このE型をうまく実践しているある方は巫女と表現されていました。

『「海外に出ると視野が広がる」「視野が広がることは良いことだ」とよく言われます。反論する人もなかなか少ないと思います。しかし、視野を広げて帰国した人はいつも得をしているでしょうか。視野の広さで組織に貢献できているでしょうか。まず、視野が広い人、すなわち、(海外事物の)情報量が多く、多様な考え方がこの世にあることを知っていて、それゆえに決めつけを憎む、知的に慎重な人々は、より視野が狭い人たちが出す結論に対して疑問や異論を抱きがちだと思います。そして、視野が広い人たちは構造上、常に少数派になりがちです。もちろん、視野の広さを買われて意見を求められることもありましょうが、その真意が広くみなに理解されるとは限りません。ゆえに、良かれと思っていろいろ学んできたのに、知見の活かせる場所の少なさから、孤立感や苛立ちが募ってストレスが増したり、それどころか嫉妬や羨望の対象となり「鼻持ちならない」「上から目線だ」と、いじめられる原因になったりするパターンも多かったりするのではないでしょうか。~でも、いざ重要な会議で、自分の知らない分野の知見を取り入れようという提案が出たときに、「へー」のあとは、「うーん……」となり、特段コメントもできず、なんかピンとこないと、結局スルーしてしまうというのも、組織の現実だったりしませんでしょうか。ちなみにイギリス流では「うーん……」のあとは、「わからないから、とりあえずやってみよう」「結果から猛烈に学ぼう」が定石のようです。とはいえ、「視野の広い」人たちの方も、他人を視野狭窄だと批判しているだけでは不足だと思います。「イギリスでは××だ」「アメリカでは××だ」と紹介しているだけでは「日本では前提が違うから」と一蹴されて終わってしまいます。視野の広さが実力として評価されるよう、組織に具体的な利益をもたらすところまで、知見を加工すること、応用することが求められると思います。たとえば自分の持っている情報量の多さを、誰かと話すときの質問力や会話の引き出しとし、それをより多くの人々との関係を結ぶネットワーキング力の基盤にできれば、組織の取引相手を増やしたり、関係強化をしたりすることができます。また、もし予期されえぬ事態が生じても、事前想定数の多さから、局面局面で「さもありなん」と構える心理的余裕を持つこともできるでしょう。そしてこれらの果実を、視野の狭い人たちにも気前よく提供することで、視野の広さに対する高評価を獲得していくという社内営業もしていければ、視野の広い人は生きやすくなるかもしれません。他人を「視野が狭い」と批判したり、日本人にはピンときにくい海外の思考方法やアイディアを一生懸命説明するよりも、通常のビジネススキルにスパイスを与える間接支援ツールとして有効活用するのもまた、「視野の広い人」の生きる知恵ではないでしょうか。~日本には、視野の狭い人を批判する「井の中の蛙大海を知らず」という諺があります。しかし、その先があるという説があります。次には、「されど天を知る」「されど空の青さを知る」と続くのだ、というのです。僕は最初にこれを聞いたとき、おお、なるほど! 深い! と思いました。狭い視界からであっても、ずっと見ていれば、空や天の本質、普遍性の真理に近づくことができる。曹洞宗の道元が言う「(ただひたすら、座り続ければ悟りが得られる)」のような、いかにも禅的思想だな、と思いました。しかし、少し調べてみると、この諺はもともと荘子の「はって海を語るべからざるは、虚に拘ればなり。は以って氷を語るべからざるは、時にければなり。は以って道を語るべからざるは、教へにねらるればなり」(井の中の蛙に海を語ってもわからない。くぼみの中のことしか知らないからである。夏虫に氷のことを語ってもわからない。冬まで生きていないので知らないからである。ひねくれ者に道義を語ってもわからない。固定観念にとらわれているからである)から採られているようでした。つまり、「されど~」以下は日本で誰かが付け加えたもののようなのです。視野狭窄の揶揄から、専門性を突きつめて至る神髄や境地を強調する大逆転に持ち込もうというところに、「されど~」をくっつけた人の粘り、視野の狭い側が感じる「視野の広い人からの上から目線」に対する逆襲、「その道幾十年」を重んじるいかにも職人気質の矜持を感じませんか。そういう意味で、荘子に日本の誰かが「されど~」を付け加えたという点まで含めて、なかなか意味深長だなと思います。こうして、ひとつのことをやり続ける中で普遍に至ろうと考えがちなのが日本流だとしたら、多様な経験を積み様々な発想に触れることで、普遍に至ろうとするのが欧米流だと思われます。欧米では、「多様性が高ければ、発想の組み合わせ数が増え、創造可能性が増す」「異分野からの手法の転用は選択肢を増やしてくれる」「思考方法自体の相違点を掘り下げれば、メタ思考(=考え方を考えること)も促してくれる」と考えるのです。~やはり教育は個人に与えられるもの。ひとりひとりに丁寧に施されて初めて人間は育つもの、という基本姿勢を感じます。「より違うものを得ることが、成長につながる」という考え方が根底にあるので、欧米の知的産業は多様性に対して貪欲なのです。転職回数もたいていポジティブに評価されます。~ともあれ、欧米のビジネスや学会において、競争力を高める上で、多様性が高いことは良いことであり、多様性が低いと批判される、低評価を受ける――これが自明のこととして通有されています。議論の主戦場は、むしろ「それをどのように測定するか」に移っています(差別反対という観点もありますが)。結果として、欧米の知識階級では、専門分野を持ちつつも、複数分野で一定の知見を持つ、いわゆる「T字型」人材が増えることになるのではないかと思います。ひとつの専門分野を深めることで、普遍的真理に近づき、まだ知らぬものを評価する力、推測の精度を高める力を養う基盤になります。~ひたすらひとつのことをやり抜くなかで独り普遍に至る日本流。個人指導で抽象的思考の基本的作法を身につけてから転職を繰り返す欧米流。門外漢であってもなるべく正確に本質を理解する力、つまり「普遍的思考」を身につけていくためのスタイルはひとつではないと思います。さらに他の流派の存在もありえるでしょう。しかし、昨今の日本のビジネス論壇では、多様性の意義を強調する欧米流の論調が増えているように思います。未知なるものへの判断能力だけでは足らず、ビジネスにイノベーションや創造性を得ることで儲けたい、という風潮が強いからでしょう。日本流だと、究極の境地に至ったある専門家が、たまに井戸に入ってくる異物を評価する能力は身についても、自ら他の井戸に出て行く動きは少ないままなのです。実際、日本の保守的な業界、組織、地域の硬直性、閉鎖性がイノベーションを阻害している、社会を停滞させていると考える人は、若い人を中心に多いと思います。僕も賛成です。日本には無数の井戸があるのだと思いますが、イノベーションを起こすためには、あちこちの井戸の縁を飛び回っては中を覗き込んで、どんな井戸がどこにあって、それぞれどのような様子になっているかを知る人、専門家ほどではないものの彼らと会話ができる程度のリテラシーを複数分野で有する人、すなわち「マルチ・リテラシー」を持つ人が必要になると思います。しかし、そういう人は非常に少ないのが日本の現状ではないでしょうか。そして井戸の底の専門家たちは、縁を飛び回る彼らを見上げて「何をしているかわからない人」「中途半端な人」、さらには「うさんくさい人」とみなしてしまう傾向にある気がします。しかし、そのような「マルチ・リテラシー」のある人こそが、井戸たちの架け橋となり、「天を知る者」同士の新規組み合わせから、イノベーションを導く潜在能力を持っているのではないかと思うのです。たとえば、産官学連携の枠組みであれば、学者とも役人ともビジネスマンとも話すことができる人材や、医工連携であれば、医学にも工学にも通じている人材を増やすことが大事だと思います。枠組みの整備や多様性の連呼にとどまるべきではないと思います。いわゆる「T字型」人材の重要性に反対はしませんが、日本にイノベーションを増やす上では、僕はどちらかというと、「I字型」ほどは深い知見を持っていなくとも、たくさんの「I字型」人材と信頼関係を結べ、彼らの協働を取り持てる「E字型」人材の重要性を提唱してみたいと思います。そういったマルチ・リテラシーを駆使して井戸の縁を飛び回れる「E字型」人材はそれほどたくさんはいらないかもしれませんが、現状では少なすぎるのが問題だと思うのです。これをもう少し増やすことは、有効な「第三の矢」にもなるのではないでしょうか。そして、「E字型」人材を増やすためには、明治維新から150年経った今も、欧米流エリート教育から学べるところがあると思います。ただし、欧米流は基本的に「T字型」が育つ方向にありますから、全部を取り入れる必要はないと思います。「I字型」になりがちな日本人の一部を「E字型」に持っていくため、すなわち、ヨコ・異分野への広がりを導き、それらを横断できる普遍的・抽象的思考を鍛錬するためには、前述のとおり、アカデミックな個人指導が有効であるように思われます。多様性のあるキャリアやマルチ・リテラシーが大事だといっても、抽象化して考える思考を丁寧に鍛えられぬまま社会に出、ただ転々と仕事を変えるだけでは、到底、普遍的な能力の育成は望めません。井戸の底の専門家たちに信頼される架橋をすることも難しいでしょう。なので、「E字型」人材を養成する大学の教育課程では、教授の個人指導をがっつり取り入れていくのがよいのではないか、というのが僕の意見です。』

I型の多い日本で多くの人を巻き込めるのがE型です。このE型をうまく実践しているある方は巫女と表現されていました。日本が今後グローバルな場面で活躍するには人材の採用をプロ型とゼネラル型のハイブリッド型に変態するのが良いと思います。

なぜ欧米では転職が多いほど高評価なのか
視野が広いのは本当に良いことか
https://president.jp/articles/-/24329

参考:21世紀を"つくる"ソーシャルな巫女 林千晶さん
http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2018/11/15.html

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