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陰膳

 年は明けた。親戚で食卓を囲み、新年用の料理も並んだ。いつものように見える光景も、例年と明らかに異なることがある。料理が母の手作りではないこと。そして、いつもの席に、父の姿がないこと。

 91を迎えたひと月後、父は倒れた。少しだけ記憶が怪しくなったことと耳が遠くなったことを除けば、年齢を感じさせないほど健康で元気だった父は、一気に弱った。それでも懸命にリハビリに取り組み、半年で自力で歩けるようになるまで回復を見せた。そしてそのことで、誰もが安心しきっていた。

 母の大声で風呂場に走ると、父は脱衣所で再び倒れていた。シャワーを浴びようとしていたらしい。荒いが呼吸はある。だから、救急隊に繋いだときには、半年前と同じように病院の処置で回復すると信じていたが、そのまま目を開けることはなかった。倒れてから、2時間と、もたなかった。

 以来、母は目に見えて消沈し、4ヶ月経っても戻らない。昭和一桁生まれで、作法や風習に厳しい父の望みで、60年以上毎年手作りを続けてきた正月料理だが、「もういいんじゃない?」と声をかけてみると、「もう、いいかなぁ」と、母。知人の世話で、初めて購入して準備した。

 そう言いながらも、母は父の好物だった煮豆だけは自分で準備した。自分は父が座っていた席を周囲に勧められたが、どうしてもその席に座る気になれない。座布団を準備し、母が炊いた煮豆を置いた。娘は、じいちゃんが大好きだった日本酒を猪口に注いで供えた。姿はなくなっても、それぞれが、夫の、父の、祖父の存在を感じていることが伝わる光景だ。陰膳なんて教えられたことはなかったけれど、自然とそう動いていた。

 作法に厳しい父のことだ。見えていればきっと「供える品が、数が、位置が…」と、口うるさく言っているだろうが、もうどうでもいい。父を感じられたことで十分。喪中のため正月飾りはないが、話は弾んだ。

 父が亡くなったことで、人は死んだ後、意外とディスられるのだということを学んだ。父がいかに厳しく頑固だったかエピソードを、ワイワイ言いながら、それぞれが笑顔で語っている。死後の世界のことはわからないが、今その席に父が座っているのだとしたら、どんな顔して聞いているのやら。苦笑い?それとも満面の笑み?どっちにしろ笑っているだろう。

 「豆、減ってない?」。そんなブラックジョークにさえみんなの笑顔が弾ける。
 ほんとに減っててくれたら、と密かに思った。

#note書き初め

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