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中3の時の担任の先生との淡い思い出

こんにちわーーーーーーーーーー

先日ミスチルが歌ってるテレビ観てて
『あんな歌の才能があったら良いよねー歌うの気持ちいいだろうねー』って言い出した妻

「そうね!」ってスマホいじりながら返事したら
『才能があったらママと結婚してなかったんじゃろどうせ!』とか言い出して、ハハって愛想笑いしてスマホいじってたらマジギレしだして
女ってなんでこんなに面倒くさいんやw
って久しぶりに思いました

どうもゴンザレスです!
※有料になってますが最後まで無料で読めます


今日は私の甘酸っぱい中学校生活の一部をピックアップしてnoteにしました
比較的真面目なタイプで勉強も部活もしっかりこなして、サボることなくそれなりに中学校生活を謳歌してきたタイプです


おそらくこれを読んでるほとんどの方が陰キャでしょうから、
タイトルのような淡い思い出なんか特に無いでしょうけど、
今宵も枕を濡らしながらスマホでご自身の黒歴史に思い出補正しながら読んで下さい(ゲス顔)


私の中学時代の思い出はと言うとそれはそれはいっぱいあります。
良い思い出も、悪い思い出もありすぎて順位が決めれないくらい様々な思い出があります。

その中でも学生生活に欠かせないキーパーソンの1人と言えばそう!
担任の先生。

良い先生も嫌な先生も苦手な先生もいると思いますが、生徒は担任の先生を選べません。(親ガチャみたいに言うなw)

それでも小学校から中学校に進学したその日にこれからの学生生活の運命を左右する担任の先生は決まっているのです。

私にも当然その運命を左右する担任の先生方がいたわけで、タイトルの通り中学3年の時の担任の先生との思い出を突如振り返っていきたいと思います。



はじめに
1年の時の担任の先生は女性の30代の気の強い先生でした

夏場に半袖ポロシャツをおしゃれに着こなし肘の辺りから上の部分は
見えにくい事をいいことに体毛の処理を怠っていた肘上腕毛密林のT先生。

2年の時はバレー部の顧問で香田晋に瓜二つの顔の持主で機嫌が悪いと突然八つ当たりするH先生。
夏休みに私は家庭の事情で突然苗字が変わるという思春期の中学生にはとてつもない大事件があったのですが、
新学期の始業式にさらっと『今日からタケ(私の仮名)の名字は変わったから!!』とクラス全員に報告を1秒で済ますデリカシーのない
(後にそのデリカシーの無さが災いしてセクハラ?でクビになった)先生


その個性的な先生たちを差し置いて私の中学時代にぶっちぎりで思い出に残るのは3年の時の担任兼体育の先生。A先生だ!

A先生は何を隠そう身長体重胸囲すべて129.3㎝のドラえもんを彷彿とさせるような愛らしいルックスをした熊のようなゴリゴリのメタボなおっさんだ!!

ちなみにドラえもんの誕生日は2112年9月3日だ!

このゴリゴリの熊みたいなオッサンは元俳優の故志茂田 景樹氏をもじったような名前だったのでここではカゲキと呼ぶことにする


カゲキとのファーストコンタクトは中1までさかのぼる
中1の時、他のクラスの担任だったカゲキは体育教師らしい体育教師で
めちゃくちゃ怖かった

あれは確か中1の体育祭の練習?いや野外活動の練習だったか?
記憶が定かじゃないが、こないだまでランドセルを背負ってた私達には少々ハードルの高いフォークダンスの練習の時だ

学年全体での練習で男女が手を繋いだりするのをバリバリ意識してて
みんな多分ぎこちなくザワザワしながら練習してたんだと思う

私だけじゃないはずだがパートナーの女子としっかり手をつながずに
フォークダンスの練習をダラダラしながら、ちゃんとしていなかった私を背後から何かが襲った!

それこそ車か何かにぶつかられたような衝撃だった!!

体育館のフロアを私は滑るようにしてかなりの距離吹っ飛んだ!!
一瞬どころかしばらく何が起こったのか全くわからずにぶつかった方向を振り返ると

そこには鬼のような形相をしたカゲキがいた
「くぇrちゅいおおおおおおおおおおおおおおおおおおぎあjぎあうgはういいがいgじふごgじょあjきhぎいいいいいいいいい」
何か叫んでいたように思うがパニックだった私の記憶はそこで途切れている

あとから友達に聞いたら突然カゲキが走ってきて思いっきり背中に飛び蹴りしてたよ!ってことだった
おそらくお前ら全員ちゃんとせえよ!ってことで見せしめに蹴られたらしい

体育の授業が終わって肘上腕毛密林先生に「大丈夫だった?」って心配されて、半泣きで大丈夫です。。って言ったけど肘上腕毛密林先生もまさか体育の授業で自分のクラスの生徒が同僚の教師に飛び蹴りされるとは思わなかっただろう

今時の中学校でそんなのあったら結構問題になりそうだが
その当時はまだまだ当たり前に先生に蹴られたり殴られたりしてた

その日も担任の肘上腕毛密林先生は肘の部分までムダ毛処理して、それより上は手抜きしてボーボーに生え散らかしてたんだと思う



この出来事以来、私は言わずもがなカゲキのことは怖い先生だと苦手意識をもっていたが、幸いにも担任じゃなかったため3年までの学校生活では
あまり関わることはなかった

いや違う、思い返すと中2?中3?の時、サッカー部のキャプテンをしていたのだが、40~50人くらいの部員で校舎の外周ランニングをたまに裏山で
当時流行っていたテレビ番組のウッチャンナンチャンの「これが出来たら100万円」企画の大規模かくれんぼに変更してるのがカゲキにバレて、キャプテンの私と副キャプテンが体育教官室に呼ばれてこれまた、しこたま怒られたこともあったw

そのせいでサッカー部は1ヵ月グランド使わせてもらえなくなって、外周を毎日走らされた記憶がある

「ランニングばっかりじゃ部員のモチベーション上がらないし山登りなんで足腰のトレーニングにもなります!」とか意味不明な苦しい言い訳をしたが
県内屈指の強豪陸上部の顧問のカゲキには火に油を注ぐ結果になった

『陸上部の連中は毎日走るだけじゃがそんな弱音吐くヤツは一人もおらんで~。はぁお前ら舐めとんか!!?あqwせdrfghjkl!!!!!』
またもや大噴火である




そんなカゲキと私だが中3になり最高学年として校内でも堂々とできる立場になったと思ったら見事に担任に就任ですよ

それはもう絶望ですよ

終わりましたよ

今の岸田政権をはるかに超える絶望感

当時は本当に嫌だったのはよく覚えてる

だが、私の不安とは裏腹にカゲキは担任になると意外にいい先生だった

それなりに真面目だった私は特に怒られることもなく
たまに横暴で有無を言わさないジャイアニズムを発揮することがあったが
それを除けばとてもフレンドーでいい先生だった

当時付き合ってた他のクラスの彼女と別れたら
次の日の朝礼で『タケ!(私の仮名)別れたらしいじゃないか?なんでや?」とかニヤニヤしながら聞いてくるし
ちょwデリカシーわい!!?

体育祭の応援団長を誰にするか?って学級会で話し合いの時も
「お前やれ!」の一声で秒で決まるしw
立候補者でやりたい人がいるかもしれんのに勝手にめっちゃ決めるやん??

体育祭の入場行進の全校生徒で全体練習の時も
みんながダラダラやってクソ暑い中で何度もやり直ししてる時に
「おい!!タケ!!お前朝礼台にあがって何か喋れ!!ちゃんとやらせろ!!」
とか言い出すw
生徒会長にやらせろよ!なんで俺なんだよ!w
校長も教頭も全員見てる中で何言えばいいんだよクソがw

ていう理不尽極まりないことだらけだったが
この頃からかな?人前に出ても緊張することはほとんど無くなったし
肝が据わってきた
大人になった今思えばカゲキのおかげだった気がする


ウチの母が新興宗教にどっぷりハマってて
3年の文化祭と合唱コンクールの日の朝に突如として宗教施設に連れて行かれて学校を休んで文化祭を欠席した時も『宗教施設に行って何するんや?座禅組んで空飛ぶんか?』(当時は地下鉄サリン事件があったばっかりの時期)
「オウムちゃいますよw」っていう会話をみんなの前でして来たり
ちょwお前デリカシー!(何回目や)

進路相談の時は県内屈指の強豪校に『お前サッカーで上目指すんならここ行けや!!』って行ってくれたのも覚えてる
「ウチ三兄弟であそこ私立なんで金かかるから辞めときます!往復4時間かけて行くくらいならその時間に自主練した方が上手くなるんで!」って言って近くの弱小公立高校に行ったけど心配してくれて嬉しかったなー


三学期みんなが受験勉強で追い込みの時期に
駅伝大会の一般の部にクラスで出場するとか言い出して早いヤツ8人でチーム組んで走らされたりw(受験勉強させろや!)

何チーム参加して何位だったか全然覚えてないけど全体で10位くらいだったかな?私はアンカーで一般の部なので周り大人ばっかだったけど区間3位で褒められて嬉しかったのも覚えてる

校内でも陸上部を除けば長距離もずっと一番早かったけど中3で大人にも負けないんだなーって知って凄く自信になったことも覚えてる



そんな青春ど真ん中を駆け抜けた中学生活
このまま無事卒業するかと思ってたがあれは卒業式の一週間前だった
事件が起こる

卒業一週間前になるとみんな進路も決まっていて
わりとセンチメンタルな気分になっていた時期だった
普段サボりがちなヤンキー生徒も最後という事で登校してきていた

いつもの仲良いやつら4,5人と昼休憩にバカ話してる時に
「ちょっと来いよーー」ってヤンキーに呼ばれて友達と一緒に着いて行ったら普段は鍵がかかってる校舎の屋上だった

「何してんの?wなんで開いてんの?w」って俺たちが聞くと
『これで開けたw』とかヤンキーが言ってシンプルな構造の鍵を開ける道具を持ってた
『屋上で昼飯食いながら話そーぜw』とか言ってヤンキーとも仲良かった俺たちはみんなで中学生活の思い出話に花を咲かせていた

屋上から校舎を覗き込んだら下級生の女子がこっちに気付いて手を振ったりして青春していた


そして次の日、朝礼でカゲキが『昨日屋上の鍵開けて昼飯食べとったヤツらがおるらしいがお前じゃないよのう?シンヤ?(一緒にいた友達)』
あちゃーバレとる😫昨日の手を振った下級生だわwチクられたー

だがどうやらこれは冗談でカゲキがシンヤにカマかけてみただけだが
融通の利かないシンヤは青ざめた顔して黙ってしまった
(いや!しらばっくれたらええがな!!)

『・・・お前登ったんかぁ。卒業前にしょうもないことすなよw
他は?誰がおったんや?』チラッ(カゲキと一瞬目が合った気がするw)

シンヤ「・・・ひ、ひとりで登りました」

カゲキ(ブチっ!←キレる音)『くぇrちゅいおおおおおおおおおおおおおおおおおおぎあjぎあうgはういいがいgじふごgじょあjきhぎいいいいいいいいい!!!』(バレバレの嘘ついたことで無駄に正義感の強いカゲキの逆鱗に触れたw)

カゲキ『お前!ホンマに1人で登ったんじゃのう?他におったらお前こらえんど!!!!!職員室来い!!』

そんな事言われたらシンヤが俺らをかばった気持ちを汲んで自分から言い出しにくくなって完全に出遅れた私w

そのまま連れていかれるシンヤ

いやー面倒くさいことになった

まぁどうあがいても行くしかねぇ!ってことで他のクラスの一緒に登ったヤツも朝礼が終わって声かけて「屋上登ったのバレてシンヤ連れていかれたわw職員室行こう」って言って1人ずつに声かけてたら鍵開けたヤンキーがこの日は学校休んどるーーー

何も打ち合わせ出来ないまま職員室に直行すると廊下からカゲキがヒートアップしてる声が漏れとるw

「失礼しまーす」
カゲキと目が合う私
『くぇrちゅいおおおおおおおおおおおおおおおおおおぎあjぎあうgはういいがいgじふごgじょあjきhぎいいいいいいいいい
タケ!!お前さっきシンヤに他に誰がおったんや?って聞いた時になんで言わんかったんや?』

「シンヤが答えた後、間髪入れずに連れて行かれたんで出るに出れませんでした!!」

『くぇrちゅいおおおおおおおおおおおおおおおおおおぎあjぎあうgはういいがいgじふごgじょあjきhぎいいいいいいいいい!!!』×10

マジで爆切れwww

横見るとカゲキにキレられたことない他のクラスのヤツもう怖すぎて泣いてるーーーーーーーwww

はえーーーーーーwww


そこから校長室に移動して永遠と怒られたが一つ問題が発生した

『鍵は誰がどうやって開けたんや?屋上でパン食べてそのままゴミ捨てたのは誰や?』と聞かれたが

不幸にも両方ここにいないヤンキー君ですwww

その件に関しては黙る俺たち

『なんで誰もくぇrちゅいおおおおおおおおおおおおおおおおおおぎあjぎあうgはういいがいgじふごgじょあjきhぎいいいいいいいいい!!!』

あの頃の俺たちは若かったw
無駄な正義感と変に真面目な部分が相まって
(ヤンキーの事をチクるワケにはいかない!仲間は裏切れない!っていう気持ちと、でも俺が鍵開けたワケじゃないし、パンも食べてないし、ゴミも捨ててない)

その中途半端な嘘にカゲキは、どんどんヒートアップして爆キレしていた

『お前ら何でそこまで嘘ついとんや!誰が開けたか、ゴミ捨てたか、くらいわかるだろうが!!』

「・・・・・・・」黙る俺たち

『もうええわ!!とりあえずお前ら今から全員自分のクラスに戻って担任に今日は授業出れませんって言うてこい!!!』

やっと一旦開放される俺たち

この頃にはすでに3時間目の授業くらいまで突入していたのを何故か記憶している

私とシンヤは担任がカゲキだった為、校長室の入り口から少し離れたところからみんなが帰ってくるのを待った

私「いやーやばいなwマジでどうする?ヤンキーの名前出す?」

シンヤ「・・・言えねーw今さら仲間を売りたくないしヤンキーはそれで怒られたら卒業式こねーだろ多分」

私「だよなー・・・でもこのままじゃ一生終わらんなw」

そうこう話してたら他のクラスの連中が戻ってきた

私「鍵開けたのとパンのゴミはじゃんけんで負けた奴のせいにしようぜ!恨みっこなしで!これはもう仕方ない!!」

一同「・・・」

シンヤ「このじゃんけんだけは絶対負けられねぇw」

あとにも先にもこんなに負けたくないじゃんけんは初めてだったw

負けたのは確か私じゃなかったが泣き虫君でもなかったのは幸いだったw

泣き虫君だったら死んでるかもしれんw

確か1,2年の時にカゲキのクラスだったヤツで

その後の校長室はどうだったかあまり覚えてないが

じゃんけんで負けた奴が「ほんとは俺がやりました」ってゲロってカゲキが爆ギレして

そのあと悲しそうな顔して

『お前ら、、、いつからそんな嘘つくような卑怯な人間になったんや。卒業前にワシはお前らに失望したわ』


こう言われた言葉が私にはショックすぎてそこからもう卒業式までの一週間の記憶はない

体育館で卒業式が終わって教室に戻って、多分カゲキがみんなに何か言ったであろう贈る言葉も、一人一人握手して何か言葉を交わしたであろうことも覚えてない

卒業アルバムの寄せ書きも私の卒業アルバムは誰にも書いてもらってない

受け取った時の新品の状態のまま

そもそも卒業式に出た記憶さえほとんどない



こうして私の中学校生活は終わった

あの頃の俺たちは若かった

大人になったら今ならもっと違う方法があったはずだよなーって思うけど

それでも何をしたら正解だったのかは今でもわからない

シンヤが一人で登りましたって言った後にすぐに私が名乗り出たら、カゲキはキレずに笑って冗談で済んでたかもしれない



私はなんだかんだでカゲキの事が大好きだったんだなって後になって気付いた


これがタイトルの通り中3の時の担任の先生との淡い思い出です


長々と書きましたが皆さんご拝読ありがとうございました


ほぼ実話ですw

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