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3月20日 twitterよりfacebookな私の理由

twitterにはお世話になった。

ちょうど3.11の頃、毎日のようにtwitterを覗いていた。
電車が動かないので会社から歩いて帰るという友人の投稿を見つけて迎えに行った。
最新情報もtwitterを見ていると次々に入ってきた。

ほんと、あのときはtwitterにお世話になった。

その後、facebookも使うようになった。
いつの間にか利用頻度はfacebookの方が多くなっていった。

いまも時々twitterを覗きにいくことはある。でも、やっぱりfacebookの方が落ち着く。

なぜか。

twitterを見ていると、人を非難したり批判したり、誹謗中傷らしきつぶやきが目につく。

一方facebookは基本的には実際に会った人としかつながっていない上に、その人達は人を責めたりネガティブな投稿をしない。
誕生日を祝いあったり、嬉しい出来事や楽しい出来事を投稿する。

基本的に投稿内容がポジティブだ。

「リア充」って言葉が流行っていたことがあるが、まさにそんな投稿も多い。
それが気に入らない人はfacebookから消えていくようだが、私は誰かのリア充の投稿に刺激を受けることもある。
正直言って、羨ましさや妬みのような感情が湧いてくることもある。
でもそんなときに自分を振り返らせてくれる。
 「なぜ自分はこの投稿に対してこんな気持ちになるのか。」
 「なぜ悔しいのか、羨ましく思うのか。」

facebookは自分を刺激してくれたり、自分を振り返るツールにもなっているようだ。

もちろん、友達の動向も気になるし、投稿が少なくなると「どうしたのかな」と心配をしたりもする。
そんなつながりを感じさせてくれるのもfacebookならではだと思う。

twitterはしばらく見ていると気持ちが陰鬱としてくることがあるが、facebookにはそれがない。

昔は年賀状で友人関係を確認していたような気がするが、いまはそれがfacebookに置き換わったようだ。
なるほど、年賀状に必要性を感じないのはそのせいか。

自分のプライベートなことを上げることを避けている人もいるが、使い方はそれぞれだと思う。
有名人ならいざ知らず、一般人にとってはここでプライベートなことも伝えておかないと存在を確認してもらえないし、自分を理解してもらえない。

遠く離れてしばらく会っていない人にも、自分という人柄が投稿から感じてもらえる。

「会わないのに、いつも会っている気がする。」

そんな風に言ってくれる人もいる。

facebookはいろいろ叩かれることも多いけど、自分にとっては日々の足跡を残し、友達とのつながりを維持するためのいいツールなのだ。

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