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ブレーキを踏む時はしっかりと踏みヒトビトを生き残らせなければまたスピードを上げることもできない。

『日本は国民皆保険制度であり、医療は事実上、政府が運営している。政府が強力なリーダーシップを発揮して、緊急時の特別体制を構築しない限り状況は変えられないだろう。上記を総合すると、今後の日本経済のおおよその推移が見えてくる。今回の緊急事態宣言は、休業要請の範囲が限定的であり、宣言の発令そのものが経済に壊滅的な影響を与えるわけではない。しかしながら、人の移動は思ったより減らない可能性が高く、感染を抑制する効果は薄くなる。そして、医療体制の抜本的な変更がなければ、少なくとも現時点の医療水準は維持できなくなる可能性が高い。昨年のように、あらゆる経済活動が一時的にストップするような事態にはならないものの、医療崩壊リスクが国民に知れ渡れば、一定割合の消費者は自主的に行動を抑制するようになるだろう。場合によっては、政府の緊急事態宣言とはまったく無関係に消費活動が相当なレベルまで低下する可能性もある。一部の論者は、新型コロナウイルスと従来のインフルエンザには大差がなく、一連の対策は過剰であると指摘しているが、医学的な見地からの是非とは別に筆者はこうした意見にはあまり意味がないと考えている。経験したことがない未知の感染症が蔓延しており、確率が低いとはいえ、健康だった人があっという間に死に至る事例が散見される状況では、一定割合の国民がリスクを懸念するのは当然のことである。こうした国民に対して「過度に心配するな!」と勇ましく叫んだところで、本質的な懸念が払拭されない限り、彼等は消費活動を自主的に抑制するだろう。この状態が長く続いた場合、経済が壊滅的な状況にはならないまでも、消費低迷がボディーブローのように雇用に悪影響を及ぼし、長期的なコロナ不況が継続するシナリオも十分に考えられる。もちろん、ワクチンの接種が順調に進み、その効果が十分なものであれば、一気に回復する望みもあるが、一般論としてワクチンはそれほど万能ではない。日本は国内でのワクチン開発支援体制が十分ではなく、今のところ海外製品に頼らざるを得ない状況なので、国民全体にワクチンが行き渡るのはもう少し先のことになる。筆者がもっとも懸念しているのは「コロナなど大したことはない」と主張する人と「コロナのリスクは高い」と考える人で社会が分断されてしまうことである。コロナなど大したことがないという声が大きくなれば、政府は特措法の改正など、罰則を伴うより厳しい措置には踏み込みにくいだろうし、特別定額給付金のような支援策も実施されないだろう。しかし、コロナのリスクを懸念する人が一定数存在する以上、消費の低迷は続き、体力の弱い企業は市場退出を迫られ、雇用環境はジワジワと悪化することになる。結果として非正規社員など立場が弱い人から仕事を失い、生活困窮者が増加。これがさらに消費を低迷させるという悪循環に陥りかねない。最終的には国民(国民から選出された政治家)の判断になるが、少なくとも、コロナ危機というのは、ロックダウンや罰則といった厳しい措置を伴ってでも抑制すべき対象なのか、そうでないのかという基本的な位置付けについて、政府ははっきりとした見解を示しておくべきだろう。』

これでは先の大戦時の指導者となんら変わりない。最終的に被害を被るのは市井のヒトビトなのだ。経済損失をなるべく少なくしたければアクセルとブレーキではなくブレーキを踏む時はしっかりと踏みヒトビトを生き残らせなければまたスピードを上げることもできない。

菅首相の「ゆるい緊急事態宣言」は、日本経済に「壊滅的な打撃」を与えるかもしれない
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/79198

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