逆に言えば有権者に「気持ちや時間のゆとり」を持たせない選挙を行っているという事なのだ。

『政治家だけをあげつらいたいわけではなく、誰かが誰かに影響を与えよう、納得させようと意図してする発言の多くはそういうものかもしれない。そして案外、そういう言説の方にこそ、私たちは納得させられてしまうものなのである。~気持ちや時間にゆとりがあれば、あるいは、そもそも考える気があればシステマティック処理をするのだが、そうでなければそうしない、というのが、これまでの社会心理学研究が示してきた、われわれが説得を受容する際の行動パターンである。さらには、ヒューリスティック処理の際に受けたインパクトが強ければ、たとえシステマティック処理をしたとしても、それをひっくり返すことは容易ではない。かくして、「インパクト重視、中身は二の次」な発言をすることは、有権者の政治関心がおしなべて低い社会にあっては、「説得力のある」政治家を目指すのであれば最適な戦略ということになる。もちろん、それが本当の意味での説得力かといえば違うだろう。また、いったんそこに惹かれても、よく考えたあげく「あいつはだめだ」と離れていく人もいるだろう。しかし、選挙の当落はそのときそのときの票数で決まる。離れていく人の分、一時的にでもインパクトに惹かれて投票してくれる人がいれば、それでよいのだ。』

今の選挙制度では「その時」だけ票が集まれば「勝ち」なのだからこの戦略は功を奏している。逆に言えば有権者に「気持ちや時間のゆとり」を持たせない選挙を行っているという事なのだ。

小泉進次郎「無内容発言」が妙に「説得力」を持つのはなぜなのか…?
有権者が「説得力」を感じる条件
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68625

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