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茶道に学ぶ目に見えないものの大切さ②~ハイコンテクスト文化に潜む意味を捉える~

前回の記事で、茶道から、全体を捉えた上で必要な予習・準備をすることの大切さを学んだことについて書きました。
今回は、茶道のソフト面・ハード面の裏に潜む意味について書いていきます。


茶道の精神に潜む意味

茶道の精神を表す言葉に「和敬静寂」があります。

和敬清寂(わけいせいじゃく)とは、茶道の心得を示す標語。意味は、主人と賓客がお互いの心を和らげて謹み敬い、茶室の備品や茶会の雰囲気を清浄にすることという意である。

Wikipedia

つまり、心(ソフト)と道具や建物(ハード)両面における考え方を述べたものですね。
私が参加させていただいた年末のお茶会においても、この言葉の意味するところを感じることができました。
例えば、お客さんは亭主が少し段取りや間違えてもそれを咎めたりはせず、簡略でも結構ですよと声をかけてくださったり、亭主のほうも、気持ちよく過ごしていただくために露地や茶室などの準備に心を砕いていました。

茶道の教則本には、このタイミングでこれをやって、こういうセリフであいさつをして・・・と細かく書いてあります。もちろん、これらを完璧にこなせるに越したことはないのですが、一番大切なのは主客の心が通うかどうか。これができていれば、大抵のことはてへぺろ(死語)で済んでしまうのです。
基本的には、主客が自由に一席の茶会を楽しめばいいのだと解釈しています。

茶道の茶室や露地に潜む意味

お茶会の会場となる茶室や露地の作りにも、いろいろな意味が込められています。

まずは茶室に続く露地、いわゆる通路ですが、ここを入っていくと、茶室に至る少し手前に「蹲(つくばい)」があります。石臼のような形をした水受けにチョロチョロと水が流れ落ちていて、この水で手と口(身体)を清めます。

その後茶室へ入っていくわけですが、入り口の近くの地面に直径20センチ程度の穴が開いています。これは「塵穴(ちりあな)」といい、露地を掃除した際の落ち葉などを掃きこむ穴なのですが、これには茶室に入る前の「心の塵」を落とすという意味もあります。
腹の黒い人は穴が一つでは足りないかもしれませんね。

とにかく、亭主が用意してくれた清浄な茶室に、心身ともにきれいにしてから入るべし、ということです。

そしていよいよ茶室に入るわけですが、この入り口がまた狭い!入り口のことを「躙り口(にじりぐち)」といい、字のごとく膝をついてズリズリしながら入っていきます。そしてこの躙り口は、高さがコロ助(古い)の身長ぐらいしかないため、どうしても頭を下げて入らなければなりません。
これは、貴きも賤しきも等しく頭を下げる作りとすることで、一服の茶の前ではみな平等であるという精神を表しています。

見た目だけでなく背後にある文脈を伝える

以上に紹介した内容は一般的にも知られていることで、他にも茶道にまつわる蘊蓄は語りつくせないほどあります。
それも当然、茶道を大成したといわれる千利休から数えても500年の歴史がある文化なのですね。
英語では茶道のことを「Tea Ceremony」といいますが、表面的なお点前(儀式)の部分だけみていては、「さっさと飲ませろ」となってしまいます。
見えない裏側にある、日本人が500年かけて積み上げてきたものにこそ他国には追い付き得ない意味があり、それを適切に捉えることでハイコンテクストな付加価値を伝えていくことが重要だと思っています。

茶道とビールは通ず!?

さて最後は、少し飛び道具的な話題。
何と、ビールを注ぐことの源流が千利休にある!かもしれない、というお話です。
知る人ぞ知る麦酒伝道師、重富寛さんのvoicyとnoteで紹介されていて、この二つをつなげるか!と思わず興奮してしまいました。
お茶もビールもどちらも好きな私としては、これはもはや「定説」として勝手に吹聴してしまいたいくらいです。
詳しくは以下からご確認ください。

ではまた次回。

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