私も常識とはちょっと距離をおいて生きてきたのでこんな仕上がりに成ってしまいました。

『普通で常識的だから何だというのだろう。多数派なだけだ。それが異なる意見や考えを否定する根拠にはならない。もし、普通で常識的であることが偉いとでも思っているのなら、父親のキンタマに戻って人生をやり直したほうがよろしい。僕は自分を平凡な人間だと分析している。優れた資質も誇れるような実績もない。だからどちらかと言うと、普通や常識的とされる考え方に親近感を覚える。油断すると、突飛な意見を述べる経営者や芸能人に対して「そうじゃないだろう。常識的に考えて普通はさ……」と普通、常識的を味方につけ、虎の威を借りる狐のように自分の意見を述べてしまいそうになるところをぐっと抑えるようにしている。自分の意見や考え方が絶対に正しいとは思わない。自分とは異なる意見や考えを「そんな考え方もあるのか」と尊重できたらいい。そのためには普通、常識的という余計なファクターを外して、意見や考えそのものを見なければならない。~「普通は」「常識的に考えて」を忌み嫌う気持ちは1ミリも揺らいではいないけれど、それを押し通すことで甚大な被害が予想されるときは、あえて普通や常識的に白旗を上げることが必要なこともあるのだ。自分の考えを曲げなくても、曲げるふりをしなければならない……人生の難しさとやりきれなさはそういうところにある。』

『もし、普通で常識的であることが偉いとでも思っているのなら、父親のキンタマに戻って人生をやり直したほうがよろしい。』とこの記事では表現しているが、私は「そんなヤツはティッシュでゴミ箱行きだったのが間違って出てきちゃったんじゃねぇ?」とすら感じてしまう。以前、養老孟子さんにコモンセンス(常識)について質問した時「私には常識なんてモノはわかりませんせんね」と面白い回答をもらった。私も常識とはちょっと距離をおいて生きてきたのでこんな仕上がりに成ってしまいました。

「自分は普通」とSNSで勘違いしている人の痛さ
常識という言葉で相手を圧倒したい
https://president.jp/articles/-/30550

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