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キネマ旬報 映画本大賞 2022 第1位『オーソンとランチを一緒に』訳者あとがき

 キネマ旬報映画本大賞2022 (同誌2023年4月上旬号発表) で第1位に選ばれた小社刊『オーソンとランチを一緒に』。受賞を記念して、翻訳編集の赤塚成人による「訳者あとがき」を公開します。図版は note のために、特別に用意したものです。

オーソン・ウェルズ ヘンリー・ジャグロム
オーソンとランチを一緒に
ピーター・ビスキンド編/ 序文 赤塚成人訳
A5判並製函入・2段組424頁
装丁 服部一成 装画 前田ひさえ

 本書はピーター・ビスキンドが編集したMy Lunches with Orson: Conversations Between Henry Jaglom & Orson Welles (Metropolitan Books, 2013) の全訳である。

〝神童〟と崇められ、映画史上の最高傑作と言われる『市民ケーン』(1941) で監督デビューしながらも、後年はインデペンデントで作品を製作。『第三の男』(1949) で大スターの座に昇り詰めたのに、晩年はB級C級ばかりとなった出演作の数々。監督兼俳優として巨大な才能を秘めていたのに、オーソン・ウェルズはなぜ浮き沈みの多い人生を歩んだのだろう。

オーソン・ウェルズ(1915-1985)

 舞台とラジオでセンセーショナルな話題を振りまいたが、鳴り物入りで進出したハリウッドで安定した地位を築けず、心身共に充実する30代からの20年間、ヨーロッパを拠点にして活動した。ようやくアメリカへ戻って監督した『風の向こうへ』は、出資者と揉めてフィルムを没収され、死後33年も経てやっと完成に漕ぎつけた。ありあまる才能の代価なのか、協力すべき人々との関係は決まってうまく行かなかった。1985年にウェルズが死ぬとその真価を問うさまざまな意見が聞かれ、多くの文献や映像作品が世に送りだされてきた。

 2013年に刊行された本書がそのなかでもとりわけ話題を集めたのは、ウェルズの〝最晩年の語り〟が収録されていたからだ。70歳で死ぬまでの3年間、ウェルズは友人の若い映画監督ヘンリー・ジャグロムとほぼ毎週ハリウッドのフレンチレストラン、マ・メゾンでランチを共にしていた。『フェイク』(1973) が商業的に失敗し、老いて俳優の声もかからなくなったウェルズにジャグロムは同情を寄せ、新作の出資先や出演先を探してやっていたのである。ウェルズの勧めで、ジャグロムは二人の会話を録音していたというが、実はこの主張を疑問視する声も聞かれ、『風の向こうへ』の撮影監督ゲーリー・グレイヴァーは、ジャグロムはお忍びで録音していたと断言している。真相はともあれ、二人の友情を刻印した音声テープはこの世に長く秘蔵されて、ビスキンドの編集によって、いまとなっては貴重な本人語りのドキュメントとなった。

ヘンリー・ジャグロムとオーソン・ウェルズ
ジャグロムは自身の監督作にウェルズを出演させた

 本書の魅力は第一に、老いたウェルズの哀しみが、本人語りで徐々に滲みだしてくるところにある。その底にあるのは、年々深刻さを増していくリウマチの病状と金銭面での労苦だ。企画していた新作映画『夢みる人びと』と『第一の嘘』が実現に至らず、ウェルズは晩年、CMやテレビ、取るに足らない映画に出演して、生活費を稼ぐしかなかった。自らとは対照的に晩年に売れた演劇時代の恩人、ジョン・ハウスマンへの恨み節が聞かれ、HBOに連作ドラマの企画を売りこむ姿がなんとも痛々しい。

 第二の魅力は、驚きの証言が会話に含まれているところにある。産業形態の映画製作を確立させた天才製作者、アーヴィング・タルバーグの後釜に MGMに来ないかと誘われた逸話や、『審判』(1962) の撮影中、ポケットマネーで出演者のホテル代を払っていた秘密が語られている。なかにはランチのお楽しみに盛られた作り話もあるのだろうが、ウェルズの内面の真実を物語っているのは確かだろう。ウェルズはタルバーグとは真逆の映画作りを行い、自腹を切ってでも納得できる作品を作ろうとした。

 第三の魅力を挙げるなら、ウェルズの言葉に、忘れがたい警句がちりばめられていることだ。好きな作家を語って、「書き継がれた頁にだけ、わが友人たる証がある」また作者の存在をめぐって、「ペニスを見せるのはいいが、ストリップは止めてくれ」その多くは一介の映画監督というよりも、芸術家としての本懐を語っているように聞こえ、「芸術上の過ちをただの一度も冒していない」という自負に裏打ちされている。

 以上、とりとめもないランチのおしゃべりから、これまで神話のヴェールに包まれてきたウェルズの人物像がふくよかに伝わってくるところに、本書の面白さがある。関わった映画の思い出や新作の構想、読んだ本の感想や友情観、政治観が率直に披露され、その最晩年がまるで日記のように切り取られているのである。

 二人の会話から、アフリカの飢餓やエイズに苛まれた1980年代の世相がフレームを覗くように垣間見え、ウェルズの自己破壊的な一面が立ちのぼる瞬間は、この本の白眉と言えるが、必ずしも深刻で、暗い話題ばかりがここに並んでいる訳ではない。店の料理に悪態を吐きながらも愉快に頬張り、ゴシップ話に花を咲かせ、ある時は子供のようにはしゃぎ、ある時はしみじみと語る人間ウェルズの姿がここにはある。
「映画の仕事をする限りは、(中略) 楽しませなければいけないのさ」(8章末尾) という一言が、いみじくもその語りを集約している。憎まれっ子ウェルズの不思議な内面を覗くうち、いつしか共感を覚えてしまうところに、この本のもつ不思議な魅力があると言えるだろう。

『市民ケーン』撮影スナップ
バーナード・ハーマンはこのオペラの場面のために
アリア「サランボー」を作曲した

 翻訳に際してはウェルズの語りを吟味し、それが事実なのか記憶違いなのか、はたまたランチを楽しむために盛られた作り話だったのかを検討して訳注を記し、一方的と思われる見解については関連文献を読み、他方の見解も補った。なかでも近年、海外で研究が進んだFBIや赤狩りの脅威、ブラジルとヨーロッパの滞在経験について、日本で未紹介の事柄を補足できたことは大きな歓びだった。

 さらに下調べを進めるなかで、 11章で語られるウェルズに出演交渉していたテレビ番組が、1985年 (昭和60) から翌86年 (昭和61) にかけて日本で放映された「NHK特集 ルーブル美術館」だと特定できたことは僥倖だった。いくらインターネットで検索しても番組名を特定できず、試しに若き日に見たNHKの番組名を調べてみたところ、ことごとくその内容が会話にあるものと合致した。ウェルズはフランスの共同制作サイドと話をしただけで、日本の公共放送が制作に加わっていた事実を知らなかったのか。この部分はなぜか本書のフランス語版にも訳注がなく、本邦訳で初めて発掘できた事実となった。また 26章に話題があるニッカウヰスキーのCMについて、その詳細を反映できたことも幸いだった。

「NHK特集 ルーブル美術館」廃盤ソフト
1  神なる王・ファラオの時代〜古代エジプト

 邦訳では付録に、ウェルズの映画・舞台・ラジオの計107作品、ジャグロム、ビスキンド、ウェルズに因んだ映像作等を併せると総計149作品、字数にしておよそ6万2千字の紹介を補った。ほとんど顧みられることのないウェルズの映画出演作をリスト化したのは、自身の生活を守り監督作を作るために、彼がどんな作品に出演したのかを知ることは、その生涯を理解するうえで無益ではないと判断したからだ。そこで可能な限り多くの作品を見直し、簡単な筋書きや演じた役柄を著すことにした。

 その作業を進めるなか、原著が刊行された時点では永遠に未完成に終わると思われた『風の向こうへ』(撮影1970-76) がネットフリックスの資金援助で2018年に完成し、配信で見られるようになったのは、訳者にとって一大事件だった。晴れて目にできた本作は、マッチョな監督の自己崩壊を内面のジェンダー意識と絡めて描いた荒々しくも鮮烈な作品であり、そのことを世に知らしめただけでも、完成された価値は十二分に有している。

『風の向こうへ』オリジナル・ポスター

 ウェルズは本書で男性性と女性性をめぐる議論を再三しており、古い男性的価値観に囚われている一方で、「真の芸術家は女性的な人間だけだ」(23章) とも言い切っている。こうした複雑な性意識の在り方こそ、『風の向こうへ』の主題をなすと訳者は考えており、付録欄の本作の紹介 (372〜375頁) では、彼のジェンダー・アイデンティティーに由来するひとつの作品理解を提示した。その映画に、悪者を自分の力で滅ぼすマッチョはひとりも登場せず、『オセロ』(1951) 『黒い罠』(1958) 『フォルスタッフ』(1965) など、男性間の登場人物に内在するエロティックな関係性を認めることができれば、彼の作品は概して理解しやすくなる傾向がある。

 日本では紹介が進んでいないが、今世紀に入って海外のウェルズ研究は飛躍的に発展してきた。ジョナサン・ローゼンバウム、ジェイムズ・ナレモア、ジョゼフ・マクブライドらの知的な批評に触発されて、非英米圏や文学、比較文化、クィア批評の領域から新たな研究者が現れ、〝知られざるウェルズ〟の足跡が次々にあかされてきたのだ。いまやウェルズが、キャリアの最も重要な時期にRKOから差別的な理由で不当に 所属契約を解除され、『オセロ』でイアーゴーを性的不能者に見立てたことは明白になっている。このような、人生の辛酸や性意識がもたらす微妙な人間関係、権力構造の変化をウェルズは『上海から来た女』(1947) 以降 しばし作品に潜ませており、『風の向こうへ』ではハリウッドに対するアンチテーゼとして、これらを主要なテーマに扱っている。訳注や付録のウェルズ「監督作・撮影作欄」では、こうした海外の最新理解や今後 さらなる発見が期待される一面を織り交ぜて、日本におけるウェルズ理解のアップデイトにも力を注いだ。

 最後に、「NHK特集 ルーブル美術館」の詳細を教えてくださった元番組ディレクターの斉藤陽一氏、 ニッカウヰスキーのCMについてご教示くださったアサヒグループの嶋愛子氏、組版の三谷良子氏、校正の布施直佐氏 (サンパウロ在住の映画研究者で、付録に記したブラジル映画に関してもご教示を得た)、翻訳について助言を得た矢田部吉彦氏、装丁の服部一成氏と素敵な装画を描いてくれた前田ひさえ氏に感謝を捧げます。

 2022年6月13日                          

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オーソンとランチを一緒に
四月社発行 木魂社 (こだましゃ) 発売
書店注文は日販、トーハン経由。返品可。
ご注文 03-3237-7576(FAX)
注文/ お問合せ akatsuka@shigatsusha.net

https://onl.bz/KEyKjcY
http://www.amazon.co.jp/dp/4877461205

*本書は、髙橋佑弥さんと山本麻さんの「2022年 映画本回顧放談」でも、第1位に選ばれました。(2023年5月12日追記)
https://note.com/mr21807991/n/nea229e4e71fa

撮影協力:オッカランTOKyo 神保町
https://www.instagram.com/au_calin/




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