見出し画像

【2023年を振り返って🇰🇪】

Mko chonjo〜?
みなさま、こんにちは!
Kyaloです!
12月25日でケニア🇰🇪に来て、11ヶ月が経ちました。
本当は1年経って振り返りをしようかと考えていましたが、来月には中間報告を控えており、ゆっくりと振り返りの時間がとれないことと、あと少しで2023年が終わるキリのいいタイミングなので、いま振り返りたいと思います!

※中間報告会:派遣されて1年経ったタイミングで、
・JICA事務所に向けて1年の活動報告をプレゼンテーションで行う。国によって違うが、ケニアはスライドを作って英語で発表。発表後、英語で質疑応答を行う。(JICA事務所の方々にケニア人も含まれているため)
・配属先に1年の活動報告とこれから1年の活動計画を共有する。VCさん、配属先のCPと派遣隊員(僕)の3者で行う。派遣されて半年で行った3者合意の1年後バージョン。

※※1:VC→Volunteer Cordinator。協力隊員のボランティア活動をサポートしてくれるJICA事務所の方
※※2:CP→Counter Partner。任地で活動を共にする方


☆1~3月☆

ケニア出国に向けて、語学や持っていくものの準備を進めつつ、お世話になった方々に「いってきます🇰🇪」の報告をした年始。年明けたのに、ケニア出国が自分の中で大きくて、全然年末年始を過ごした感じがしなかった。
1月下旬、ケニアに到着し、1か月の首都での訓練。ケニアを知るための講義や語学研修、フィールドトリップ。特にフィールドトリップはパンチがあって、あの頃の自分にとっては刺激でしかなかった。(今はそこに住んでいるけど笑)
3月、ついに任地へ赴任。早速活動もスタートして、慣れない環境と語学の壁に悩まされて、体調を崩す。体調を崩したことを教頭に伝えると、教頭と生活のCPがお家に生存確認しに来た。体調が悪くて学校に行けないと何度も言っているのに、「学校にご飯を食べに来い!」と言ってくれて。それがケニアンの優しさなのだけど、学校に行く方が体力的に辛いということをわかってもらえないのに、苦労した。(今では彼らも日本人を理解して、無理やり学校に連れて行こうとはしない笑) 体調が悪くなったその日の夜、生活のCPが「校長からシゲに何か食べさせろと言って、お金をもらったから、今日はこれで夜ご飯を作ろう」と言ってお家に来てくれた。本当に自分って周囲にいる人に恵まれるなって思った出来事。

※フィールドトリップ:1ヶ月の研修期間に3泊4日で任地に行く研修。任地で何を買うことができるのかの確認や、ケニアでは任地の住居を自分で決める必要があるため、住居の選定を行う。

14人の同期❤️‍🔥
校長先生のお金で買った食材で
ご飯を作ってくれたChege!
生活のCPに恵まれてよかった。

☆4~6月☆

4月中旬にTerm間の休みがあって、2ヶ月ぶりに同期と会い、任地のあれこれの話をしながら、Tsavo &Amboseliのサファリへ。赤い土を被ったゾウやシマウマが印象的なのと、キリマンジャロとフラミンゴを見れたのが素敵だった!
5月になり、Term2へ。全然ケニアの学校の勝手がわからず、ひたすら観察。先生たちとは、毎朝必ず挨拶を交わすよう心がけた。そしてこの頃から月1で体調を崩し始める。笑
6月、初めて同期が任地の学校に来てくれた!子どもたちも僕以外の初めての日本人でとっても嬉しそうだったのを今でも覚えてる。自分がここに来た理由をずーーっと考えてたから、その理由の1つを見つけた気がした。あとは何といっても、白く濁った井戸水。その水を使った次の週、1週間腹痛と発熱と頭痛に悩まされた。これもいい思い出。

赤い🐘!
雨水生活も新鮮だった
白く濁った井戸水

☆7~9月☆

ケニアに来て半年。いろんな場面で「なぜここに来たんだろう」と思わされることが多くて、90%くらい葛藤の日々だったけど、色々と整理がついてきたとき。そんな時に、首都ナイロビで久しぶりの研修。ちょうど2023年度1次隊の方々も来ていて、新たな出会いもあった。同期や先輩隊員方とお話できて、少しずつ自分のやるべきことが見えてきた!
8月はケニア西側の同期の任地を訪れたり、ケニア甲子園のお手伝い・モヨチルドレンセンターに行くなど、とにかくケニア中を動きまくった!たくさんの出会いがあって、これもまた8月以降に楽しみができた。
と思って迎えた9月。数学の先生が1人産休に入る、もう1人は怪我で授業できず、別の教科の先生はご家族の不幸事で一時学校を離れる、などなど多数先生がいなくなったことにより、本来の受け持ちクラスに加えて、新たに1クラス持つことに。とんでもなく忙しく、また英語で授業することの疲れがどっと出た…
でも結果的に、自分が3月から持っているクラスと9月から持ったクラスを比較することができて、自分が伸ばそうと思ってきた部分が着実に身についていることを実感することができた!

JujaにあるJKUATで野球指導⚾️
半年記念写真🧑‍🎓
Kajiadoにある野球チーム
練習のお手伝い⚾️
モヨチルドレンセンター
Nakuruにあるベイビーレスキューセンター。
このことについては別途書きたい。

☆10~12月☆

Term3 はTerm1と2に比べて全く毛色が違って、特に学校行事もなく、淡々と毎日が過ぎていった。
(KCSEがあるため、特に Form4 の子たちは土日も学校に勉強しに来るなど、勉強に勤しんでいた)
Term3 が終わった後も、Form4 の子たちはKCSEに向けて授業。Motivaterみたいな人を呼んで、Form4 の子たちに3時間くらい喋り倒していたのも印象的だった。
10月末はナイロビマラソンに参加。ベビーカーを押して参加している家族がいたり、車椅子を押して参加している人たちもいた。
11月はケニアのナイバシャにあるロンゴノットという山に同期と後輩隊員さんたち、VCさんの息子さんたちと登山。
12月は1年ぶりに同期と再会!
「1年経ったね〜。本当によくやったよな〜。次は1年後の日本で!」という会話が自然なのが協力隊。本当に協力隊に来られる方々は、みんな尊敬する人たちばかり。また次の1年を頑張ろうと思えた!
そして2024年の活動をより円滑にするため、語学の勉強に力を注ぐ。学習の成果は3ヶ月後にしか出てこないけど、辛抱強く続ける。

※Term:日本でいう「学期」のこと。Term1 は「1学期」
※Form:日本でいう「学年」のこと。Form1は「1学年」

同期も協力して、
授業をしてくれる!
Nairobi Marathon 🏃
KESTESで支援している奨学生の訪問
ロンゴノット登頂⛰️
1年ぶりに会った同期!
生魚食べて泣いてた。
スワヒリ語学習のときの仲間と先生!

☆多方面からの情報を発信☆

ケニアのことが身近に感じられるように、とにかく発信し続けた1年。
僕が発信しているのは、
ケニアにあるマクエニカウンティの【ンジウ】
という小さな町での出来事。
去年の訓練中、ケニアの他の隊員は任地について情報がある中、【ンジウ】についての情報は全くなく、「本当にンジウってあるのかな」と不安になったことがきっかけで、発信していこうと決意した。
(今は「ンジウ」と検索したら、このnoteが序盤に出てくる。はず。)

この1年発信してきて思うのは、「ケニア」を主語にするのは危険だなということ。
発信する際に十分注意していても、読んでくださっている皆さまが「これがケニアか」と思うと、それが「ケニア」へのイメージになってしまう。
だから、これから1年はより一層「主語」に気をつけて発信していこうと思う。
(同じケニアンでも、ンジウの人が言うこととナイロビの人が言うことは全く違う時がある)
(読者の皆さま、これって… みたいなものがあれば、是非お知らせください!)

☆アジア人差別☆

訓練中、二本松訓練所の図書館にあるパソコンで、よく先輩方の報告書を読んでいた。
その時よく目にした、「アジア人差別」。
ケニアに来た当初は、「あー、本当に差別って存在するんだな」と思っていた。
でも時間が経つにつれて、

◯日本ではない国のアジアの製品や繁華街、公共交通機関などが溢れていて、ケニアンにとっては特定のアジアの国がとても身近なものであること
◯教育課程に新しく、ドイツ語やフランス語と並んでそのアジアの言語が取り入れられること
◯ただ挨拶したい、話しかけたい、特定のアジアの国の言葉を知っていることを知らせたいと思っているだけの人がいること

がわかってきた。
(中には悪意をもって言ってくる人もいる。それとは別に、「ケニアに来るな。自分の国に帰れ」と言ってきた人もいる)
「ケニアやアフリカにはアジア人差別があるんだ」というのは事実でもあるが、そうでない人がいることも知っておくべきだと思う。
そしてこの捉え方自体も、人それぞれ。
僕は「アジア人差別」に対して、ケニアンと対話してきてこういう風に感じる。

☆部族☆

ケニアには42の部族がいる。この部族が誕生したのには諸説あるが、僕の同僚と、とある日に乗ったUber のタクシードライバーは、植民地支配された時に42の部族に分けられた、と言っていた。
(ケニアンが1つになって戦いにこられると勝てないと踏んで、1つにならないように42の部族に分けたとのこと)

独立して60年のケニア。いまだに部族間での争いやケニアの大統領になるのに部族が関係してくる。
「お前の部族がまたこんな事件を起こしているぞ」「あの部族はレイジーだから」などの話もよく耳にする。一方で、前述の内容を踏まえて、「間接的な支配が続いている」と感じているケニアンもいる。
僕的にはこの1年、「部族」という概念が長い年月をかけてなくなればいいな〜と思っていた。
でも。
「お前、カンバ族のところに住んでいるのか!じゃあお前は俺のブラザーだ!安くしてやるよ!」
「カンバ語話せるのか!タダで持って行け!」
とか、「カンバ族」のところに住んでいるからこその経験もしてきた。
自分の芯の部分(部族という概念がなくなったらいいな)は変わらないけど、現地の人たちがそれで喜ぶ姿を見て、現地語も覚えようという気にもなるから、複雑な気持ち。
これは2024年に持ち越しの宿題。

☆今年と2024年☆

とにかく遮二無二やった1年。
本当にチャレンジングな1年だった。
今年はとにかく周囲の人との「関係作り」に重きを置き、色々と思うことがあってもとりあえずスルーしてきた。
あとは、自分の弱さととことん向き合わされた1年でもあった。
コンフォートゾーンから出るって、本気で挑戦するって、幾つになってもしんどいものだと痛感した。笑

来年が最後の1年。
最後の1年で、「山本雅茂」ができることに注力し、また2代目や3代目の方たちにいいバトンを繋げられるよう、変わらず全力でやっていきたい。
(もちろん、「協力隊」「日本人」「アジア人」としてできることも忘れずに)
そして1人でも多くの子どもたちが笑顔で、幸せに生きられるような環境にしていけるよう、がむしゃらにやっていきたい。
(生まれた場所によって違いがうまれない世界に)


今回もお読みいただきありがとうございました!
今回は今まで以上に、思いついた通りに書いてみました。

そして!
僕の稚拙な文章で書かれたnote を1年間ご愛読いただき、ありがとうございました!
来年も変わらず、
・このnote を書き始めた初心を忘れず

・1週間に1度のペースで
ありのままの「ンジウライフ」をお届けします。
引き続き、よろしくお願いいたします!
それではみなさま、よいお年を🇰🇪

Asante kwa kusoma🇰🇪
Tutaonana mwaka ijayo🇰🇪

Nakuruのベイビーレスキューのお子👶
みなさま、良いお年を🫶

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?