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面白いから動くのであって、お願いされたから動くわけではない(続編)

どういうわけか爆発するかもしれないのです!

以前このnote「面白いから動くのであって、お願いされたから動くわけではない」を書いたことより、身の回りがザワザワした感じがした。普段連絡しあっている仲間から連絡あったと思ったら、最近は疎遠になっている外国にいる友人からも連絡を頂いた。「ダイナマイトだったね!」なんて意味不明の言葉まで頂いた。

爆発?ダイナマイト?、繋がっているがなんなんだ!


このnoteを書いて結構スッキリした。「面白いから動くのであって、お願いされたから動くわけではない」っていうのは、私なりに言うと「なんでもかんでも自分はやっているのではなくて、面白い!やりたい!って心を動かされるからやりたくて勝手に私はやっているわけなのだ」。

例えばこちら「海峡戦士タイガーフーク」は、メチャクチャ共感した。何か自分がしたいと思った。出来ることから始めてみようと、お手伝いからさせてもらっている。そこにはやはり「共感」という意味があるのだ。誰かがやる必要があるのだ。


それに例えばこちら「CoderDojo」だが、私は今「CoderDojo北九州」を運営させてもらっている。ここも面白く、意味があることだ。プログラミングという技術に若いうちから触れるということで、新たな自分の好きなことを子どもたちに見つけてもらいたいと思っている。


などなど、他にも色々とやっているのだが、どれもやる意味があり、やる必要があるものばかりだと思っている。そこにはやはり、やる面白さや共感がある。それに私の活動の多くに「子ども」「教育」が多いかもしれない。それは私の原体験から来ている。

私のnoteをよく読まれている方はご存知の方も多いのかもしれないが、私には父親がいない。私が8歳の時に病気で亡くなってしまった。やはりショックだった。今でもそれは私の強い強い原体験である。だからなのか、子どもたちに対してなにか出来ないかという思いが強い。

だかこその「子ども」「教育」という部分で多く動いているかもしれない。それに動きたくなるから動いているのだろう。私がやりたいからやっているといえばそれまでなのだが。


私は面白さや共感で動いているのだが、なかなか周りからは見えていない部分もあるみたいだ。なんでもかんでも手伝ってくれると見られても仕方がないことかもしれないが、でもちょっと悲しかったりする。

そうは言ってもお声がけ頂けるのは嬉しかったりする面もある。それはやはり頼られているということだからだ。そういった時に無碍に返してしまうと、人間関係がややこしくなったりするかもしれないので軽くかつ丁寧に返しているつもりだ。

でもまだまだ私が人間として上手く自分をコントロール出来ていないのだろう、断ったことで悪く思われることもあるように感じる。うーん、難しい。それは仕方が無いといえばそれで終わるのだが、人間死ぬ場で勉強だなと思ったりもする。


そういう考えの中、「面白いから動くのであって、お願いされたから動くわけではない」って一言では済まされない。だかこそのnoteを書いたし、この続編を書いているのだが、それでも上手く伝えきれていないようだった。

それはまるでダイナマイトに火が「チラッ」「チラッ」とついて、私が今にも爆発しそうになっている風に捉えてしまった人がいたようなのだ。だから友人は自分に「ダイナマイトだったね!」なんて言ったようだ。

そうやって私を気にかけてくれる友人がいるだけで幸せだ。もっとうまく物事を伝えられるように精進すると共に、良き友人に恵まれていることに感謝する。

そういった友人のお願いだったら当たり前だが何かしたくなる。そのお願いはきっと周りの皆のためだろうから。逆を言えば、共感できない方のお手伝いは絶対したくない。だって、それはきっと皆のためではなく、その人だけの為だからだ。


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