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普遍(一般)人間学 リアル&zoom&録画 修了しました🎉

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コロナ禍で状況を吟味、開催手法を模索しながら、
みんなのシュタイナー初となる
zoom&録画共有も交えた、
普遍(一般)人間学シリーズ講座。
おかげさまで無事修了しました🎉  
 
 

全国のみなさまに、
たくさんのご協力ご理解いただき、
開催できましたこと、
本当に嬉しく、感慨深くあります。
本当にありがとうございました。

 
 
シュタイナー教育の言語造形に精通する
Rosei Hanawaさんのご感想をご紹介します。 

 
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今日は、昨年九月にスタートしたシュタイナー
「普遍人間学」連続講座(みんなのシュタイナー主催)の最終回でした。
コロナ禍のため半年遅れの出発となりましたが、
リアル&オンラインの形で開催し、今日で無事ゴールイン。
エピローグとしてフリー・ディスカッションを行い、
いままでの過程を振り返りました。
参加者それぞれ、各者各様の疑問、感想、ご意見がありました。
ここでは、私の感想を書きます。

17年ほど前、四十になってから、
大阪で人智学を学びながら在野で言葉の教育に取り組んできましたが、
この書籍は常に座右の書であり、汲めどもつきぬ知恵の源泉であり、
また、教育家としての自分に勇気を与えてくれる特別の本でした。
今回、シュタイナー研究家の志賀くにみつ先生をお迎えし、
1919年のシュタイナーの講座さながら、
熱のこもった講義を聞かせていただきました。

志賀さんは、
メルヘンの研究をその出発点としているだけあって、振り返ると、
今回の連続講座は、
ひとつのおおきなメルヘンのようなものだったと感じられます。
本日の振り返りにあったように、
メルヘン、日本昔ばなし、聖人伝説、冒険譚など、ファンタジーは数あれど、
メルヘンはその根源にあり、
また、常にハッピー・エンドを通じて
それに接する者たちを勇気づけてくれる存在です。
志賀さんのお話は、その意味で、
私たちを勇気づけようという深い共感に支えられていたと思います。
『普遍人間学』はすばらしい本ですが、難解なことでも有名です。
なにせ、汲めども尽きない泉ですから、無理もありません(・・;)。

最終講の第14講は、こどもたちの胸部に働く、
生き生きとした「想像力」の大切さについて語られていました。
知識を無理に詰め込むのではなく、
こどもたちの想像力を生かすような授業。言うは易し行うは難し。
シュタイナーの言葉にいちいち頷きながらも、
教育者としてはそのハードルがどんどん高くなるのも感じます。
こんな授業、果たしてできるんかいな、
といきなりの大阪弁のつっこみが…。
とはいえ、ウロボロスよろしく第一講にもどってみると、
シュタイナーは次のように語ります。
「私たちの課題は、知的情緒的なものではなく、
この上なく道徳的精神的なものです。
そう考えた時はじめて、
私たちは正しい態度をとることができるのです。
ですから、今日、この講義を始めるに当たって、
まず最初にしなければならないのは、
霊界(ガイスト、精神界)との深い結びつきを考えることです。」
(高橋巌訳、筑摩書房)


そうそう。
想像力は唯物的に生み出すものでなく、
高い世とつながることで自ずと流れてくるもの。
シュタイナーの思想家としての出発点となった
『自由の哲学』でいうならば、「純粋なる思考」と同じものです。
してみると、気張る必要はなく、
自らを活かすことが最も大切な課題となります。
知識を詰め込むのではなく自由に生きる。
ここでも、振り出しにもどりました。
今年度から、ご縁あって「国語教員養成」に関わることになりました。
国語(日本語)という膨大な領域を教えることなど私にできるのだろうか。あれもこれも、あれもこれもと考えていくと。
自縄自縛になります。

今回は、その状況を前に進めるために、
志賀さんを介してシュタイナーに背中を押してもらったように感じます。
「みずからをいかす」「おのずからいきる」。
シュタイナーの言葉でいうと、エーテルの流れを信じること。
それしかないのではないか。
自分という人間を乗り越える人間を育てる。
シュタイナー教育の真骨頂で、故子安美智子さんの著書において、
この教育観、ないし人間観を先生がもっていることに感動したことが、
私にとってのシュタイナー教育との出会いでした。
それを再認識させてもらいました。

シュタイナー教育、あるいは人智学においては、
「答えをみつける」ことよりも「問いを立てる」こととが重視されます。
答えは問いの中に含まれるから。
問いは、その人の生き様の延長に現れる道標です。
今日、フリーディスカッションで私が立てた問いは、二つあります。

ひとつは「人間の中心はどこにあるか」という古くて新しいもの。
西欧と異なり、大阪で日本の伝統文化を背負って
言葉の教育に携わる者としては、
人間の中心は「ハラ」になります。
ドイツ発のシュタイナー教育における中心(胸部)と
日本の文化における中心(腹部)のこのズレ。
これをどのように認識し教育に活かしていくか。

また、シュタイナーの認識における、頭部神経系、
胸部(心臓と肺)リズム系、四肢代謝系という三分節において、
あまり論じられなかった「第二の脳」として
注目されている消化器系(特に腸)は、
普遍人間学においてどのように位置づけられるのか。
言い換えると、人間にとって腸とは何か、という問い。
このテーマは、おそらく、解剖学者の三木成夫さんの
問題意識にも通じるものでしょう。

この二つの問いは、
だれかがすぐに答えをくれるようなものではなく、
これから私が自ら考えていく問いなのでしょう。
それを意識化できたことは、自分にとっての大きな収穫です。
さて、その果実を味わい種を掌にのせて、
新しい土壌にまくとしましょうか。
第二期を終え、シュタイナー・ベーシック@大阪は、
これにてしばし眠りにつきます。九月の目覚めを待ちながら。
関わったみなさまに感謝。ありがとう。

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事務局堀川

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