ヒトがイキモノとして生殖と性欲に関してある一定の共通認識を持つ時期なのだ。

『それはつまり、性行為、妊娠、中絶、そういったことの当事者でありながら、自分の意思が蹂躙されても、反論するために依拠できる言葉、権利がなかったことを意味する。権利として認識されていないどころか、そういう主張をすれば、「はしたない」、「道徳や宗教に背く」と除け者にされる。国によっては投獄の可能性さえあった。~言い換えれば、どの国に生まれても、現状を変えられるという希望に満ちたスピーチだった。あまりに素晴らしかったので、そのまま引用してご紹介したいと思う。「わたしはスウェーデンの中でも保守的な南の田舎町に生まれました。私が生まれた1979年、同性愛は病とされていました。私の母が生まれた1953年、性教育は無いに等しく、中絶は違法でした。私の祖母が1920年代に生まれた頃は、避妊の知識を話すことさえ違法で、同性愛者は刑務所に送られました。しかし、私のコミュニティ、社会は、勇気ある男性女性が一緒になって、沈黙を破り、議論を呼ぶ問題にも正面から向き合い、行動することによって変わってきました。私がこれらのセクシャルリプロダクティブヘルスをめぐる歴史から学んだことは、私たちは異なる幅広いバックグラウンド、経験を持つ人が共に立ち上がった時にこそ力を発揮するということ、そして、社会を変え、世界を変える力は、私たちの手の中にある、ということです」100年も経たないその昔、避妊の知識を伝えることさえ違法だったスウェーデンという国は今、ジェンダーの平等で世界のトップレベルに躍り出ている(今年のジェンダーギャップ指数、世界153カ国中スウェーデンは4位、日本は121位だ)。その躍進にはただただ、社会を変えようと願い、実際に動いた人たちがいたのである。~やるべきことは、山積みだ。だから、できる人が、できることを、その人のペースでやっていく。その積み重ねでしか社会は変えられないし、言い方を変えれば「その積み重ねで社会は変えられる」。ここから25年経った時、私たちはどんな振り返りをできるのか。ハンス氏のように、希望と誇りを持って、自分たちの歩みを振り返られるのか。全ては、私たちの小さな一つ一つの選択にかかっているのではないだろうか。彼女たちはそういう中から、これらは当然の権利と信じ、今この瞬間苦しむ人たちを思って、何十年もこうして人前に立ち、言葉にし、訴え、戦ってきた。そういう人たちがいるからこそ、今私たちは当たり前のように、「性教育を受けること」「自分で性と生殖に関することを決めること」「より安全な医療にアクセスできること」を権利として主張することができる。一人一人の力は、想像以上に大きい。
そうやって世界は確実に変わってきたし、これからも変わっていけるはずだ。』

「持てるモノ」を支配すれば集団をコントロールできるという姑息な手段をこれまでは採ってきた。老若男女全てのヒトが相手を尊重できれば実現可能だ。それは国や地域性文化や宗教も関係はない。ヒトがイキモノとして生殖と性欲に関してある一定の共通認識を持つ時期なのだ。

同性愛は病、中絶は違法…24歳大学院生が驚愕したスウェーデン昔の性意識
私たちだって変えていける
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/69231

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