセリングで広げ、箇条書きにした自分の状況と、問題点と、更には考えられる解決策や筋道まで書かれていました。

「自分がモヤモヤしているのは、こうで、こうで、こういうわけだからモヤモヤしているのは分かっているんですけど、どうにもモヤモヤがなくならないんです」

(上記は実際の事例を元にした創作です)


こうした分析能力が高い人は、日本人に多い印象を受けます。

しかしこれは、客観的に状況を理解・整理したに過ぎないのです。

もちろん、客観的に整理されることで気持ちが落ち着いたりしますから、それも必要なことです。

けれど、主観的な感情体験をノートに書いたりする人は少ない印象を受けます。


例えば先程の例でいくと、

「こうで、こういうわけで今のポストに就いているけれども、やりたいことができなくて歯がゆいし、将来どうなるか分からなくて不安で仕方がない…」

とか、

「同僚や部下は私を頼ってくれるけど、それが重圧でしんどいんだぁ…」

などですね。


これがなぜ必要なことなのかというと。

時々、クライエントさんにも話す例なのですが、

失恋した時、お酒を飲んで、友人に話して、朝まで泣いて… と、した方が、早く、スッキリと次の恋人を探すことに切り替えられるということがあります。

これは、自分の気持ちを十分に感じ切ったからなのです。

気持ちは、十分に感じ切ったり、表現したりすると、満足して、嵐が去ったかのように落ち着いていくものなのです。



自分に起きたことを、客観視することは、物事を判断する際には有効に働きます。

しかし、人間とは基本的には主観的に生きている生き物です。

客観視しているときには、主観的な気持ちがすっかり抜け落ちてしまうものです。

しっかりと自分の気持ちを感じきらないと、それはなくならず、少しずつ蓄積されていってしまうのです。


だからカウンセリングでは、クライエントさんの主観的な気持ちを大切にします。

どういう体験に感じられたのか、聴くようにしています。

そうして、客観的になっている人の目線を、主観に戻してあげるのです。


先程事例に出てきた中年の男性は、

「自分がまとめたことを話しただけなのに、なぜかスッキリしました」

と言って帰っていきました。

もしかしたら、十分に自分の気持ちを感じられたのかもしれませんね。

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