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ウヨのヘイトに心痛めている君へ

2020年5月19日

ウヨたちによる在日へのヘイト発言が後をたたない。こう言うと、ウヨたちは「ヘイトではないただの批判だ」「差別ではなく区別だ」などと詭弁を並べるが、本人たちの貧しく薄汚れた頭の中身の話をしているのでもなく、やつら日本村の村民たちが勝手に作った子供の遊びのようなローカルルールの話でもない。世界の常識的価値観の話をしている。

世界の常識では、マイノリティー(在日のような少数民族、あるいは日本女性や米国黒人のように社会的背景から機会に恵まれない集団)をひとくくりにして悪しざまに言えば、それをヘイトとみなす。ただそれだけ。議論の余地はない。

そしてウヨたちがやっていることは、戦前戦中にナチス及びドイツ国民がユダヤ民族に行った迫害の構図と全く同じである。
井の中の蛙のウヨたちは知らないだろう。現在の世界秩序の中には、敗戦国の元ファシズム国家のみならず戦勝国の欧米列国も含め、ナチスの台頭とホロコーストを許してユダヤ民族に筆舌に尽くしがたい苦痛を与えたことに対する深い反省があると言うことを。それ故に欧米列国は、先の大戦終結時イギリス統治下にあった本来はパレスティナ人たちに返すべきであったかの土地にイスラエル建国を許したのである。

国際社会はファシズム及び人種差別・ヘイトを決して許さず、強く毅然とした態度で監視の目を光らせている。
LGBT人権運動の発祥地であり、差別や人権について最も先進的で敏感な場所の1つであるサンフランシスコで、議会が従軍慰安婦像の建立を承認した。これを見てもそのことが分かる。ポツダム宣言を受け入れ韓国を含むアジア侵略を真摯に反省すると誓った日本が、それを反故にして韓国国内に住む韓国民と日本に住む在日に対して酷い差別・ヘイトを行って来たこと、及び日本及び日本国民がそれを放置したことに対しての、言わばこれは懲罰である。

それでもウヨたちは正義はこちらにあると主張する。対立する両者がそれぞれに正義を主張するのは当然のことだ。その中身を精査検証してみたところであまり意味はない。正義が正義として認められるのは闘いに勝った側の正義だけだからだ。それがこの世のリアリティだ。しかしこれまで述べてきたようにウヨたちのファシズム容認、ヘイト容認が国際社会から正義として認められることは決してなく、よって奴らの勝利は永久にない(日本が現在のアメリカのように強大な国になれば別だろうが)。それどころか時には、経済制裁などの罰則とともに厳しく糾弾されるものなのである。

今日本のヘイトに国際社会の批判があまり集まらないのは、日本が低迷し世界の中であまり目立っていないからである。1980年代の日本や現在の中国のように目立った存在であれば、出る杭が打たれるのことわざ通り、厳しい監視と批判、激しい制裁を受けることになる。かつての日米貿易摩擦、現在の米中貿易戦争の激しさを見ればそれが分かる。もし今日、日米間で同じようなことが起きれば、日本国内のマイノリティを迫害するヘイト発言は恰好の攻撃の理由にされるだろう。

そしてこれもウヨたちは知らないだろうが、奴らのヘイト発言は、その被害者たちが世界に向けて発信し続けており、多くの心ある世界市民の怒りを買っているのである。そう、かつて世界中からユダヤ民族への同情とファシズムへの怒りを集め、イスラエル建国を後押しした「アンネの日記」のように。

この俺も微力ながら気の毒な若い在日の同胞を少しでも助けるため、今後ウヨたちのヘイトの実態を英語で世界に発信して行こうと思う。それが最終的には日本の将来のためにもなるからだ。
俺はウヨたちに憐憫の情のカケラも示すつもりはない。