ぼくには姉がいない

 ぼくには4歳年上の姉がいる。成城大学という知名度が高いんだか低いんだかよく分からない都内の大学の英文学科を卒業して、一昨年からはちょっと有名な出版社で働いている。去年に実家を出て行って、いまは白金台のマンションで一人暮らし。大学でサークルが同じだった彼氏といまも付き合ってるけど最近はあまり上手くいっていないようすで、ぼくはたまに飲みに誘われてその愚痴を聞かされる。一緒にレストランに行っても食べるペースを合わせてくれないとか、こっちが一生懸命に話してるのに反応が薄いから「話聞いてる?」って聞いたら「ごめん別のこと考えてた」って返されたとか。そんな超絶くだらない話を聞かされたところでぼくが得るものは何一つないんだけど、まあだいたいお店のお代は姉の奢りなので不満は言うまい。「だいたい」というのはたまにはぼくが少しは払わなきゃいけないと思うようなハイクラスなお店に連れていってくれるからで、出版社勤務3年目の女性社員がどれだけのお給料をもらっているのかはあえて聞かないようにしているけど、そういうお上品なお店に連れていかれた時は「やっぱ社会人はすげえな」なんて思いながら帰り際にそっと3000円を渡すようにしている。姉は「いらないって」と軽く笑いながらも「じゃあこれだけもらっとく」と言って1000円だけ受け取る。この1000円の意味はよく分からないけど、ぼくにはこのやり取りが妙に心地よかったりする。

 きょうだいの形はそれぞれだろうが、ぼくと姉はかなり仲がいいほうだと思う。いくら唯一のきょうだいだからといったって、ふつうは性別の違うきょうだいが二か月に一遍だとか一か月に一遍だとかのペースで一緒に飲みに行ったりなんかしないはずだ。ぼくは小さい頃から「お姉ちゃんっ子」で、姉もそれを受け入れてくれていたからもともときょうだい仲はよかったんだけど、そりゃまあぼくらも喧嘩することぐらいはあった。いちばんヤバかったのはぼくが中学2年生だった時だろうか。ぼくが何かのはずみで姉のドライヤーを壊してしまったことがあって、その時は「ドライヤーが使えないと髪がゴワゴワになるんだけど!」「わざと壊したわけじゃないって言ってるじゃん!」とかしばらく怒鳴り合った挙句に一週間口をきかなかった。その間はお互いにものすごく気まずくて、ぼくはこの状態がいつまで続くのか不安でしょうがなかったから、ある日、姉が冷凍庫の中のハーゲンダッツアイス(たしかストロベリー味)を取り出して「……これ食べていい?」って声をかけてきてくれた時は本当にほっとした。「……うん、いいと思うけど」って、ちょっとドキドキしながらもうれしい気持ちで返答したのを憶えている。それで数分後にはお互いに「ごめんね」って謝って、また雑談をできる仲に戻っていった。きょうだいってふしぎなものだ。ぼくにはこの姉がいてくれてよかったと本心から思う。

 と、ここまで書いてきた内容はまったくの嘘っぱちで、本当はぼくに姉はいない。「いない」というのは病気や事故で亡くなったとか、心の中では存在しないことにしているとか、はたまた母親がお腹に宿している時に死んでいるとかいう意味ではない。「ぼくの姉」はぼくの完全なる妄想の産物で、この世にはあらゆる意味で実在し得ない虚構の存在なのだ。ぼくにきょうだいはいない。ぼくはひとりっ子だ。家族は父、母、ぼくの3人のみ。だけどぼくは高校生になってから出会ってきたひとすべてに「ぼくには姉がいる」という嘘をつき続けてきた。そのわけはというと、ひとりっ子であることで周囲から偏見を持たれ、だいぶ生きづらい思いをしてきたからだ。「ごきょうだいは?」と聞かれた時に「ぼくにきょうだいはいません」と答えるのと「ぼくには姉がいます」と答えるのとでは相手の反応がまるで違う。世界中のほかのひとりっ子のみなさんがどうなのかは知らないけど、ぼくの場合はそういう現実に直面することばかりだった。だからぼくは、小中学生の時は地元の学校に通っていたからさすがに無理だったけど、お隣の区にある高校に入ってからは「きょうだいがいます」「姉がいます」と嘘をつくようにしてきた。そういうわけで、高校と大学でのぼくの知り合いに、実はぼくがひとりっ子だという真実を知っているひとは一人もいない。もちろん、ぼくの恋人だってその例外ではない。つい昨晩も彼女から「お姉さんに会いたい」と言われて、「別にいいけど、実際会ってみたらめんどくさいひとだと思うよ(笑)」と答えたばかりだ。ぼくの姉。会ったことがないたった一人のきょうだい。どんな顔をして、どんな声をしているんだろうとたまに想いを巡らすことがある。そしてその度にぼくは自己嫌悪に苛まれる。

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