田口茂樹

SMSという会社を以前創業したやもしれません。

田口茂樹

SMSという会社を以前創業したやもしれません。

最近の記事

こさえたかもしれない会社がやね。

「きっとこの世界の共通言語は言葉じゃなくて笑顔だと思う」みたいなカッコツケツケの歌の歌詞があったように想う。 また「志村けんのだいじょうぶだぁ」の放映時、テレビ局には視聴者から多くの便りが届いた。その中に、志村さんが「ホロッとした」手紙があった 父を失った娘が、母とアパートで生活していた。母はパートに出て、娘もアルバイトの日々。ただ、月曜日だけは2人とも午後6時に家に帰った。8時からの番組を見るためだ。母娘で笑い合い、「また1週間頑張ろうね」と声を掛け合った 人間と動物の違

    • 食い入る写真たちよ

      二度目に会うために吾輩の愛車で荻窪の実家近くまで迎えに行った際、後部座席があまりにシンナー臭がするモノなので 「ちょいと岸田さん(あの頃はまだ丁寧語)隣にラリってるヤンキー乗せてませんか?」なんつって そしたら奴さん 「いやすいませんあまりに靴が汚いもんで会う直前までラッカーで黒に吹きかけてましたんですわ!」との事。 今では決して驚きはしないけれど、あの時の驚きはとんでもないもので靴の汚れをラッカーで上塗りして誤魔化そうとする輩を寡聞にして存じない。 「30台後半の未経験の

      • ぺろぺろ酔ってる場合ちゃうで

        「怒鳴門鬼韻」てジジィがおってやな、みたいな事を言われたような気がしたような気がしなくもない事があったような気がする。 そのジジィはもう鬼籍に入ってしまったけれど日本の事が大好きな白人との事でホントの名前はドナルド.キーンと言うのだとその時知った。 1922年アメリカ、ニューヨーク州で産まれたキーン少年は終戦間際、前線で戦渦を過ごし、日本に勝ち目がないなかで日本兵や民間防衛隊が自爆攻撃を行い、女性や子供たちが自殺する姿を目の当たりにしたという。 終戦の玉音放送はグアムの収

        • カイポケて知ってる?

          「三上君の入社年月日っていつだっけ?2005年の?」 三上「です!2005年の確か4月ですね」 「え?4月?うそ?アーリーアダプターやんけ?社員番号覚えてる?」 三上「15番?くらい?」 「ウソこけ、宮副でも18番ぞ。そんなわけあるかい!」 三上「いや、じゃあ20番?とか?ダメっすか?」 「ダメてなんや?こちらは事実を聞いておる。なんやその浪速節な感じは?」 ダメ三上「じゃあ覚えてないカンジで。5の倍数だったようなカンジだったような記憶だけが定かです」 「。。

        こさえたかもしれない会社がやね。

          10年間の沖縄

          「子供達は登校も下校も何度もゲロ吐いて下校して来たです。トラウマって言うのかな?その傷はいつ癒えるか自分には全然わかりません」 小学生のラグビースクールから数えてかれこれ25年くらいになる頃2012年くらいかな?サッカーを通して何か社会的な活動ができないか?といきなりの問いかけにいきなり幼馴染の猿橋が連絡よこして来たものだから、 ちょうど暇こいてた自分に一体何ができるのだろうか?なんつって打ち合わせて持ってきた案件が原発のある女川の視察。 東北大震災の被害が深刻でそれは子

          10年間の沖縄

          足りないのが言葉で良かった。

          「井下のご家族の構成はどんなだっけ?」 青山事務所に来た井下くんに、いつもの通り質問すると、 ” 母親は専業主婦でそれはそれは素晴らしい母親業をしているし、兄は大阪大学を出て大手のクルマの会社で働いてる。妹は大阪市立大学を出て今はお子さんも2人いる。 ただ父親に特徴あって、感情の起伏が、面白いんです。決して悪い人ではありませんが” 「決して悪い人ではないのに起伏が激しいてどーゆーこっちゃ。もっと放り込め。コレが普通の反応だと思うのだけどいかがか?」らは はじめての大阪詣で

          足りないのが言葉で良かった。

          やってみないとわからへんやんけ。ゆうてんねん。

          「少しお時間いただけませんか?」いきなり連絡もらったのは昨年末の事。 お金の無心か事業提携先の紹介か何かかな?と。どちらにせよピ ピントは少しズレてるので、鮮やかにかわして少し酔わせてやってそのあと兄貴の話でも詳しく聞いて本の出汁にでもしようとしていたらば。 「マネジメントや採用について教えて欲しくてですね」 「。。。んなもん知るか。」 あ、諸藤貴志 諸藤周平の弟、諸藤三兄弟の末の男。 表参道の瀟洒な寿司屋でしばらく食事した後、自分の骨董通りの事務所で2人で飲んだ後 「こ

          やってみないとわからへんやんけ。ゆうてんねん。

          考える葦つってんだろ

          <葦> 自然浄化作用を持ち、多くの生物のよりどころとなっているため、その価値が再評価されてきており、ヨシ原復元の事業が行われている地域もある。 この他にも、燃料、食料、漁具、葦ペン、ヨシパルプなどの用途があり、現在でも利用されるものや、研究が行われているものもある また葦に関する諺も世界に多くあり、 「難波の葦(アシ)は伊勢の浜荻(ハマオギ)」は、物の名前が地方によって様々に異なることをいう。平安末期の住吉杜歌合において、藤原俊成の言で「難波の方ではあしとだけいい、東(あづま

          考える葦つってんだろ

          いつも朧げ2

          We 創業間もない頃の記憶はいつも朧げで、誰かに確認してもし詳細がわかったとして、その信憑性なんてなんの役にも立ちやしないのだし。 創業間もない頃のどこかの春先、入社したばかりの野崎一成さんと目黒区の某訪問介護事業所まで営業に訪問した折、「おすすめ求人」の特大広告枠をなんと今なら出血大サービスの月額10万円のところ、本日ご決断いただけるなら緊急大サービス込みで5万円でサービスさせていただくところ、祐天寺ちかくの目黒川のせせらぎがあまりにサラサラゆくものですから1万円で提供

          いつも朧げ2

          いつも朧げ

          桜の満開の頃、近くの芹ケ谷公園でカレーでも売るかなんて、誰かが証拠裏もなくまた言い出しやがって、確かまたバカな徹(山本)と釜野(晋史)あたりが支度し始めやがったところ、諸藤が漫然と眺めてうち、タバコふかした自分が小走りで戻ると、ミスタービビリでお馴染みのヨシ君(中野氏)が何故かテンパってルーを炒めていたパンを後ろ向きに投げ倒すという荒技でもってまさかのカレーを焦げつかすという罪を犯してしまい、不味いカレーを仕上げた。 ヨシ君は場の空気を気まずくするなどしてカレー桜祭りまで焦げ

          いつも朧げ

          好きなひと

          見出し画像 Photo by michicusa 若いともだち 110 田口茂樹 田口茂樹 2022年4月9日 14:45 「考えてみれば…一生懸命働いて、その代価として手にした賃金から、所得税を引かれ、年金積立金を引かれ、健康保険料を引かれ、介護保険料を引かれ、地方税住民税を引かれ、やっとやっと手元に届き痩せ細った賃金を使って生活すると、何に使っても、子どもが使っても消費税1割も取られるって「変」だ!」 みたいなツイートをどこかで見た。 自分は子供の頃からどうやらお金につ

          好きなひと

          モノより思い出よりモノより思いへ

          「モノより思い出」確か日産セレナのキャッチコピーがこんなだったと鮮明に覚えている。幼い頃から街ゆくクルマがとても好きだった自分にとって経済の発展は国産車の豪華さと正式に比例した。バブル絶頂の華の1989年日産GT-R32,初代ユーノスロードスター、ホンダNSX、レクサスセルシオなどが軒並み発売され、街を賑わせたのは今でも脳裏に焼きついている。外国のクルマはメルセデスが幅を利かせていて車体の番号はそのまま排気量を現した。SEL560ならSクラスの5600ccだし、SL500つっ

          モノより思い出よりモノより思いへ

          一般的でない採用。

          ↓ 大体エスだかエムだかよくわからない社名はどうなのか?ってのはどうなのよ?てのは誰もが創業当初から考えてもい、思ってもいなはずなのに。どうして20年に亘って長々とエスだかエムだかよくわからないままこのまま来たのかなんてまだ誰もよくわかってないはずで、僕だって創業当初から照れくさくて「ドMです」なんて言ってお茶を濁すのが席の山で。 それ以外のバージョンを思いつかないまま引退もしており。 もし他の人が他己紹介で「えーこの方はエスエヌエスってゆう看護師派遣の会社を創った張本人で

          一般的でない採用。

          難病を背に受けて

          2002年某日 ぽつりぷつりと大森駅まで徒歩で向かう途中での事。 ふと 「いつかお金持ちになったら年に幾らくらい欲しいとおもう?」 「さんぜんまん」  諸藤はたしかに僕の目を一切見ずにそう言った。 覚えてる。 2人きりでやる事何にもわからない最中、(何言ってんだ)と思うと、思う。 僕だってそうだ。 何せ、資本金がなさすぎて、2人どう繋ぎ合わせても最低資本金で作れる合資会社しか設立できないうえ、諸藤に預金なんてこれっぽっちもなかったし、在職中のインセンティブをこっそり現金で

          難病を背に受けて

          山下 forever

          2013年のある日、悪友の医師に連れられて行った四谷新木町の飲み屋にグッとハマった。 というか東京の真ん中にこの風情が生き残っているその様にグッときた。 その日そこのママにこのあたりに空き物件はないのか?と聞いた。 「ここは人気のエリアだから空き物件の話は聞いたことがない」と素っ気なく言われた。 諦めきれず翌朝目覚めた瞬間にネットで調べたらやっぱり手頃のがあり、即座に不動産屋に問合せ、当時の妻と駆けつけ、その場で契約した。 あるやないかい。 四谷新木町の車力門通りの裏筋を少

          山下 forever

          合わせ鏡

          合わせ鏡 幼い頃から不思議な遊びとして「合わせ鏡」というのがどうやら好きなところがあって。 幼稚園の頃。 園から帰って兄2人が不在で母もいない。近所の北村大豪も習い事かなんかで遊んでもくれない。 北村大豪とは幼稚園からの付き合いで40年以上の幼馴染で実家から50m以内の所にすむ、ともに育ったほぼ兄弟みたいなやつ。地区の運動会では2人抜け出して遊び惚けては迷惑ばかりかけてた猿みたいな仲間だった。 ひとり暇で仕方ないとき、居間で三面鏡の正面の自分に顔を合わせて目を合わせ、左右の

          合わせ鏡