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スタンフォードに進学した、ピンクの髪の少女の炎上が、ヒトゴトとは思えなかった

徳島の高校からスタンフォード大学に進学したピンクの髪の18歳の少女が、その経験を書いた本を出版したところ、Twitterで大炎上してしまいました。

彼女の炎上騒ぎは、僕としてはとてもヒトゴトとは思えないことでした。

徳島で育った「問題児」である彼女は、スタンフォード大学に受験したところ、合格し、留学をして、そしてその経緯を本にして出版しました。

その本のなかで彼女は、「味方無し」「お金無し」「英語力無し」の3つの逆境を乗り越えて、スタンフォード大学に合格をしたと、うたいました。

そのことについて、彼女のごく近しいだろう人から、Amazonに批判的なレビューが寄せられたのです。

そのレビューによれば、彼女の父親は東大卒の教授であり、海外に行きたいと思った時には海外に行ける財力があり、また学校の先生には20もの海外大学に推薦をしてもらい、さまざまなサポートに恵まれていた環境であったにも関わらず、なにもかも自分で人生を切り開いたというのはどうなのか、という疑問をていしていました。

そして、出版社がそのレビューをAmazonから削除したことをきっかけに、Twitterで大きな騒動になりました。

事の真相は分かりません。もしかしたら、編集者がサクセスストーリーを演出するために、経歴を誇張しすぎたのかもしれません。あるいは、Amazonレビューを書いた人が嘘の誹謗中傷をしたのかもしれませんし。

しかし、多くの人の嫉妬と批判によってつぶされてしまった彼女を見ていて、一つ間違えば自分も同じ状況になっていたかもしれないと思いました。

彼女の境遇と僕の境遇には似たところがあります。「クマに追いかけられていたド田舎の中卒が、アジア1万8000人から1人に選ばれてサンフランシスコに留学。ITのスキルで逆転を果たす」、とでも表現すれば似たようなサクセスストーリー風に語ることはできます。

僕がもし潰されるとしたら、どのようなプロセスでつぶされていただろうか?どうしたらそれを避けられただろうか?ということを自己反省を込めて書きました。

社会から抑圧されている!

10代の頃の僕は、かなり社会から自由を奪われていると感じていました。何をやっても人に怒られるし、友達ともなかなか馴染めない。自由が欲しく思いついたことは、なんでもやってみたい自分にとって、世界は窮屈でしかたありませんでした。

彼女も本の冒頭に、小学1年生の時に、後ろの席で黒板が見えないので机の上に立って見たところ、周りから白い目で見られた、と書いています。彼女にしてみれば高いところから見ればよく見える、合理的な判断だったのです。

彼女の過去の発信などによれば、彼女は特に衝動性が強いADHDだと思われます。僕もADHDだということがわかったのですが、特に小学生くらいの時には、先生の言うことはとにかく聞かないやつでしたし、人の気持ちがわからずクラスメイトとのコミュニケーションも乱暴だったろうと思います。小学校でも中学校でも、家でも学校でも毎日のように怒られていた気がします。

さらに一般的な人なら、やらないような選択を取ります。彼女はスタンフォードへの進学ですが、僕の場合は高校へ進学しない、という選択です。普通の人にしてみればなぜそのような選択をするのかがわからないので、反対の意見や無理だという意見を多く浴びます。

そうして、ますます社会に対して、抑圧されている、認められていないという感情を内面化します。そして、社会に対する被害者意識と、見返してやりたいと言う気持ちが高まっていきます。

人は人、自分は自分。自分を自由に解放したい!

ADHDなどの発達障害を抱えた場合、自分と他人の違いに早いうちから気がつきます。何か自分は他の人たちとは考え方が違うぞ、というモヤモヤを抱えるのです。そして、自分を相対的に見るクセがつきます。

ここでポジティブな性格のタイプであれば、自分は自分、人は人というふうに思えるようになり、ネガティブな性格であれば、人と違う自分を追い詰めて同化しようと頑張る傾向があるのではないかと思います。

いずれにせよ、衝動的で協調性のない性質のため、人に縛られずに自己を解放したいという欲望を潜在的に強く持つようになるでしょう。それを全面に出した時、同調圧力の強い日本では反発を買うことにつながります。

発達障害が強みに変わった

ADHDにもさまざまなタイプがいるでしょうが、あることに突出した能力を持っているパターンがあります。この強みに早くから気づき、環境がととのうと、ずっとのめり込んで集中することができるために、才能を伸ばすことができる傾向があります。

僕の場合でいえば、プログラミングとデザインと写真でした。中学生からその才能が開きはじめ、夜中じゅう親から隠れてパソコンと睨めっこをして、成功体験を積み重ねていきます。

その経験から、どんな環境であっても個人が努力をすれば、状況は変えられるという思いを強めます。

問題なのはその見方を、他人にも当てはめて考えてしまうことです。僕はこのような抑圧された環境でも、努力して自分の力で状況を変えられた。だから、あなたが自分の状況を変えられないのも、あなたの自己責任だ、というわけです。

周りのサポートも受けて、立場が逆転

才能を開花させていくうちに、多くのサポートも受けてきています。人から注目されて認められ見返したいという性格と、強みの能力を武器に組合わせると、周りから注目されサポートを受けやすくなるからです。

僕の場合は、社会から抑圧されているという被害者意識もある一方で、同じくらい自分を理解して手を差し伸べてくれる大人もたくさんいました。中学校の時の技術の先生、写真を教えてくれた師匠、IT企業でインターンさせてくれた社長さん、高卒認定試験の対策を教えてくれた近所の人、留学をサポートしてくれたたくさんの仲間と先輩、起業をサポートしてくれた人、たくさんの人々に支えられて今があります。

そのサポートがさらに状況を好転させ、気がつけば他人に嫉妬されてしまうような立場へと変わっていきます。

客観視ができずに調子に乗る

気づけば才能を発揮して、抑圧された問題児から人から嫉妬されるようなポジションに入れ替わっているにも関わらず、自己の幼少期の被害者意識を癒すために、人から認めて欲しくて自分の成果を吹聴し、自分のようにできなかった人たちを見下す、というわけです。

発達障害で抑圧されていた経験があり、そこから才能を活かして立場を逆転しても、心の深いところに残った傷はなかなか癒えません。このことによって、努力をして、その努力を人に認めてもらうことによって、その傷を癒そうとします。

僕は恵まれなかったのに、自分で努力して勝ち取った。お前は努力が足りない、というムーブをとりたくなる気持ち、よくわかります。

では、当事者はどうしたらいい?

人から妬まれてしまうので、自分の成果をことさらアピールする必要はないと頭では理解していても、衝動的な性格のせいで傷を癒したい欲求が高まり、謙虚に振る舞おうと思っても、なかなか抑えられないものなのです。

解決策として、すでにそういう状態にある人は、一通り承認欲求を満たしてしまうことだと思います。僕も二十代も半ばになり、いろいろな経験を積んで、やっと落ち着いてきました。自分自身を客観的に見る力もついてくるので、かなりコントロールもできるようになりました。

彼女にとって悲劇だったのは、承認欲求を癒しきる前に、Twitterというツールを通して彼女がインフルエンサーとしての影響力を持ちすぎていたことかもしれません。

解決策の2つ目は、自分のように努力をしたくてもできなかった、さまざまなシチュエーションに置かれている人たちについて、学ぶということです。

才能がせっかくあったのに、周りのサポートが得られない環境で才能を伸ばせなかった人や、家に勉強を教えてくれる親がいなかった家庭、お金がなくて夢を諦めるしかなかった人。

僕の場合は、このことを叩き込んでくれる友達が周りにいたことによって、しだいに自分の中の衝動としての考え方と、冷静に社会を見る二つの意見を両立させて考えられるようになってきました。

埋められない文化資本の格差に気づくことで、それでも自分はいかに恵まれているのか、ということに常に反省するのです。

彼女はメンサの会員になるほどたいへん頭の良い方ですから、今回の経験も通して僕よりもずっとはやくそのことには気づくのではないでしょうか?

では、周りの人たちはどうしたらいい?

やはり、心理の根本には幼少期の人に受け入れられなかったという経験があります。ですから、教育の現場では、そのような性質の子どもを頭ごなしに叱るのではなく、大変でも受け入れてあげる必要があると思います。

そして、無理に型にはめようとせず、その子の才能を開花させるような、授業スタイルに変えていくべきだと思います。

そうして、幼少期から人に認められる経験を積めば、そのまま素直に自分の状況に感謝できる大人になるはずですし、そうして社会に育ててもらった恩を、また社会に還元しようと思う人になるでしょう。

ADHDなどの発達障害は、フェラーリのようなもので、クネクネとした細い道ではすぐにエンストしてしまいますが、長いまっすぐな道なら時速300キロを出す能力もあるのです。そうしたモンスターマシンが素直に社会に貢献しようと思った時、それは社会を支える素晴らしい力になるでしょう。

嫉妬心と型にはめることで、恵まれなかった人々の分まで支える力をつぶしてしまっては、誰も幸せにはならないのです。


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