会話をする時はこの「距離感」が大事だと思っています。

『私に言わせれば、50代とは、60代以降の第二の人生を心おきなくエンジョイするための考え方や行動を身につける時期です。そんな時期に人間関係を整理するなんて、とんでもない。反対に意識して広げていかなければいけません。そのとき、気を付けなければならないのは、「同」ではなく「異」の人たちと積極的に出会うようにするということです。「同」や「異」とはどういうことでしょうか。少し説明が要りますね。ためしに自分がどんな人脈を持っているかを書き出してみましょう。おそらくほとんどは、同性、同年齢、同世代、同職種、同趣味というように、自分と重なる部分が大きい人とばかり付き合っているのではないでしょうか。たしかに、こういうグループにいれば居心地はいいに決まっています。けれども、いざ新しいことを始めようと思ったときには、残念ながらこの手の人たちはあまり役には立ちません。むしろ、そんなことはやめておけと、足を引っ張ってくる確率のほうがはるかに高いと思います。だから50代になったら、異性、異年齢、異世代、異職種、異趣味の人たちと積極的に交流することが大事なのです。そうして、そこで新たな人脈をつくるのです。彼らはこれまであなたが知らなかった世界の知識や情報を持っています。それがあなたの人生に新鮮な刺激をもたらしてくれるのです。~とはいえ、実際にはどうやって「異」の人脈をつくるべきか、わからない人が多いと思います。それなりのおカネを使わなくてはいけないのではないか、と心配する人もいるでしょう。~そもそも1人でコーヒーを飲むのも誰かと飲むのも、支払う金額は同じです。だったら誰かを誘ったほうがいいし、そうすれば確実に人脈は増えます。相手が男性だと「このあと飲みに」ということになるかもしれませんが、女性なら、こちらに下心さえなければ、コーヒー代だけでじゅうぶん話ができるはずです。~そんな老後を迎えるには、自分より若い人との付き合いが決定的に大事になります。その際、相手が年上か年下かで態度を変える「昭和の男」は嫌われます。では、どうすればいいか。具体的には性別や年齢を問わず、あらゆる人を「さん」づけで呼ぶのです。~50代になったら、そうした「異」の人との付き合いを心掛けることと同時に、心掛けてほしいことがあります。それは、秘密を持つということです。クリント・イーストウッド監督の手で映画化された小説『マディソン郡の橋』をご存じでしょうか。平凡だと思われていた田舎の主婦が、ある時期、家族に内緒で激しい恋をしていたという話です。単なるよき妻やよき母で終わるより、よっぽど濃く豊かな人生を彼女は生きた。読者は、物語を通じてそのことに気付かされ、大いに共感するのです。秘密の1つもなく、50代から身辺整理を始め、まじめな一市民として死んでいく人生なんて、そんなに魅力があるものでしょうか。最悪、ばれたっていいじゃありませんか。秘密を持つ生き方が、結果的には人生を豊かにしてくれるのです。』

私は初対面のヒトは老若男女関係なく「さん」づけです。ただ、そのヒトとの「距離感」によって年下の男性は「くん」になったり、女性は年齢関係なく「ちゃん」になったりします。同種ではなく異業種・趣味等の方々と会話をする時はこの「距離感」が大事だと思っています。

なぜ、年をとったら若い人を「さん」づけで呼ぶべきなのか
現在88歳、人間関係の整理はしない
https://president.jp/articles/-/33083

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