吉野拾遺 下 20 寛成御子鷹狩ノ事

【寛成御子鷹狩ノ事】
ひろなりの御子の、いまだをさなうたはしましける時に、わかき殿上人あまたともなはせ給ひて、なつみの河の河よどのほとりにて、鷹つかはせて御覧ありけるに、かたはらにいとおほきなる岩の、えもいはれずおもしろきに、小松の生ひいでたるありけり。みこ御覧ぜさせて「この岩をかへりなん時、皇居の御庭にもて参れ。うへに奉らむ」と、実為中将にのたまはせければ、をさなき御心をおしはかりて、御事うけせさせ給ふ。鳥などあまたとらせ給ひて、かへらせ給へる時に、忠行侍従に岩をわすれ給ひしと、のたまはせければ、「民部大輔がちからもつよく侍れば、御あとよりもて参り侍ふなり」と啓して皇居にいらせ給ふ。御鷹の鳥など奉らせ給うて実為中将に「ありつる岩を」とめさせ給ひけるに「忠行の侍従のおほせごとをうけたまはりぬ」と、けいしたまへば、侍従をめして「いかに」とたづねさせけるに「民部大輔の御あとより、もて参らんといひ侍りつる。民部をめさせ給ひなん」とのたまへば、むつがらせ給うて「中将にこそよくいひつれ。などさはいふにか」としをらせ給ひければ、中将のありつることを奏し給へば、をかしがらせ給ひて「誠におもしろからむ。岩こそ見まくほしけれ。民部がちからこそゆゆしければ、もてきなんに、めさせ給へ」とのたまはするに、中将立ちたまひて、民部大輔に「かかる事なんある。いかがしてむ」との給へば、「すべきことこそあなれ」とて、御庭 にありけるちいさき岩に、松の枝を取りつけて、中将といとおもげにもちて、宮の御前にすゑたてまつれば「ちひさくこそあれ。それにはあらじ」と、なほむつからせ給ひければ、民部大輔、「さればこそ。その岩をもちて、うへの山をとほりさぶらひしに、右左より山のさし出でて、道いとせばき所にてかなひがたく、いかにせましと、ただよひ侍りしに、むかひのかたより山伏のきたりけるが「岩にせかれてとほられぬにこそ、のけ給へ」とののしりけるほどに、「我もせんかたなさに、かくて侍る。いかにせまし」とわびあへるに、「さらばすべきことこそあれ」とて、数珠おしもみ、何やらんつぶやきていのるにしたがひて、このいはちひさくなりて、やすやすとほりてさふらひしほどに、山伏も行き過ぎしをよびかへして、「もとの如くにいのりなほしてん」といひければ、「また行く先にほそき道のいますれば、いかがし給はん」といひしほどに、げにもとおもひ侍りて、その まま持ちて参りぬ」といひたまへば、うへよりはじめてありつる人々、をかしがらせ給ふに、宮の 御けしきも、いとよくならせ給ひて、「げにさもあらんことなり、その山伏をめしかへせかし」とのたまはするに、「はやはるかにゆき過ぎて、いづちゆくらんもしらず」とけいし給へば、「ほいなきことにこそあれ。とどめて民部大輔の大きなる空ごとを、すこしきやうにいのらせむものを」との給はせける。誠に行末たのもしき御こりにこそ、といさせめて覚え侍りしか。

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